メガソーラーでも山林減少でもない…クマ大量出没の“本当の理由”

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2024年頃から突如クマが人里に現れるようになり、日本列島はパニックに陥った。メガソーラーの設置や山林の減少でクマの住める場所が減ったのが原因とよく言われているが、むしろクマの生息地は広がっているという。クマが人間の生活圏に侵入し始めた本当の理由を専門家が解説。※本稿は、生態学者の小池伸介『クマは都心に現れるのか?』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
ドングリにありつけない
クマが山から下りてくる
2024年には兵庫県や近畿地方でクマの大量出没があったが、その理由は、クマの秋の主要な食べ物であるブナ科の果実、一般的には堅果類とも呼ばれる、いわゆるドングリの凶作の影響である。
ドングリと呼ばれるコナラやミズナラの果実は、晩夏から秋にかけてのクマの主な食べ物であり、これらの凶作が秋の大量出没の鍵になる。
2025年の北東北地方では、ブナもコナラもミズナラも、クマが常食するドングリがどの種も軒並み凶作だった。まるで凶作のゾロ目が出たような状態となったことで、山の中のクマの食べ物の量が極めて少ない状態であった。さらに、秋田県ではミズナラがナラ枯れ(カシノナガキクイムシが媒介するナラ菌という病原菌による枯死現象)で、そもそもドングリの実りを測定できなかった地域もあった。
ナラ枯れは2000年代以降、日本海側を中心に拡大している森林病害で、ミズナラやコナラなどのブナ科樹木を枯死させることもある。枯死した木では当然ドングリの生産ができないため、ナラ枯れの拡大もクマの食物環境に直接的な影響を与えた可能性がある。
2024年は、兵庫県や近畿・西中国地域においてもミズナラが軒並み凶作だった。クマが出没する前の段階から、その年は危ういのではないかという予測が発表されており、その結果として通常は出現しない場所にクマが現れたり、通常は近付かない集落内のカキの木に近付いたりする事態が発生した。
秋田県で起きているような庭先への出没が、当時も近畿地方でちらほら見られた。ただし、全国的なニュースにはならなかった。近畿地方では報道がなされ、出現した個体の駆除も実施された。駆除数は例年と比較して多かったが、これは大量出没を踏まえた行政側の対応である。ドングリが実らないことが事前にわかっていたため、出没が予想されるとの共通認識が行政と住民にあった。
実際に出没が始まってからも、果樹の管理や夕暮れ時の外出を控えることをより徹底してほしいという呼びかけがなされた。通常、出現しない場所に現れた個体については、粛々と駆除を進めていく対応が取られた。
規模の大小はあるものの、どの地域においても秋の山の実りが悪い状況になると、通常とは異なる数のクマが出没する現象が起きる。つまり、ドングリの凶作が大出没を引き起こすという基本的なメカニズムは、全国共通である。
しかし、興味深いことに、その発生年は地域によって異なる。
なぜ特定の地域にだけ
クマが大量出没するのか
秋のクマの大量出没の地域的なズレには、いくつかの要因が複合的に関わっている。
第一に、樹種によって木同士で実りの程度を同調させる範囲が異なる。例えば、北関東ではミズナラだと約7km以内、コナラだと約4.5km以内の木同士は、似たような実りの程度になる一方で、東北地方のブナでは100kmを超える範囲内の木同士で実りの程度を同調させる(Suzuki et al. 2005, Masaki et al. 2020)。
つまり、地域や樹種によっては、ある山では凶作だが、隣の山では豊作といった状況が起きる。凶作の広がりがクマが移動できる範囲内であれば、クマは食べ物が存在するところまで移動すれば済む。しかし、たまたまこの山も隣の山も、その隣の隣の山も凶作といった状況になると、クマの移動できる範囲を超えてしまうことになる。
第二に、地域によって秋のクマのメニューが異なる。日本列島は南北に長いため、地域によって森に生育する木の種類は異なる。そのため、クマの秋の主食となるドングリの種類も異なり、それぞれの地域で大量出没の鍵となる食べ物も異なる(森林総合研究所2011)。
第三に、樹種によってドングリの豊作と凶作のパターン(間隔)が異なり、ある種は豊作と凶作を1年おきに、ある種は3年に1回の頻度で豊作を迎える(Shibata et al. 2002)。
ある種のドングリが凶作であっても、森には何種類ものドングリが存在するため、他の種類のドングリが実ればクマとしては森で食べ物を確保できる。つまり、何種類ものドングリの凶作が重なることで、森の中のクマの食べ物の量が極端に低下し、大量出没が誘発される。
さらに、地域ごとに生育するドングリの種類の組み合わせが異なることで、凶作のゾロ目が出るタイミングも変わる。
ドングリの実り具合で
クマの出没は予測できる
大量出没は全国一斉に起きているわけでもなく、年、地域によって状況は異なるので、それぞれの状況に応じた対応を考えることが大切である。その上で、地域による行政の情報収集体制および発信体制の違いが、実際の大量出没に伴う様々な被害の発生量の違いにも結びつく。
事前にドングリの豊凶情報を発信することで、クマの出没を予測、警告し、住民の行動変容を促すことができれば、被害を未然に防げる可能性が高まる。そのため、大量出没年の被害に関する統計数値の増加には「実際の出没増」と「捕捉・通報体制の強化」が複合的に関与している可能性がある。
