都心在住・月9万円で生きるには? 野菜も買わない、暖房も使わない、生活保護受給者が紡ぐ「パーフェクト・デイズ」
「人生100年時代」は、いつの間にか「幸福な長寿社会」ではなく「老後不安社会」へと姿を変えている。未来に向けて、私たちは何を携えて生きていけばいいのだろう。それはNISAか、貯金か、家族か、人とのつながりか、それとも別の何かか──。さまざまな生き方を手がかりに、「豊かさ」の正体を探っていこう。(フリーライター 若月澪子)
生活保護を受給する「福の神」
米を買っても、野菜を買っても、シャンプーを買っても、パンツを買っても、何もかもがじわじわと高くなっている。しかし、そんなインフレ時代も「どこ吹く風」という人がいた。
「今は生活保護を受けて、都営住宅で暮らしていマス。脳が徐々に萎縮する難病にかかっていて、リハビリもしていマス」
大山のぶ代時代のドラえもんのような声で話すのは、都内在住の「福の神」と名乗る55歳男性だ。
待ち合わせ場所に現れた福の神は、白髪交じりのいがぐり頭。黒いジャンパーに、作業ズボンと黒スニーカー、薄汚れたリュックを背負っている。一目で贅沢な暮らしとはほど遠いとわかるいでたちだ。
「今の生活で困っていることはありますか?」
地球の裏側では戦争がはじまり、われわれの生活はさらに厳しくなりそうな予感。ところが、福の神はゆっくりした口調で答えた。
「困ってないデス。プランターで野菜を育てて、それを食べてマス。服もそんなに買わないし、破れたら繕っちゃう。靴は最初から破れないように当て布するんデスヨ」
福の神は靴を脱ぎ、靴の中のかかと部分を見せてくれた。かかと付近に、アイロンの熱で貼り付ける黒い布が当てられている。
「アイロンを持ってなかったんですけど、ジモティーでヘアアイロンを安く譲ってもらって、それでくっつけました」
障害者認定を受けている福の神は、都心の都営住宅に一人で暮らしている。

福の神は、都心の都営住宅に一人で暮らしている(写真:Kouji_film/イメージマート)※写真はイメージです
原油高などどこ吹く風
福の神の場合、住居費や医療費は生活保護を受けて無料。アパートの共益費や自治会費、電気代・ガス代、下水道料金の一部、食費などは支給される月9万円から負担する。「足りるのか」と聞くと、福の神はゆっくりと答えた。
「食事はサツマイモを5本くらいまとめてふかし、食べない分は全部冷凍しマス。それから化学繊維のテントと布製のテントをもらってきて、それを家の中に二重にして立てて、その中に布団敷いて寝てマス。暖かいから冬でも暖房いらないんデス」
繭玉のような二重のテントに包まれ、この冬は暖房を一度も使わなかったという。
福の神が利用する電気は、1カ月40キロワット。集合住宅で一人暮らしする人の電力使用量は平均180キロワットだというから、恐るべき省エネ力だ。電気とガスは合わせて月に3000円もかかっていないという。
また東京都の場合、生活保護の下水道料金は使用を一定量まで抑えれば料金がかからない。福の神はそれもスゴ技で0円にしていた。
「僕は男だから、トイレの小のほうは尿瓶に溜めて、大をした時に一緒に流すんデス。水道は月に3㎥くらいかな。お風呂も月に数回まで銭湯の補助が出るので、その時しかお風呂に入らない。だから水道代やガス代もほとんどかからないんデス」
東京都水道局によれば、一人世帯の水道使用量は8㎥なので、福の神の使用量は半分以下である。
保護を受けているとはいえ、かなりの節約をしないと都心では生活ができないようだ。ただ福の神の表情は穏やかだった。
「畑」の一角に置かれた謎の容器の中身とは
部屋の間取りは1DK、台所や廊下、ベランダはほぼ野菜作りのプランターで埋め尽くされている。福の神は自宅の室内の写真を見せてくれた。福の神が住む1DKの部屋に、所狭しと置かれた「野菜畑」。都心のアパートは土の香りで満ちている。
「野菜が欲しい時は、ネギとオカワカメをはさみで切って食べています。あとはアロエ、今は獲れないけどイチジク、みかん、レモン、ミントもあります。ゴーヤーはこれから植える。トマトは12月まで収穫できました」

