母が残した最期の言葉「私に時間を使わなくていい」 スキージャンプ銅メダルの丸山希は、葬儀に出ないで競技を続けた 「今もどこかで見てくれている」

ミラノ・コルティナ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ女子個人ラージヒルを終え、母信子さんの写真を撫でる丸山希。右は父守さん=15日、イタリア・プレダッツォ(共同)
2017年1月、スキージャンプの丸山希(27)は、初めて代表に選ばれたワールドカップ(W杯)を前に、札幌に滞在していた。ところが、がんで闘病中の母、信子さんが亡くなったと連絡を受け、あわてて長野県の自宅へ。悪天候で飛行機が飛ばず、船や電車を乗り継いでなんとか帰り着いた時、父の守さんが告げた。
「次の日の札幌行きチケットを予約してある」
驚く丸山に、父は理由を説明した。母は亡くなる直前、こう言い残していたのだ。
「私のことに時間を使わなくていい。自分でつかんだ権利を無駄にしないで」
母の思いを知った丸山は葬儀に出ず、W杯に戻った。
あれから9年。ミラノ・コルティナ冬季オリンピック代表になった丸山は、ノーマルヒルと混合団体で銅メダル2個を獲得。母への思いがあふれた。
「お葬式に出なかったからか、『いない』っていう感覚がぼんやりしている。今もどこかで見てくれているんじゃないかなって」(共同通信=久納宏之)

女子個人ノーマルヒルで銅メダルを獲得した丸山希の1回目の飛躍=プレダッツォ(共同)
▽厳しい母「何かで一番になりなさい」
丸山は長野県野沢温泉村で民宿を営む両親の元で育った。スキーが盛んな地域で、実家から数分の距離にはジャンプ台があった。小学1年で競技を始め、学校が終わると兄と姉の3人で通う日々。県内の強豪・飯山高スキー部に進み、オリンピック出場を目指して練習を重ねた。
丸山にとって母は厳しい人だったという。 「ずっと怒られている記憶が多い」
ただそこに、母の思いを感じていた。
「私は兄や姉に比べて勉強もできなかった。その点は母も諦めていて『何かで1番になりなさい』って言われていた」

女子個人ノーマルヒル 2回目の飛躍で着地を決め笑顔の丸山希。銅メダルを獲得した=プレダッツォ(共同)
▽男子に負け、泣いて悔しがる
周囲の人々は、子どもの頃の丸山について、こう口をそろえる。
「とにかく負けず嫌いだった」
小学生時代に教えた野沢温泉スキークラブの笹岡洋介コーチは、こんな場面が印象に残っているという。
「小学生って男女の区別なく一緒なんですけど、長野県の大会で4位になって泣いていましたね。男の子に負けて悔しくて。もともとすごく気が強くて、負けず嫌いでした」
高校の同級生、栗田将喜さんは「日々の積み重ねを怠らない努力家だった。体重制限とか厳しいけど、希はきっちりストイックにやっていた」。
丸山自身は、後に地元に寄せたビデオメッセージで当時をこう振り返っている。
「ジャンプ部に入ってからは練習がつらく、よくコーチに反抗してけんかした。それでもジャンプを続けることができたのは、根気強く指導してくださったコーチの皆さんのおかげ」

女子個人ノーマルヒルの2回目の飛躍を終え、(左から)高梨沙羅、伊藤有希と抱き合う丸山希。銅メダルを獲得した=プレダッツォ(共同)
▽「人間いつかは終わりが来る」
母が亡くなったのは高校卒業を間近に控えた時だった。自宅で一泊だけしてW杯に戻ったが、予選落ち。「負けたっていうか、どんなジャンプをしたかも自分で覚えていない。けっこう記憶がない感じ」
丸山にとって母は、ジャンプを一番近くで見てもらいたい存在だったという。
「その母の死を経験して、人間いつかは終わりが来ることを感じた。だから頑張れる時に頑張りたいという気持ちが強くなった」
その後も競技に打ち込み、明治大、北野建設と進んで国内のトップ選手に。夢だったオリンピックに近づいたが、2022年の北京大会は、前年10月に負った左膝の大けがで出場がかなわず。4年後の今大会で、ついに飛ぶことができた。

女子個人ノーマルヒルで獲得した銅メダルを手に、笑顔の丸山希=プレダッツォ(共同)
個人のノーマルヒルに加え混合団体でもメダリストになり、15日のラージヒルが今大会の最後のジャンプ。駆け付けた父は、母の遺影を胸に抱き、娘の最後の飛翔を見守った。結果は8位だったが、丸山は笑顔で大会を終えた。
「まさか母も、自分の子がメダリストになるとは思っていなかったと思う。メダル取ったよって伝えたいです」
柔和な微笑みをたたえて父の元へと歩み寄り、写真の中の母をそっと撫でた。