知的障害があると、子どもの世話をしてはダメですか 児童養護施設で夢かなえたが、保護者には伝えられない葛藤

佐藤さん(仮名)が料理して作った弁当=9月(勤務先の児童養護施設提供)
「障害がある自分でも、子どもの役に立ちたい。でも、世間は自分が働くことをどう思うだろうか」
軽度の知的障害がある40歳の佐藤啓一さん(仮名)は、児童養護施設で育った。その経験から「子どもに寄り添い、悩みを聞ける職員になりたい」と、自分も同じような施設で働くことにあこがれていた。
そして、ためらいながらも夢をかなえた。子どもたちの世話をこなし、宿直にも入る。そんな佐藤さんの今の思いや職場での評判を聞いてみた。(共同通信=船木敬太)

関東地方の児童養護施設で職員として働く知的障害がある佐藤さん(仮名、手前)=9月
▽できるだけ家族のように接したい
「これ買ったんだよ!」。9月下旬、関東地方にある児童養護施設のリビング。佐藤さんはおもちゃをうれしそうに見せる4歳の男の子に抱きつかれた。同時に、別の小学生男子と将棋を指しながら、日々の出来事を話し合う。施設内で暮らす子どもたちの世話が佐藤さんの仕事だ。
佐藤さんは3歳のころから、別の児童養護施設で育った。きょうだいが多く、親が面倒を見きれないという理由だった。
施設では、8人ほどの子どもが住み込みの職員と一緒に暮らしていた。家庭とは大きく異なる集団生活。寂しくてどうしても親元に帰りたくなり、小学6年生の時には無断で施設を飛び出したこともあった。
だから今、こう思う。「できるだけ家族のように接したい。自分も、そうしてほしかったから」。業務時間ではなくても、子どもたちと遊ぶことを大切にしているという。

「家族のようだった」。丸川さん(仮名、左)と話し合う佐藤さん(仮名)=7月、佐藤さんが育った関東地方の児童養護施設
▽育った施設で「兄」のようだった職員
佐藤さんが育った施設には、「家族のようだった」と振り返る職員がいる。丸川義則さん(49)=仮名=だ。
当時、丸川さんは大学を出たばかりの新人職員で、佐藤さんの隣の部屋に住み込みで働いていた。佐藤さんが無断外出した時も悩みの相談に乗ったり、その後も寝食を共にしながら成長を見守ってきた。
丸川さんはこう振り返る。「(佐藤さんは)職員になって最初に受け持った子どもの一人。まだ専門性もなかったけど、責任感だけで真剣に本音で向き合った」
佐藤さんが施設を退所した後も一緒にマラソン大会に出場するなど、20年以上交流が続いている。「職員というより兄みたいに感じていた」と佐藤さん。「夜、飲みに行って帰ってきた丸川さんのお土産をごちそうになったりした。いろんな思い出がある」
佐藤さんはいつしか、丸川さんのような存在になりたいとあこがれるようになった。

