あの日、山の中で6歳の息子に手をかけた母 育児に悩み続けた日々「社会に追い詰められ、孤立…」救いはどこにあったのか

取材に応じる橋口亜希子さん
梅雨時の雨が車の窓ガラスをぬらした。助手席に座った当時6歳の息子の首に手をかけ、ぐっと力を込める。「この子を殺して私も死のう」。その時だった。「お母さんにつらい思いをさせてごめんね」。息子の口からこぼれた言葉。はっとわれに返り手を離した―。
2001年6月の夜のことだった。25年近くたった今でも、鮮明に覚えている。橋口亜希子さん(54)は、息子と静岡県の山中で死のうとした。「社会からの拒絶の連続で、絶望していた」
保護者が自殺を図る際、子どもを道連れにする無理心中。2004年からの約20年で計652人の子どもが犠牲になった。橋口さんは当時を振り返り、「居場所を失い孤立していた。社会が追い詰めている部分もあると気付いてほしい」と声を上げた。(共同通信=富田真子)
▽異変
1994年11月、難産の末に産声を上げたわが子。念願の第1子で、目に入れても痛くないほど、いとおしかった。
しかし、次第に違和感を持つようになった。抱っこじゃないと寝ない、飲んだミルクも吐いてしまう。「育児書通りにいかない」。知り合いの子どもと比較して、焦りのような気持ちを持つようになっていた。
不安になり、定期健診で訪れた保健センターの保健師に相談したこともあったが「子どもってこんなもんですよ。第1子なんですか?慣れてないですよね」と、真剣に取り合ってくれなかった。

▽「殺してしまうかも」
1歳になり歩けるようになると、公園に息子を連れて行く機会が増えた。しかし、砂場で先に遊んでいる子どものおもちゃを取り上げ、けんかをした。ほかにもトラブルは続き、次第にママ友から避けられるようになった。人が少ない時間を狙って、車で約30分離れた公園まで足を運ぶようになった。
育てる自信がなくなり、息子に手を出した。たたく、突き飛ばす―。「殺してしまうのではないか」という恐怖心から、2歳の頃、すがる思いで保育園に預けた。
▽さらに、追い詰められた心
事態は好転しなかった。人の話を聞かず、集団行動が苦手だった息子。保育園にお迎えに行く度、保育士から「ちゃんと叱ってください」といさめられた。
副園長らに呼び出され、偏食がひどいことを理由にネグレクト(育児放棄)を疑われたこともあった。「お母さん、みそ汁作れる?」。ばかにするような担任の口調に絶句し、涙があふれた。家に帰る車の中では、「なんで言うこと聞かないの!」。毎日毎日、息子を叱り続けていた。
2001年4月。息子が小学校に入学すると、問題はいよいよ深刻化した。授業中いすに座っていられず、教室の後ろの棚に寝転がったり、掃除道具用のロッカーの中に入っていたりしたこともあった。
「母親の能力がないのに子どもなんて産んで」「母親失格」「人間失格」。息子が産まれてからそれまでの間、親族や知人、見ず知らずの人からも心ない言葉を浴びせられた。
▽切れた気持ち「責任は私」
2001年6月。些細なけんかから始まった息子と友達とのトラブルが2週間ほど続き、責任を追及する教員からの電話がその日も鳴った。張り詰めていた気持ちが切れた気がした。ふと、頭に浮かんだ。「息子を山に捨てよう」
近くの山まで車で約20分。橋口さんは車内でも怒鳴り続けていた。「あんたなんか山で暮らせばいい!」。息子は「ごめんなさい」と泣きじゃくった。
車を止め、助手席のドアを開けて日が沈み、暗くなった山中に息子を放り出した。そのまま運転席に戻り、発車させると、息子が車にしがみついてきた。振り切るようにスピードを上げた。
500メートルほど進んだ先に橋があり、Uターンして車を止め、泣いた。すると、前方から全力で走って来る息子の姿が見えた。見たことのない悲しそうな表情だった。
「この子に罪はなく、産んでしまった私が悪い。社会に対して責任を取ろう」。息子を殺し、自分は車ごと崖に突っ込もうと、心に決めた。
助手席に座らせ、首を力強く絞めた。その時言われた息子の言葉を今も忘れられない。「お母さんに、こんなにつらい思いをさせてごめんね」。橋口さんは手を離した。
▽転機
心中未遂を図った数日後、学童保育に迎えに行くと小学校の保健室の教員から声をかけられ、こう言われた。「息子さんは純粋で良い子。でも息子さんは学校でなにか困っていますよね。原因はこれだと思う。一緒に解決策を考えていきませんか」。そして、「注意欠陥多動性障害(ADHD)」について書かれた冊子を渡された。初めて息子を認めてもらえたと思い、救われた気がした。

こども家庭庁が入る建物=東京都千代田区
▽ADHDだった息子
ADHDに関する情報をインターネットで調べた。すると、全ての特徴が当てはまった。「息子も私も悪くなかった」と、ほっとした。だが、実際に病院で診断された時には、将来を思い、なかなか認められない自分もいた。それでも「ここまで本当に頑張りましたね。この子たちを育てることはとても大変です。一緒に考えていきましょう」という医師の言葉で前向きになり、接し方を学び、考え方が変わっていった。
「知識があれば、息子につらい思いをさせなくて済んだのでは」と思うようになり、ADHDに関する勉強を始めた。同じ障害を持つ子どもを持った親たちの集会にも顔を出し、母親らが情報共有したり、悩みをこぼしたりすることができる会を作った。
心中未遂をした2001年から約25年間、活動を続けてきた橋口さんは、心中がなくならない現状に「まだまだ国の支援が必要な人に行き届いていない」と考えている。「本当に支援や助けを必要としている人の中には自分から支援を求めたり、助けてと声を上げたりすることができない人もいる」
そのような状況で少しでも同じ境遇の親に声が届くよう、「交流サイト(SNS)を活用するなど、国民一人一人が支援を受けやすい仕組みづくりが大切だと思う」と切に思っている。
息子に心中未遂の事実を伝えたのは、あの日から約10年たった後だった。「ごめんね」と語りかけた息子は穏やかな表情で優しく返してくれた。「いいよ」。涙が頬を伝った。

母子らの遺体が見つかった大阪府吹田市の集合住宅周辺を警戒する警察官=2025年6月、大阪府吹田市
▽相次ぐ事件
国は、子どもを道連れにする無理心中を「児童虐待」と位置付けている。こども家庭庁によると、心中で亡くなった子どもは2004年は8人で、2006年は65人。統計が年単位から年度単位に変わった2008年度は61人だった。2023年度は17人と減少傾向にあるものの、ゼロになることはない。
近年も痛ましい心中事件が相次いでおり、2025年6月には大阪府吹田市で20代の男が娘2人と妻を殺害し、自身も自殺した。同年9月には、大阪府池田市の自宅で、母親と女児が倒れているのが見つかり、殺人容疑で逮捕された母親は「娘を殺して私も死ぬつもりだった」と供述した。
こども家庭庁によると心中を選ぶ理由はさまざまだが、「育児不安や負担感」「保護者自身の精神疾患」「経済的困窮」などが目立つという。