ジャカルタで20年「東急の中古電車」輸出の舞台裏

東急線の顔が「ジャカルタの顔」に, 「屋根の上まで人」だった時代, 輸出手続きのさまざまな苦労, メンテナンスのサポート体制は, 現地職員を受け入れて研修も, コロナ禍がなければ「追加輸出」も?, 「街づくり」はこれからの課題

末期まで残った元東急8000系・8500系の4本のうちの1本、8610編成の青帯時代の姿。当時は日本時代の字幕を備えており、ファンに人気の編成だった(筆者撮影)

ギンギラギンのコルゲートボディをトレードマークに、長らく「東急線の顔」となっていた8000系・8500系車両。主に東横線、田園都市線、大井町線で活躍してきたが、2023年1月に最後まで残っていた田園都市線の8500系が新型車両2020系に置き換えられて引退し、一部を除いて廃車、解体の道をたどった。

【貴重な写真はこちら】▶全盛期はまるで「インドネシア版田園都市線」のようだった?▶2005年からジャカルタに輸出され、2025年に全車両が引退した元東急の8000系・8500系電車▶約20年間「ジャカルタの顔」として走り続けた姿

一方、それより前の2000年代初めに5000系・5050系といった車両によって置き換えられたグループの中には、国内の地方私鉄に譲渡され、今も現役で活躍している車両もある。国内のみならず、2005年から2009年にかけて、8000系・8500系の計88両は海を渡り、インドネシア鉄道(KAI)に譲渡されジャカルタ首都圏で活躍した。

東急線の顔が「ジャカルタの顔」に

ジャカルタ首都圏では、ほかの日本の鉄道から渡った中古車両もすでに活躍していたが、8000系・8500系は譲渡当時の最大勢力となり、「東急線の顔」は以来約20年にわたって「ジャカルタの顔」として2025年まで活躍した(2026年2月14日付記事『ジャカルタ「日本製電車」地元ファン熱狂の引退劇』参照)。

【写真】まるでジャカルタの田園都市線?2005年からインドネシアに輸出され、2025年に全車両が引退した元東急の8000系・8500系電車。駅構内に市場があり人々が線路を歩いていた譲渡当初から、すっかり近代的な通勤路線に変貌した近年まで、約20年間「ジャカルタの顔」として走り続けた姿

筆者が初めてジャカルタを訪れた頃は、まさに元東急車両の全盛期。朝ラッシュ時の混雑と相まって「ジャカルタの田園都市線」という名がしっくりくるほどだったが、東急の面倒見がいいので車両を扱いやすいというメンテナンス現場の声もよく聞いた。事実、ほかの形式に比べ整備が行き届いており、冷房がよく利くと乗客からの評判も高かった。

2000年代初頭は、鉄道会社の海外事業展開自体がまださほど一般的ではなかった時期だ。中古車両の輸出についても、輸出後にもし事故を起こしたらどうするのかといった反対論も根強かった。そのため、中古車両の輸出は売ったら終わり、日本側は責任を取らない、面倒を見ないという事例が一般的だった。

東急線の顔が「ジャカルタの顔」に, 「屋根の上まで人」だった時代, 輸出手続きのさまざまな苦労, メンテナンスのサポート体制は, 現地職員を受け入れて研修も, コロナ禍がなければ「追加輸出」も?, 「街づくり」はこれからの課題

ジャカルタに集った、昭和から平成初期にかけて日本の首都圏で通勤輸送を担ったコルゲートボディのステンレス車両。その中で元東急の車両(右)は最も長く活躍した(筆者撮影)

【写真】まさにインドネシアの田園都市線?ジャカルタを走る「準急あざみ野行き」の8500系

そんな中、どのようにして東急の車両は海を渡り、しっかりと整備を受けて長年活躍を続けてきたのか。晩年は元JR東日本の205系車両の陰に隠れ、やや不遇な最後になった面もあるが、実は水面下で8500系のさらなる追加譲渡の計画も動いていたという。

東急8000系・8500系はどのような経緯で譲渡され、その後のメンテナンスや部品供給などを含めたインドネシアとの関係はどのようなものだったのか。当初からインドネシアへの譲渡に携わってきた東急国際事業部フェローの太田雅文氏と、東急電鉄鉄道事業本部車両部統括部長の門田吉人氏に聞いた。

