慶応と渋幕にリベンジ合格した肉乃小路ニクヨさん、入試で落ちても「諦めの悪さ」を活力に

優しく語りかけながら撮影に応じる肉乃小路ニクヨさん(酒井真大撮影)
経済愛好家の肉乃小路ニクヨさん(50)は中学と高校の入学試験で本命校に不合格。辛酸をばねに大学入試では、高校で受験に失敗した慶応に〝リベンジ合格〟を果たした。肉乃小路さんは「失敗して諦めたら、そこで終わり。私は諦めが悪いんですよ」とほがらかに語る。
小学6年生の頃から進学塾に通い、周囲に誇れる中学校を目指しました。それで千葉市にある中高一貫校の渋谷教育学園幕張中学・高校(渋幕)を受験したのに、結果は補欠で不合格でした。
地元の公立中学に入学してすぐ、進学塾に通いました。進級してからは生徒会の副会長となり人前で話したり、文章を書いたりする機会に恵まれました。それで、文章をよく読み返したり構成を考えたりするようになりました。するとテストでも出題者の意図をくみ取れるようになり、国語の成績がアップしました。

肉乃小路ニクヨさんは「不合格でショックを受けた」とあえて陽気に振り返る(酒井真大撮影)
高校受験でも渋幕に再挑戦することにしました。ほかに慶応、慶応志木なども受けました。母に「慶応大のボート選手はかっこいい」と吹き込まれていたからです。慶応大出身の藤田元司さん(プロ野球の元巨人軍監督)の賢さにも小学生時代から憧れていました。
高校受験で無念晴らす

鋭い視線を向ける肉乃小路ニクヨさん(酒井真大撮影)
高校受験で、渋幕に合格。中学受験での無念を晴らすことができました。でも慶応と慶応志木には落ち、ショックを受けました。
それで渋幕に進学したばかりの頃は気力を失い、同級生とまったく話しませんでした。転機が訪れたのは1年の1学期の終わり頃。クラスのレクリエーションで、椅子取りゲームの一種の「フルーツバスケット」をする機会があり、席を確保できなかった私は歌唱を求められたんです。中島みゆきさんの「悪女」を歌うと、面白がってくれた同級生たちから話しかけられるようになって打ち解けました。友人や先生に恵まれ、この高校のおかげで私は変わることができました。勉強の仕方も変え、期末試験や模試などを受けたら必ず、その日のうちに試験内容を復習するようにしたんです。すると偏差値が上がりました。

受験生をはじめ、勉強に励む人たちへのメッセージを書いた色紙を持つ肉乃小路ニクヨさん(酒井真大撮影)
作家や学者の文章にも親しみました。好きだったのは堺屋太一さんが産経新聞で連載していた評論「風と炎と」。慶応大湘南藤沢キャンパス(SFC)設立を推進した加藤寛さんの考えにも共感し、大学受験ではSFCにある総合政策学部と環境情報学部を目指すようになりました。
入試科目は選択制で、私が選んだのは小論文と英語。創設間もないタイミングで、全ての過去問を解きました。考える時間がもったいないので、過去問の1回目は解答を見ながら取り組むのが私の流儀。それで試験の流れや内容、出題者がどんな力を試したいのかという意図を把握し、2回目以降は解答を見ずに解くんです。
小論文の模擬試験は片っ端から受けました。目に留まる良質な言葉を自分でも使うようにしました。新聞やニュース番組をよく見ていたので時事にまつわる小論文は得意。高校3年生頃から通い始めた大手予備校の自習室も活用しました。
喜びを表に出さなかった
大学受験の当日はテスト開始直前まで過去に解いた問題集や英語の単語帳などを見直しました。そうすることで落ち着きました。
合格発表は一緒に受験した男友達2人と見にいきました。でも2人は不合格。私は総合政策学部に落ちて環境情報学部に受かりましたが、喜びを表に出しませんでしたよ。過去に不合格を何度も突きつけられてきたので、友達の心の痛みにも親身に寄り添いたかったんです。
その後、総合政策学部に転学部も果たしました。より社会学的に横断して学びたかったからです。失敗して諦めたら、そこで終わりだと思うんですが、自分の過去を振り返ると、実に「諦めが悪い」ですよね。受験を通し、そんな自分の性質も分かった気がします。(竹中文)
肉乃小路ニクヨ
にくのこうじにくよ 昭和50年生まれ、千葉県出身。渋谷教育学園幕張高校をへて慶応大総合政策学部卒。証券会社や銀行、保険会社でキャリアを積み、経済について独自の視点で語る。2月26日に著書『育つ、育てる。対話力 話し下手が強みになるニクヨ式会話術』(KADOKAWA)を発売。3月21日に「女装30周年記念 プレミアムランチ&ディナーショーin幕張」を千葉市のホテルニューオータニ幕張で開催する。