激動の昭和の末期 SLを引退に追いやったDLの雄姿
- 八ケ岳のふもとを小海線のDD16が走る。さてどこでしょう=長野、山梨両県の県境(野辺山駅、清里駅間)で1983年1月25日、中村琢磨撮影
- 扇型機関庫に集結する(左から)DE10、DD13、DD51=北九州市門司区の門司機関区で1980年12月18日、中村琢磨撮影(このカットだけエクタクロームで撮影)
- 分岐点には、広大な操車場があった=、香川県仲多度津町の多度津駅構内で1981年3月8日、中村琢磨撮影
- 風光明媚な瀬戸内海=愛媛県松山市で1981年3月8日、中村琢磨撮影
- 大歩危小歩危の険しい名所をいくDF50の貨物列車=徳島県三好市で1981年3月9日、中村琢磨撮影
- DF50-1号機はディーゼルエンジンで発電機を回し、得た電力で動く=愛媛県松山市の松山気動車区(当時)で1981年3月11日、中村琢磨撮影
- DF50ー1けん引の回送列車=愛媛県松前町で1981年3月11日、中村琢磨撮影
- DF50ー1が牽引する客車列車=愛媛県松前町で1981年3月11日、中村琢磨撮影
- 新幹線建設工事の際には、8620型蒸気機関車が室木線(1985年廃線)で資材を乗せた貨車ひいたんだとか=福岡県鞍手町で1981年3月16日、中村琢磨撮影
- いかにも終着駅のたたずまい=福岡県鞍手町の室木線(1985年廃線)室木駅で1981年3月16日、中村琢磨撮影
- 遠賀川対岸、左奥のボタ山は、中鶴炭鉱跡か?=福岡県中間市で1981年3月16日、中村琢磨撮影
- 筑豊本線から枝分かれする香月線(1985年廃線)。北九州市内にあったのに、仲間外れ扱い?=北九州市八幡西区で1981年4月3日、中村琢磨撮影
- 熊本県長陽村(現南阿蘇村)と大津町にかかる第1白川橋梁を渡るDD16=1981年4月5日、中村琢磨撮
- 熊本県宗谷本線と長陽村(現南阿蘇村)と大津町にかかる第1白川橋梁を渡るDD16=1981年4月5日、中村琢磨撮影
- 日中線(1984年廃線)は朝夕しか走らないので、「日中ハ走リマセン」といわれたことも……=福島県熱塩加納村(現喜多方市)で1981年5月4日、中村琢磨撮
- 旧型客車も、あっという間になくなった=福島県会津若松市で1981年5月4日、中村琢磨撮影
- DF50重連の貨物列車=高知県須崎市で1981年3月10日、中村琢磨撮影
- 混合列車が鉄橋を渡る姿は、おもちゃみたい=鳥取県倉吉市で1981年8月25日、中村琢磨撮影
- 腕木信号機が懐かしい=鳥取県倉吉市で1981年8月25日、中村琢磨撮影
- DE15が客車と貨車を連結した混合列車を引く=青森県深浦町で1982年3月10日、中村琢磨撮影
- 冬の雪国では線路が雪に埋もれるが、夏の南国の志布志線(1987年廃線)では線路が雑草に覆われていた=鹿児島県志布志町(現志布志市)で1982年8月18日、中村琢磨撮
- 右奥に、保存中のC62が見える=北海道小樽市で1982年8月23日、中村琢磨撮影
- 「戸口から戸口へ」のコンテナは、明るい緑色だった=北海道東部の標津線(1989年廃線)泉川駅、多和駅間で1982年8月24日、中村琢磨撮影
- 海も大地も広大だ=北海道静内町(現新ひだか町)で1982年8月25日、中村琢磨撮影
- 釧網本線を走るDE10重連の(客貨)混合列車=北海道斜里町で1982年8月26日、中村琢磨撮影