部屋の中の菜園

その2
そして「畑」の一角には、たくさんの容器が置かれていた。
「これはミミズのコンポストです。ミミズの排せつ物で堆肥を作っているんデス。最初はミミズ100匹くらいだったんですけど、今は1万匹を超えている。ミミズは釣りをする人からもらいました。ミミズのエサは段ボールや新聞紙デス」
福の神の部屋の片隅で、静かに時を刻む1万匹のミミズ。彼らについて語る福の神の声は妙にやさしい。

ミミズのコンポスト
春を待っていた福の神
「ゴミがほとんど出ない。なんでも使えるんです。もったいないが止まらない。有機物は全部食べちゃう。捨てるものといえばほとんどビニールですね」
野菜や堆肥づくりのノウハウはどこで仕入れたのか。
「YouTubeです」
福の神はスマホとパソコンを駆使して情報を集めている。Wi-Fiやスマホの通信費は月4000円くらいだという。
福の神は知り合いの会社で清掃バイトをして、月1万5000円を受け取っている。生活保護を受けているとこれ以上は稼げないので、あとは週に数回、彫金の会社でボランティアをし、「報酬」にランチをご馳走になっているそうだ。
それ以外の時間は、「畑づくり」が忙しい。
「これから暖かくなると野菜の種類が増えるので、すごく忙しくなるんデス。もう疲れちゃうくらい」
福の神の「忙しい」「疲れちゃう」は、世のビジネスマンのそれとはどこか違っていた。
ブラック企業が福の神を追い詰めた
そもそも「福の神」が生活保護を受給することになったのは、10年ほど前のこと。
「ジュエリーの彫金をする専門学校を卒業し、アクセサリーの会社に勤めていました。そこでマリッジリングの検品をしていたんデス。でも、途中で引き抜かれた会社がブラック企業で精神を病んでしまって。その頃の記憶があんまりない」
福の神は休職して傷病手当を受けたが、元の体に戻ることはなかった。再就職を模索したものの就職口はなく、貯金はみるみる減っていった。
「あの頃が一番つらかったデス。貯金も仕事もなく、動く気力もなくなって。もう死のうと思って」
貯金が底をつく恐怖。生きられないかもしれない絶望。しかし同じような不安は、お金を持っている人にも存在する。
先日取材した大企業を退職したある60代男性が、こんなことを言っていた。
「老後には9000万円は必要だと思う。いつまで生きるかわからないのに、物価がどこまで上がるかもわからない。それくらいの準備をしておかなければ」
この60代男性は退職金の2000万円を国内株式ですべて運用(一部NISA)運用し、すでにかなりの運用益を出していたが、それでも老後不安が拭えないようだった。
昨年末、日本の家計金融資産は過去最高額を記録している。若者の中には生活費を切り詰めてまでお金を投資に回す「NISA貧乏」が増えているという。「老後2000万円問題」が一時話題となったが、それだけでは済まないという不安が世代を問わず広がっている。
しかし、わずかなお金で生き延びる福の神は満ち足りて見える。数千万円の資産がある人に、将来不安が消えないのはどうしてなのか。
「豊かさ」ってなんだっけ?
かつては人生のどん底にいた福の神。それでも生活保護を受けてまで生きることには、抵抗があったという。
「死ぬつもりで家の中のものを全部処分したんデス。冷蔵庫、洋服、布団、パソコン以外のものをすべて捨てた。でもスッキリした部屋を見た時に、ああもう少し生きてみようかなと」
すべてを手放した時、人は本当に大切なものが見えるのか。
「子どもの頃に父親がアル中で、生活保護にお世話になった時期があるので、他の人よりは生活保護に抵抗がなかったかもしれません」
生活保護には「嫉妬」や「不公平感」を覚える人もいる。しかし福の神は、生存戦略として生活保護を選んだ。
実は福の神に取材を申し込んだ時、筆者は「物価高の限界生活」のような記事を書こうとしていた。しかし福の神の日常は、その「思惑」を完全に裏切るものだった。
今の福の神には自分の人生をコントロールしている自負があるが、私たちは「未来への不安」から自由になれない。一体「豊かさ」の正体とは、何なのだろうか。
若月澪子(わかつき・れいこ) NHKでキャスター、ディレクターとして勤務したのち、結婚退職。出産後に小遣い稼ぎでライターを始める。生涯、非正規労働者。ギグワーカーとしていろんなお仕事体験中。著書に『副業おじさん 傷だらけの俺たちに明日はあるか』(朝日新聞出版)がある。
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