「屋根の上まで人」だった時代

――8000系・8500系はどのような経緯でインドネシアに渡ったのでしょうか。

太田:車両を輸出することになる前、2004年ごろにJARTS(海外鉄道技術協力協会)から依頼があって、ジャカルタを訪問する機会があった。当時はすでに元都営三田線の車両や元JR103系が走っていた。当社の8000系・8500系を置き換えるという話になったときに、その行き先として候補になるんじゃないかと思っていた。私は当時、管理部の総括課長を務めていたが、門田もその部署にいて、車両の経験があるということで一緒にやっていくことになった。

――JARTSから依頼があったということは、JARTSとしても輸出できる車両を探していたということでしょうか。

太田:違う。JARTSがKISS-RAIL(キスレール)という、日本の鉄道技術や街づくりなどを含めて海外に輸出できないだろうかということで勉強会のようなものをやっていて、それに参加していた。バリ島で会議があるということで、ジャカルタに寄って鉄道を見た。

朝のラッシュ時に行ったら、屋根の上に人が乗っているような状況だった。当時は冷房も利かないし、ドアも閉まらないような車両だったので、これは日本の中古車両を入れれば少しは改善できるんじゃないかなと感じた。

東急線の顔が「ジャカルタの顔」に, 「屋根の上まで人」だった時代, 輸出手続きのさまざまな苦労, メンテナンスのサポート体制は, 現地職員を受け入れて研修も, コロナ禍がなければ「追加輸出」も?, 「街づくり」はこれからの課題

太田雅文(おおた・まさふみ)/1984年東京大学大学院修士修了後、東京急行電鉄入社。鉄道事業本部運輸営業部統括部長、都市創造本部ビル事業部副事業部長、東急設計コンサルタント取締役専務執行役員都市・土木本部長、東急総合研究所フェロー・主席研究員などを経て2025年10月から東急国際事業部フェロー(写真:本人提供)

――8000系・8500系の輸出は東急電鉄だけでなく、東急車両製造(現・総合車両製作所、J-TREC)や東急建設も巻き込んでのスキームになったそうですね。

太田:最初は商社を介してという話で進めていたが、先方が手を引かれた。当時グループだった東急車両は海外の仕事をすでにやっていたので知見があること、また東急建設はジャカルタに事業所を持っていたので、ボランティア的に協力を得るような形で進めていくことになった。

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まだ残っていた非冷房車(中央)と並ぶ元東急8500系の8608編成(左)と8607編成(右)。この頃は各編成で帯デザインが異なっていた=2009年(筆者撮影)

【写真】末期の8500系。ちょっと東急時代を思わせるすっきりしたカラーリングになり、前面の窓にあった防護網もなくなった

輸出手続きのさまざまな苦労

――自前で輸出の手続きや輸送業者の手配などをするのは苦労も大きかったのではないでしょうか。

門田:輸出するにあたって保証に関する契約や原産地証明など、いろいろな証明書を10ぐらい取った記憶がある。やはり大変な手続きで、こういうことがあるから商社の機能ってあるんだな、などと感じながら担当していた。インドネシア側からは、明日までにハンコをついて持ってきてほしい、みたいな要望もあり、そういった部分は東急建設の方がハンドリングしていた。

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門田吉人(かどた・よしと)/1995年慶應義塾大学大学院修了後、東京急行電鉄入社。元住吉検車区長、事業統括部企画課長、運転車両部車両課長、車両部車両総合事務所長兼東急テクノシステム取締役などを経て2024年から東急電鉄車両部統括部長(写真:本人提供)

太田:東急建設は、本業と直接関係ない話だったがとても協力的だった。最終的にはジャカルタMRT(地下鉄)南北線の工事受注につながっているし、「オール東急」という感じで(車両輸出に)取り組んでいるように見えたところはあると思う。日本語のできる現地スタッフの存在も大きかった。当時、東急建設のインドネシア事務所のスタッフとして勤めていた方が日本語もインドネシア語も話せたので、KAIの人たちともしっかりコミュニケーションが取れたことが大きい。

――会社として事業を進めていくときに、ボランティア的要素だけでは難しい部分があると思います。グループとして中古車両を輸出するメリットはどのような点だったのでしょうか。

太田:東急車両は、中古車両は持って10年ぐらいということで、いずれ新車が売れるんじゃないか、という部分だろう。実際には20年持ったわけだが。東急建設は、やはりMRTのプロジェクトが見えていたという点があると思う。