- 貨車の両数が少ないのが、妙に似合うDD16=長野県佐久市で1982年9月8日、中村琢磨撮影
- DD16ー1号機=小海線・野辺山~清里で1982年11月8日、中村琢磨撮影
- 鉱石列車は重く、重連も多かった=岐阜県南西部の樽見線横屋駅、東大垣駅間で1982年12月20日、中村琢磨撮影
- 収穫の田園風景に映える烏山線の秋色のDL=栃木県南那須町(現那須烏山市)で1982年10月23日、中村琢磨撮影
- ドローン撮影にあらず。伊田線をボタ山から見下ろしました。遠方の香春岳は、石灰採掘で小さくなりました。「黒ダイヤから白ダイヤへ」といわれた時代ですね=福岡県田川市で1982年12月28日、中村琢磨撮影
- 青空に機関車が映える=長野県飯山市で1983年1月29日、中村琢磨撮影
- 天気は、いつ急変するか分からない=長野県飯山市で1983年1月29日、中村琢磨撮影
- 津軽鉄道はストーブ列車が有名=青森・津軽半島で1983年3月8日、中村琢磨撮影
- 羊蹄山をバックに走るDD51重連の函館本線急行「ニセコ」。昔は、C62重連で有名だった=北海道ニセコ町で1983年3月9日、中村琢磨撮影
- 客車列車には、郵便・荷物車も連結されていた=北海道ニセコ町で1983年3月9日、中村琢磨撮影
- 流氷で埋め尽くされたオホーツク海沿いをDE10重連の混合列車がいく=北海道東部の釧網本線止別駅、斜里駅間で1983年3月10日、中村琢磨撮影
- 流氷で埋め尽くされたオホーツク海の脇を、客車列車がいく=北海道東部の釧網本線止別駅、斜里駅間で1983年3月10日、中村琢磨撮影
- 昔は、C62重連「ニセコ」の撮影地で有名だったらしい=北海道蘭越町で1982年3月11日、中村琢磨撮影
- 厳しい冬の宗谷線をいくDL。国鉄時代には、貨物列車には車掌車(もしくは車掌室付き貨車)が連結されていた=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影
- 客車が通り過ぎた途端、線路が見えなくなります=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影
- パワー炸裂! 雪の塊なんか吹っ飛ばせ!=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影
- 出発を待つ宗谷本線夜行急行「利尻」=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影
- 昔の客車は、走行中でもドアの開閉は自由、動き出してからでも乗り降りできた=北海道北部の宗谷本線塩狩駅、蘭留駅間で1983年3月13日、中村琢磨撮影
- 混合列車といっても、客車は1両のみ=北海道留辺蘂町(現北見市)の石北本線・常紋信号場で1982年3月13日、中村琢磨撮影
- その昔、「常紋トンネルにはお化けが出る」との言い伝えがあったとか=北海道留辺蘂町(現北見市)で1982年3月13日、中村琢磨撮影
- 文学青年にも人気があった塩狩峠=北海道北部の宗谷本線蘭留駅、塩狩駅間で1983年3月13日、中村琢磨撮影
- コダクロームのマウント=中村琢磨撮影
八ケ岳のふもとを小海線のDD16が走る。さてどこでしょう=長野、山梨両県の県境(野辺山駅、清里駅間)で1983年1月25日、中村琢磨撮影

