かつての三菱の鉱山街に再び明かりを 兵庫・朝来「銀谷界隈」の酒場が仕掛ける再興の物語

日本有数の鉱山だった生野銀山=兵庫県朝来市生野町
国内有数の鉱山として長く繁栄した生野銀山(兵庫県朝来市生野町)。中国山地の山あいながら、最盛期には「銀谷(かなや)」と呼ばれる界隈(かいわい)を中心に1万人以上が暮らし、にぎやかな歓楽街も形づくられていた。だが昭和48年の閉山以降、街は徐々に勢いを失い、今や夜の店は数えるほど。ただ、近年は宿泊施設も少しずつ増えるなど、往時のにぎわい復活に向けて明るい兆しもみえてきた。
昔は遠方からも

兵庫県のほぼ中央に位置する旧生野町。JR生野駅と生野銀山に挟まれた盆地の中に街並みが広がり、駅側が「口銀谷(くちがなや)」、銀山側が「奥銀谷」という。
「口銀谷は役人や商人の多い政治・商業のエリア。かたや奥銀谷は鉱山労働者が多く住む街でした」。朝来市観光協会生野支部の阿野保司副支部長(80)が教えてくれた。阿野さんによると、閉山前の口銀谷には居酒屋やスナックなどが何店も軒を連ね、駅に近いこともあって遠方からも多くの人が生野の夜の街に繰り出していたそうだ。

カウンターのみのこぢんまりとした「七笑」の店内
閉山後は関連企業が少しずつ姿を消し、人口も店舗も減少の一途。スナックはほぼ姿を消してしまった。そんな街の中で、「七笑(ななわらい)」と書かれた提灯(ちょうちん)に明かりがともる居酒屋を訪ねた。
カウンターのみ、最大で14人が座れるつくり。「楽しく飲んでしゃべって、元気になって帰ってほしい」と笑顔の店主、美濃香奈さん(56)。店のオープンは一帯の飲食店がすっかり減った平成13年。結婚前の夫が始め、結婚後は夫婦2人で続けてきたが、令和2年に夫が町外にも出店した際にこの店を任された。

日本最古級の官舎・社宅とされる「甲社宅」。一部はゲストハウスとして外国人観光客らに人気を博している
「料理は、メニューにないものでもできるだけお客さんのリクエストに応えて作っている」とのこと。それゆえ、家族連れの利用も多いという。「これからおいしいのは地元特産の岩津ねぎ。天ぷらなんかがいいですね」というおすすめに従っていただいていると、地元企業の団体さんがどどっと入ってきた。
歴史の面影活用
江戸時代は幕府の直轄地で、明治初期には日本初の官営鉱山となった。その後も三菱グループの鉱山として高度経済成長の一角を担うなど、独特の歩みをたどった銀谷界隈。町のあちこちにそんな歴史を感じさせる面影が残っている。
鉱石を運んだトロッコの軌道跡や、お雇い外国人から技術を学んだ地元の大工が建てた擬洋風建築物、鉱石の精錬くずを固めた「カラミ石」…。中でも「甲社宅」と呼ばれる鉱山職員宿舎は明治時代に建てられた現存最古級の官舎・社宅。このうち2棟は令和3年にゲストハウスとしてオープンした。銀谷界隈では約30年ぶりの宿泊施設という。
「外国人観光客を中心に人気を博しています」と運営会社の代表を務める小島公明さん(69)。地元に生まれ、かつての繁栄の一端を知る一人で、「宿泊客のためにも、飲み屋街が充実してくれていたほうがありがたいですね」。
〝看板娘〟が盛り上げる
口銀谷でもう1軒、提灯に明かりがともる店を見つけた。「お好み焼さなえ」。この界隈でマージャンクラブを経営していた野崎光男さん(77)が50歳のときにオープン。〝看板娘〟の妻、早苗さん(75)と一緒に生野の夜を盛り上げる。
「調理が下手やから、いい食材を使ってる」と光男さん。「30年近く、つぶれそうでつぶれずにやってきた」と笑う。最近は、甲社宅に宿泊する外国人観光客が、お好み焼き作りに挑戦したくてやってくるケースが増えたそうだ。
「甲社宅のゲストハウスがオープンしたあと、他にも宿泊施設ができた。あとは夜の飲食店がもう少し増えてくれたらうれしいね」(小林宏之)
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