かつて育った児童養護施設の建物を見つめる佐藤さん(仮名)=7月
▽あこがれていた「子どもの役に立つ仕事」
佐藤さんの障害は軽度で、知的障害と判定されたのは中学生の時だ。特別支援学校高等部に通い、2004年に卒業した後、施設を離れてグループホームに入居し、パン工場に就職した。
レーンにずらっと並ぶパンを、注文に応じて仕分ける仕事。「障害がない同僚に負けないように」と仕事に励んだ。別の障害者がうまく仕事ができず「障害者だからやっぱりできないんだな」とバカにされているのを聞き、自分も悔しくなって仕事の速さと正確さで勝負を挑み、相手を負かしたこともあったという。
2014年に結婚した。特別支援学校高等部時代の部活のバスケを通じて知り合った1歳年上の女性で障害がある。2年後には長女が生まれた。
夜勤中心のパン工場での仕事では生まれたばかりの子どもや妻との時間が取りにくいと感じて退職した。その後、別の職場で働いたが、小さい頃から目指していた「子どもの役に立つ仕事」に就きたいと考えていた。
▽「自分でいいの?」不安感じながら面接
今の児童養護施設の仕事をハローワークで見つけたのはそんな時だった。ずっとやりたかった仕事だが尻込みした。「障害がある自分でいいんだろうか」。特別支援学校出身の友人たちの中で、児童養護施設で働いているケースはなかった。
後押ししてくれたのは、入居先のグループホームを運営する法人の理事長だった。佐藤さんの人柄や働きぶりを見て、子育ても含めて応援していた。
「大丈夫だから」と励ます理事長に「自分でいいの?」と何度も聞いた佐藤さん。面接の結果は「採用」だった。施設側は障害の有無ではなく、佐藤さんの人となりを見込んで採用を決めてくれた。
▽懸命に仕事、全くできなかった料理も上達
ただ、それでもほかの職員に心配がなかったわけではない。
「どれくらい働いてくれるのか。どこまで仕事を任せていいのか」。先輩職員の山井あかねさん(62)=仮名=は、そんな気持ちで見ていたという。
佐藤さんは懸命に働いた。数十人が在籍する施設の子どもたちの世話は多岐にわたり、もちろん一緒に遊ぶだけでは済まない。
例えば、施設で暮らす中高生の子どもたちが学校で食べる弁当は、職員の手作りだ。朝は6~7個の弁当を用意しなければならない。佐藤さんは料理を全くできなかった。
唐揚げやしょうが焼き、ハンバーグなど、妻に教わりながらレパートリーを増やしていった。子どもたちそれぞれの弁当や箸があり、間違えないように準備する必要がある。覚えるのが苦手な佐藤さんは全て写真に撮り、何度も見返しながら記憶していった。
午前4時から準備し、できあがったら朝食も作る。山井さんは振り返る。「作業がきちんとしていて、卵焼きなんて本当にうまい。仕事に入るたび、腕を上げていった」。
初めは任せられなかった宿直も、今では毎週のように入る。「もちろん、金銭の管理などできないことはあるけど、そこを理解していれば問題ない」と山井さん。
「彼も自分にできることと、できないことはきちんと区別して、細かく相談してくれる。今は宿直も心配せずに任せている」と話す。
▽障害を明かせない仲間も、悩み共有したい
知的障害のある人が保育所や福祉施設で働く例はあるが、清掃や補助的な業務が主だ。子どもを直接支援する佐藤さんのようなケースは珍しい。
佐藤さんは自身の障害について、子どもたちやその家族などには伝えていない。隠しているわけではなく、伝えなくても仕事に支障はないからだ。ただ「いつも接している子どもたちは受け入れてくれても、その家族はどう思うだろうか」と考えてしまうという。
山井さんはこう話す。「もし外部から指摘されても、仕事ぶりはきちんと説明できるし、心配していない。むしろ、施設には特別支援学校に通っている子どももいる。彼を見て、こんな仕事もできるんだと考えてもらえる」
それでも佐藤さんは不安な気持ちを拭えない。入居先のグループホームには数十人の障害者が暮らしているが、自身の障害を明かせず、悩んだ経験がある仲間はほかにもいる。佐藤さんの妻も、職場ではあまり障害を明かしていない。同じように「どう思われるだろうか」と不安があるからだ。
必ずしもオープンにしなくてもいいという気持ちもある一方で、本当はそんなことを気にしないで済むような世の中になってほしいと願う。
佐藤さんの今後の目標は、自分が住むグループホームの運営に参加することだ。障害を巡る悩みを仲間たちと少しずつでも共有して、一緒に向き合いたい。そう思っている。
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京都教育大の門下祐子講師
◎京都教育大の門下祐子講師(特別支援教育)の話
「差別を受けてきたこともあって、当事者が自身の障害についてうまく話せず、仕事の希望を伝えられない場合がある。雇用主側は『障害者には無理をさせられない』と考えがちだが、過小評価につながり、『もっと仕事を任されたい』と悩む当事者もいる。対話を重ね、柔軟に対応するべきだ」
◎児童養護施設
児童福祉法に基づき、親の死亡や経済的な事情、虐待などの理由により、家庭で暮らすのが困難な子どもを育てる施設。こども家庭庁によると、2024年には全国に約600カ所あり、約2万9千人の定員に対して約2万2千人が入所している。職員数は2023年時点で約2万1千人。保育士や栄養士などのほか、資格要件がない「個別対応職員」や事務員も働く。