ボディービル大会3連覇した58歳、荻島順子さん「競技と出合い人生変わった」

3連覇した日本選手権の規定ポーズの一つ「フロントダブルバイセップス」。大会4日後の撮影で、見事な筋肉美を披露してくれた=昨年10月、東京都渋谷区(鴨志田拓海撮影)

53歳から女性ボディービル競技の日本最高峰の大会に挑戦して頂点に立ち、昨年3連覇を果たした。普段は主婦として家族を支えながら、トレーナーとしても活躍。地域の交通安全運動にも尽力するなど多彩な顔を持つアスリートだ。(聞き手 大渡美咲)

家族の応援が励みに

キレキレの肉体の荻島順子さん=昨年10月、東京都渋谷区(鴨志田拓海撮影)

息子3人の子育てが落ち着いてきたので、昔からやっていたトライアスロンを再開しました。筋力トレーニングは筋肉がつきすぎるかもしれないと思って避けていたのですが、けがをしたので、リハビリの一環として始めました。

そのとき、トレーナーからボディービル競技の一種目である女子フィジークの大会への出場を勧められ、参加したところ、(令和3年の)マッスルゲート新人戦で優勝し、日本最高峰の「日本女子フィジーク選手権大会(日本選手権)」でも8位に入賞しました。理想の体を追い求めていきたいと思うようになり、本格的にトレーニングを行うようになりました。

ダンベルを持つ荻島順子さん=昨年10月、東京都渋谷区(鴨志田拓海撮影)

《フィジークは筋肉のバランスやポーズ、髪形など自然体の美しさがトータルパッケージで評価される。競技歴3年目の5年に、日本選手権で初優勝した》

ボディービル競技はいかに自分と向き合えるかが重要です。トレーニングも食事もボディービルが中心の生活になります。苦しいと感じることもありますが、楽しみながらやることが一番大事だと思っています。

始めたころは家族に理解してもらえませんでした。しかし今は、日本選手権にも家族で来て、声を出して応援してくれています。「お母さん!」と興奮して叫び、ほかの観客に振り向かれたこともあったそうです。今では応援が励みですし、幸せだなと思います。

原宿署が開催する交通安全教室。地域の小学生に自転車のルールやマナーを教えた=昨年9月、東京都渋谷区(相川直輝撮影)

交通安全見守る母の顔も

《警視庁原宿署の交通安全の団体「原宿ヤングミセスの会」で会長を務める》

息子たちが東京都渋谷区の小学校に通っていたころから、PTAなどを通じて学校や地域とつながるようになりました。地元を管轄する原宿署の交通安全運動として朝の通学の見守りやチラシ配りなど、さまざまなボランティア活動をしています。

息子たちは地域に育ててもらったと思っています。都会だからこそ、子供を守るのは地域の大人の役割が大きいと感じます。

5年6月にヤングミセスの会の会長になってからは「楽しく」をモットーに活動しています。私もそうですが、子供が学校を卒業してからも続ける人もおり、会員数は増えています。「やらなければ」と言われてやるのではなく、皆がやりたくなるような活動を心がけています。

迷わず踏み出す一歩を

《7年は日本選手権3連覇、スペインで開かれたIFBB世界フィットネス選手権女子フィジークマスターズで2連覇を果たした》

昨年はけがのためトレーニングがまったくできない状態が4カ月ほど続きました。一から体づくりをするつもりで、トレーニングに臨みましたが、苦しい時期が続きました。出場できないかもしれない状態を経ての優勝だったので、本当にうれしかったです。何より支えてくれた方々に、優勝した姿を見てもらえたことが一番でした。

《人生の後半戦に迷う人にメッセージをお願いします》

子育ても終わり、これからは自分の方を向いていけるという時期にこの競技と出合い、人生が変わりました。怖がらずに自分で一歩を踏み出したからこそ、今の自分があると思います。やってみたいことや心に残ることがあったら、迷わずに一歩を踏み出してください。何かが変わると思います。

荻島順子

おぎしま・じゅんこ 昭和42年、千葉県生まれ。学生時代は陸上競技、社会人ではトライアスロン競技に打ち込み、ボディービルにつながる。結婚後は主婦となり、子供の小学校のPTA副会長や水泳指導員を務める。渋谷区スポーツ推進委員連絡協議会の委員。家族は夫と3人の息子。