つまり、クマの秋の大量出没およびそれに伴う被害の地域差は、生態と社会の複合システムによって生じていると考えられる。
しかし、ドングリの凶作の影響だけでは、2025年の事態の本質は理解できない。そのためには、なぜクマの分布域が拡大し、人里近くまで進出するようになったのか、なぜ人に対する警戒心が低下したクマが現れるようになったのか、この問いに向き合う必要があり、その答えには、より長期的な視点が必要になる。
なぜなら、後述する個体数の増加と分布域の拡大、人間側の環境変化(農山村の過疎・放置地増加)といった要因が、被害を加速度的に増加させてきたからだ。戦後80年をかけて、日本の山と人とクマの関係はどう変わってきたのだろうか。
クマの住める場所は
むしろ広がっている
クマが人の前に出現するようになった現象の原因や背景について、広葉樹林が針葉樹人工林に変わったせいだとか、山中に設置されたメガソーラーが影響しているのでは、といったこともよく耳にする。
つまり、クマが生息する山林の環境が悪化し、生息環境を奪われたクマたちが仕方なく人間の前に姿を現しているというわけだ。だが、日本の山林面積自体は減ってはいない。増えても減ってもいないのだ。
人工林自体は、1980年代ぐらいまでしかほとんど大規模な造林はなく、80年代以降の面積は変わっていない。確かに伐採はするが、昔のように極端な伐り方はしない。
1960年代以降の拡大造林の結果、人工林が増えたせいでクマが住む場所がなくなったという意見について言えば、たしかに1980年代、1990年代にクマが置かれていた環境に影響を及ぼしたのは事実だろう。しかし、今の状況を作り出した原因に関して、人工林の増減はほとんど関係ない。
奥山、つまり昔からクマの生息地とされる環境は今もほぼ変わらない。クマが奥山に押し込められていた時代であっても、それでも人はかなり山の奥まで入り込んでいたし、そうした環境でもなんとか耕作して農作物を育てていた。それが、ずっと続いてきたのが中山間地域であるし、多少の山であっても林業もするし農業もするのが日本人だ。山のかなりの傾斜地でも耕作地にして頑張ってきた。昔からそういう山の使い方をしてきており、クマとの関係はずっと変わらなかった。
また、「里山がなくなったせいだ」と言われることもある。里山というときれいな響きに聞こえるが、実際は斜面にへばりついて耕作してきたのが日本各地の農業の姿である。平地があって奥山があって、その間のところになんとか畑を作り、みんなで頑張って耕作してきた。
人間とクマの間にあった
「バッファー」が消失
ただ、この50年で大きく変わったのは山の中身、つまりどこが森で、どこが耕作地かという内訳が大きく変わったのである。この40年から50年の間で日本社会が大きく変わり、少子高齢化や都市圏への一極集中による過疎化、自然資源への依存の低下などが起こった。
昔であれば、山菜やキノコだけでなく、薪、柴、堆肥(たいひ)にする落ち葉を取りに人は山に入っていたが、次第に人は山に入らなくなっただけでなく、中山間地域から撤退し、山から人は姿を消していった。耕作地は手入れがなくなり、農作物を作らなくなればそこは耕作放棄地になる。耕作放棄地の面積は、日本で徐々に広がってきている。耕作という作業は、土地が森に戻ろうとする流れを止め続ける作業である。耕作放棄地が森に戻っていくことで、クマを含む動物が住める場所が広がっていった。
実際に、ツキノワグマの場合、過去40年間で耕作放棄地が広がったところに分布がじわじわと広がってきた。人工林が増えたというより、ただ人がいなくなった場所が森に戻っていっただけである。植林をするわけでもなく、ただ自然の摂理に合わせて森に戻っていく。さらに、木々は炭や木材などとして伐採されることもなく、ただ放っておかれることで成長する。成長した木々は、クマの食べ物となる果実を多く実らす。
「山の総面積」は変わっていないが、「山の質」はクマをはじめとする野生動物にとって向上し続けてきた。
かつては奥山にクマがすみ、平地に人が住み、中山間地域に人がいて林業や農業をしており、その中山間地域がクマと人を隔てるバッファー(緩衝地帯)になっていた。
しかし、農業人口の高齢化と後継者不在、過疎化などによって中山間地域が消失し、バッファーとして機能していたエリアがなくなってしまった。一方、動物たちはしたたかに、人がいなくなったところに分布を広げていく。その結果、人とクマの間の物理的な距離が縮まってきた。人とクマの居住地が隣り合うような、あるいは重複するような状況が各地で生じてきたのである(図3)。

同書より転載
街の近くで生活する個体は
人間への警戒心が低くなる

『クマは都心に現れるのか?』 (小池伸介、扶桑社)
そして、奥山と人里の間に存在していた「人間が利用する空間」が消えることは、クマと人との物理的な距離だけでなく、山から人間の気配が消えたという意味で、クマにとっての心理的な障壁、両者の間にあった緊張感も徐々に薄れてきたと思われる。
人の生活圏と隣接して生活してきたようなクマは、世代交代していく間に、奥山にいるクマに比べて人への警戒心が下がってきた可能性がある。
注意したいのは、警戒心が下がることは、イコール凶暴化ではない。以前は警戒していた人に対し、警戒もせず、脅威とも思わないようなクマが増えてきているのではないかという意味だ。