扇型機関庫に集結する(左から)DE10、DD13、DD51=北九州市門司区の門司機関区で1980年12月18日、中村琢磨撮影(このカットだけエクタクロームで撮影)

分岐点には、広大な操車場があった=、香川県仲多度津町の多度津駅構内で1981年3月8日、中村琢磨撮影

風光明媚な瀬戸内海=愛媛県松山市で1981年3月8日、中村琢磨撮影

大歩危小歩危の険しい名所をいくDF50の貨物列車=徳島県三好市で1981年3月9日、中村琢磨撮影

DF50-1号機はディーゼルエンジンで発電機を回し、得た電力で動く=愛媛県松山市の松山気動車区(当時)で1981年3月11日、中村琢磨撮影

DF50ー1けん引の回送列車=愛媛県松前町で1981年3月11日、中村琢磨撮影

DF50ー1が牽引する客車列車=愛媛県松前町で1981年3月11日、中村琢磨撮影

新幹線建設工事の際には、8620型蒸気機関車が室木線(1985年廃線)で資材を乗せた貨車ひいたんだとか=福岡県鞍手町で1981年3月16日、中村琢磨撮影

いかにも終着駅のたたずまい=福岡県鞍手町の室木線(1985年廃線)室木駅で1981年3月16日、中村琢磨撮影

遠賀川対岸、左奥のボタ山は、中鶴炭鉱跡か?=福岡県中間市で1981年3月16日、中村琢磨撮影

筑豊本線から枝分かれする香月線(1985年廃線)。北九州市内にあったのに、仲間外れ扱い?=北九州市八幡西区で1981年4月3日、中村琢磨撮影

熊本県長陽村(現南阿蘇村)と大津町にかかる第1白川橋梁を渡るDD16=1981年4月5日、中村琢磨撮

熊本県宗谷本線と長陽村(現南阿蘇村)と大津町にかかる第1白川橋梁を渡るDD16=1981年4月5日、中村琢磨撮影

日中線(1984年廃線)は朝夕しか走らないので、「日中ハ走リマセン」といわれたことも……=福島県熱塩加納村(現喜多方市)で1981年5月4日、中村琢磨撮

旧型客車も、あっという間になくなった=福島県会津若松市で1981年5月4日、中村琢磨撮影

DF50重連の貨物列車=高知県須崎市で1981年3月10日、中村琢磨撮影

混合列車が鉄橋を渡る姿は、おもちゃみたい=鳥取県倉吉市で1981年8月25日、中村琢磨撮影

腕木信号機が懐かしい=鳥取県倉吉市で1981年8月25日、中村琢磨撮影

DE15が客車と貨車を連結した混合列車を引く=青森県深浦町で1982年3月10日、中村琢磨撮影

冬の雪国では線路が雪に埋もれるが、夏の南国の志布志線(1987年廃線)では線路が雑草に覆われていた=鹿児島県志布志町(現志布志市)で1982年8月18日、中村琢磨撮

右奥に、保存中のC62が見える=北海道小樽市で1982年8月23日、中村琢磨撮影

「戸口から戸口へ」のコンテナは、明るい緑色だった=北海道東部の標津線(1989年廃線)泉川駅、多和駅間で1982年8月24日、中村琢磨撮影

海も大地も広大だ=北海道静内町(現新ひだか町)で1982年8月25日、中村琢磨撮影

釧網本線を走るDE10重連の(客貨)混合列車=北海道斜里町で1982年8月26日、中村琢磨撮影

貨車の両数が少ないのが、妙に似合うDD16=長野県佐久市で1982年9月8日、中村琢磨撮影

DD16ー1号機=小海線・野辺山~清里で1982年11月8日、中村琢磨撮影

鉱石列車は重く、重連も多かった=岐阜県南西部の樽見線横屋駅、東大垣駅間で1982年12月20日、中村琢磨撮影

収穫の田園風景に映える烏山線の秋色のDL=栃木県南那須町(現那須烏山市)で1982年10月23日、中村琢磨撮影

ドローン撮影にあらず。伊田線をボタ山から見下ろしました。遠方の香春岳は、石灰採掘で小さくなりました。「黒ダイヤから白ダイヤへ」といわれた時代ですね=福岡県田川市で1982年12月28日、中村琢磨撮影

青空に機関車が映える=長野県飯山市で1983年1月29日、中村琢磨撮影

天気は、いつ急変するか分からない=長野県飯山市で1983年1月29日、中村琢磨撮影

津軽鉄道はストーブ列車が有名=青森・津軽半島で1983年3月8日、中村琢磨撮影

羊蹄山をバックに走るDD51重連の函館本線急行「ニセコ」。昔は、C62重連で有名だった=北海道ニセコ町で1983年3月9日、中村琢磨撮影

客車列車には、郵便・荷物車も連結されていた=北海道ニセコ町で1983年3月9日、中村琢磨撮影

流氷で埋め尽くされたオホーツク海沿いをDE10重連の混合列車がいく=北海道東部の釧網本線止別駅、斜里駅間で1983年3月10日、中村琢磨撮影

流氷で埋め尽くされたオホーツク海の脇を、客車列車がいく=北海道東部の釧網本線止別駅、斜里駅間で1983年3月10日、中村琢磨撮影

昔は、C62重連「ニセコ」の撮影地で有名だったらしい=北海道蘭越町で1982年3月11日、中村琢磨撮影

厳しい冬の宗谷線をいくDL。国鉄時代には、貨物列車には車掌車(もしくは車掌室付き貨車)が連結されていた=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影

客車が通り過ぎた途端、線路が見えなくなります=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影

パワー炸裂! 雪の塊なんか吹っ飛ばせ!=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影

出発を待つ宗谷本線夜行急行「利尻」=北海道稚内市で1983年3月12日、中村琢磨撮影

昔の客車は、走行中でもドアの開閉は自由、動き出してからでも乗り降りできた=北海道北部の宗谷本線塩狩駅、蘭留駅間で1983年3月13日、中村琢磨撮影

混合列車といっても、客車は1両のみ=北海道留辺蘂町(現北見市)の石北本線・常紋信号場で1982年3月13日、中村琢磨撮影

その昔、「常紋トンネルにはお化けが出る」との言い伝えがあったとか=北海道留辺蘂町(現北見市)で1982年3月13日、中村琢磨撮影

文学青年にも人気があった塩狩峠=北海道北部の宗谷本線蘭留駅、塩狩駅間で1983年3月13日、中村琢磨撮影

コダクロームのマウント=中村琢磨撮影