東急電鉄は当時、8000系や8500系を新車に置き換えていたので、廃車する必要があった。国内の地方私鉄にも譲渡しているが、(車両編成の短い地方私鉄は)運転台がついている車両は買ってくれるが、中間車両は廃棄しなくてはならない運命にある。廃棄するにもコストがかかるので、引き取ってくれるのはありがたいことだった。

なおかつ、譲渡すれば廃棄物をなくして環境にも貢献できる。そのあたりがアピールポイントとして高かったと思う。社内でも前向きに捉えられ、中古車両輸出は「東急グループ環境賞」を受賞した。最初はどこまで責任を持てるんだといった意見もなくはなかったが、やっぱりやってよかったと感じている。

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ドゥリ駅構内にかつて存在した線路市場を進む元東急8000系の8007編成(筆者撮影)

【写真】ジャカルタデビュー当初の8000系。8007編成は東横線で「伊豆のなつ号」として伊豆急行のカラーとなり、そのままのカラーリングで運行開始した

メンテナンスのサポート体制は

――東急の車両は、現地に到着してから1週間も経たずに走り出していたので個人的には驚いていました。それまで中古車両は輸出後の保証などをしないという形で輸出されていた中、東急は外部の商社を挟まずインドネシア側と直接契約したことは、結果的に大きな効果を生んだのではないでしょうか。

太田:年間数編成ずつ輸出していく中で、そのたびにインドネシア側からインスペクション(検査)で1週間ぐらい長津田工場に担当者が来られた。そのとき一緒に、メンテナンスの技術をある程度教えていた。例えば、ドアが閉まり続けるようにするためにはどうしたらいいのかといった情報交換をしっかりと続けていったことが、非常に効いたんじゃないかと感じている。

門田:現地でもメンテナンスをし始めていたので、これどうなの?あれどうなの?といった感じでインドネシアの方はいろいろと質問された。そのつど、できるだけ技術的な面の指導はサポートするよう対応していた。

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オーバーホール中の8608編成(筆者撮影)

――車両の輸出が終わった後も、消耗部品のサプライなどでインドネシア側と関係は続いていたと思います。部品供給などはどのように行っていましたか。

門田:最初は車両と一緒に詰め込んで送っていたが、その後インドネシアが中古の電子部品は輸入禁止と厳格に対応するようになり、輸出できない状態になった。ただ、(205系を輸出した)JR東日本のほうでもJRTM(JR東日本テクノロジー)などを経由して定期検査の部品を入れるような仕組みができていたので、8000系・8500系も定期検査用の新品の部品に限っては輸出できることになった。それでも大変で、2年ぐらいかかった。

――定期検査用の新品の部品を2019年に輸出されていますね。

門田:インドネシア側からJR(205系)の部品はあるが東急の部品がなくて、何とかならないかという話をいただいた。JR東日本から現地(の鉄道)に出向されている方とも交流ができるようになり、J-TRECや東急テクノシステムとも連携しながらなんとか部品を出すことができた。東急建設の現地の駐在所に入札の情報を仕入れてもらっていた。

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高架化前のマンガライ駅で並ぶ8003編成(左)とKCI旧塗装の元JR東日本205系(筆者撮影)

【写真】同じ駅で元東京メトロの7000系と並んだ8000系

現地職員を受け入れて研修も

――事前にインドネシアに人を送って、電車区の中などで必要部品を調査されていましたね。

門田:それは東急建設とJ-TRECのほうでやっていただいた。

太田:東急車両から(JR東日本傘下の)J-TRECになっても、引き続き協力的な姿勢は変わらずやっていただいた。

――ただ、2019年を最後に8000系・8500系の部品供給は終わってしまいましたね。

門田:結局、定期検査用の部品だけではずっとメンテナンスはできない。電子部品をけっこう多く使っているので、部品がないものもある。それでどうしたかというと、一部の車両をつぶして、要は予備品とするような形を続けてこられたという感じだ。

ちょうどコロナ禍に入ったころは8500系をどんどん廃車にしていた時期だったので、インドネシア側では喉から手が出るぐらい欲しかったと思う。しかし、送るにも送れないという状況だった。

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末期まで残った4本のうちの1本である8000系8003編成。12両編成に組み替えられて最後の活躍(筆者撮影)

――2019年の春先には、インドネシアのメンテナンス現場の職員十数人が長津田工場で研修していたと思います。8500系の追加輸出をにらんだものかと思っていました。

門田:2019年3月から4月にかけて、16人を受け入れた。当時は8500系の最後の全般検査ぐらいの時期だったが、台車、ブレーキ、電気など4チームに分かれて2週間びっしりついてもらった。そこでも東急建設のサポートがあり、4チーム全部に通訳も入れてもらった。終了時には「8500系点検のスペシャリスト合格証」みたいなものを手作りしてお渡しした。そこまでやったんですが……。

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オーバーホール中の8608編成の車両。「形式デハ8800」「長津田工」などの文字が見える(筆者撮影)

コロナ禍がなければ「追加輸出」も?

