【桜至郎の競馬こばなし 縦〝桜〟無尽】ナカヤマフェスタの現役時代を振り返る 心肺機能の高さを印象付けた不良馬場の日本ダービー 「脱鞍所に帰ってきたときにケロッとしていた」

2009年の日本ダービーで4着に入ったナカヤマフェスタ(奥のゼッケン7番)
今週は先日、シリーズ『〝名馬の背中〟を知る』の第3回で取り上げたナカヤマフェスタの続編です。担当していた堀内岳志調教師(当時、二ノ宮敬宇厩舎で調教厩務員)にたっぷりお話をうかがい、デビューから3歳暮れまでの紆余(うよ)曲折を振り返りながら、知られざるエピソードをお届けします。
ナカヤマフェスタがデビューしたのは2008年11月2日の東京芝1600メートル。単勝3番人気とまずまずの期待を背負ったデビュー戦は、ゴール前で強烈な決め手を発揮して初陣を飾りました。堀内師は「クビ差だったんですけど、かなりありえないポジションから差し切ってすごく内容が良かった。デビュー前からGⅠを勝つだろうな、とまでは思わなかったけど、走るだろうなとは思っていました」と当時の印象を振り返ります。

東京スポーツ杯2歳Sで重賞初制覇を飾ったナカヤマフェスタ(右)
その期待通り、2戦目の東京スポーツ杯2歳Sではのちの朝日杯FSで3着に入るブレイクランアウトをクビ差退けて重賞初制覇。翌年のクラシックが楽しみになるパフォーマンスを見せました。その後は年明けの京成杯に出走しますが、故障馬の影響を受けてクビ差2着と惜敗。その際に背中をひねってしまい、結果として1冠目の皐月賞は京成杯からの直行になってしまいました。「(皐月賞のデキは)6、7分くらいだったんですけど、アンライバルドが後ろから追い込んできたような差し有利の展開で先行して8着に粘った。改めて能力があることを再確認できました」。敗れたものの、確かな手応えを得たフェスタと堀内師。使った上積みも見込める状態で、ホースマンとしての最高峰である日本ダービーに挑みました。

菊花賞に向けて調整中のナカヤマフェスタ。少しずつ歯車が狂い始めていた
「すごく状態が上がってのダービーでしたが、スタートで出遅れて。それと皐月賞とは違い、今度は前有利の展開になった。後方から4着まで追い込んできたんですけどね…」と悔しそうに振り返ります。ただ、世代上位の能力を示したうえに「脱鞍所に帰ってきたときにケロッとしていたので、相当な心肺能力を持っているなと思いました」と今後に向けての手応えをつかんだ一戦でした。
しかし、ここから少しずつフェスタの歯車が狂いだします。ひと夏を越して迎えた秋初戦は、菊花賞トライアルのセントライト記念に出走。春2戦のうっぷんを晴らすように快勝し、重賞2勝目を飾りましたが、レース後に主戦を務める蛯名正義騎手(現調教師)から、気になる発言があったそうです。
「馬がおかしい。進んでいかないし、反応も良くなかった」
堀内師はこの言葉を聞いて「勝っていたので、最初は何言っているんだと思った」と振り返りますが、次走の菊花賞では距離や輸送も影響したのか12着、続く中日新聞杯では得意としている中距離の2000メートルでも思うような結果が出せず、13着に大敗しました。
「中日新聞杯のレース中に頭を上げて前に進んでいかなかったんです。それを見たときに馬が走るのを嫌がっているなと思いました。結果的に兆候はセントライト記念から出ていたんですけど、菊花賞、中日新聞杯の2走で気づいて。このままレースを使っても走らないと思ったので、調教師と相談して一旦リフレッシュさせました」
3歳シーズンの終盤は不本意な結果に終わったナカヤマフェスタ。どのようにして復活の4歳シーズンを迎えたのか。次回に続きます。(東京サンケイスポーツ・吉田桜至郎)