――東急で本格的な研修をやっているとインドネシア側関係者に聞いていたので、次は車両の追加輸出かなと期待していたのですが。

門田:実は、追加で8500系の中古車約200両をインドネシア側が受け入れるにあたって、そのための教育をしてほしいというオーダーが入っており、それで研修をやりましょうということになった。

田園都市線に新車の2020系を入れるので、置き換えられる8500系が200数十両出ますよという活動は2016~17年ぐらいから行っていて、それで研修をやったり、作業手順書を英訳したものを渡してあげたりしていて、インドネシアの皆さんもとても喜ばれていた。

これでもういけそうだなというとき、2020年の2月だったが、現地の役所3つのうち2カ所の方が来られて、あと1つそろえばゴールというときコロナ禍に突入してしまった。状況が厳しいので延期しませんかという話になったまま来られなくなり、われわれも新車はどんどん入れなければいけないので、退役した8500系を置いておける場所もなく、廃車せざるをえなくなってしまった。それで現在に至るという状況だ。

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8500系8618編成。運転台窓の防護網が外された末期の姿(筆者撮影)

【写真】「JALITA」と呼ばれる復刻塗装になった引退直前の8618編成

――コロナ禍さえなければ、別の未来があったかもしれないですね。

太田:そうかもしれない。でも、ジャカルタに行くと本当にインドネシアの国力が上がってきていることを実感する。新車を入れればいいと思うのもわかる。中古車両輸出もあればやってもいいと思うが、今後は東急型の街づくりを海外に輸出するというような話になってくるのではないか。

――ジャカルタで8500系最後の1編成が2025年に引退したことで一区切りになったかとも思いますが、今後、東急グループのインドネシアでの展望はどうでしょうか。

太田:ジャカルタMRTは南北線に続いて東西線の話がある。加えて今、TOD(公共交通指向型開発)という観点では南北線沿線の(ジャカルタ中心部の地域)ブロックMやドゥクアタスの開発がこれから動くので、そのあたりのビジネスチャンスの情報が得やすくなっているという環境がある。車両については、引き続き中古車両の輸出のタイミングがもし合えば、ニーズが合えばというところ。新車の市場開拓については、まだこれからという感じがある。

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「JALITA」と呼ばれる復刻塗装になった引退直前の8500系8618編成。引退記念イベントで展示された最後の1編成だった(筆者撮影)

【写真をもっと見る】約20年間「ジャカルタの顔」として走り続けた元東急の8000系・8500系電車。駅構内に市場があり人々が線路を歩いていた譲渡当初から、すっかり近代的な通勤路線に変貌した近年まで「ジャカルタを走る田園都市線」の姿

「街づくり」はこれからの課題

門田:車両の譲渡といったところだと、出物はないですか?という話も実際にあった。でもまずは国内が優先。(現在引退が進んでいる)9000系は西武鉄道に譲渡するので、次となると3000系(1999年運行開始)以降の車両になってくる。まだ先になるのかなというのはある。

インドネシアに行くとき、東急建設が線路を敷いて、今は違うが東急車両が車両を造って、われわれ(東急電鉄)がオペレーション・メンテナンスをする、これは東急だと一気通貫するよね、などと話していた。今後インドネシア以外でも、いろいろな所でビジネスモデルができるだろうなと思っている。その都度取り組んでいければと思う。

――MRT東西線は郊外の土地に比較的余裕があり、まだ開発されていないエリアを通るので、動き出せばいろいろなビジネスチャンスがあると思われます。

太田:東急株式会社はジャカルタに拠点がなく、駐在員もいない。TOD型の街づくりを東南アジアの都市で行うことについてはこれからの課題になってくると思う。東南アジアの中で、ジャカルタは成長都市のうちの1つ。今後そこをどうしていくのか考えていかなければならないのかなと感じる。