明治創立の女子校が「通信制」併設、卒業生の筆者も驚いた「共学化」ではない選択―きっかけはベテラン教員の切実な願い
少子化やジェンダー平等意識の高まりなどを背景に、高校の共学化が加速している。福岡県では、スポーツ強豪校として知られる東福岡高校が2025年4月に共学化し、県内から男子校がゼロになった。男子校に一歩遅れる形で女子高の共学化も活発化している。
【写真】筑紫女学園の外観
こうした激変のなか、筆者の母校で創立119年の歴史を持つ筑紫女学園高校(以下、筑女)が25年、全国的にも珍しい「通信制の女子高」を設立した。
昭和初期に導入したセーラー服を現在も制服として採用し続けるなど、伝統・保守のイメージが強い同校が「通信制」を設置するのは、卒業生の筆者から見て共学化よりも不思議な選択だった。
取材を進めると「不登校の生徒の選択肢を広げたい」と願うベテラン教員たちの切実な思いが見えてきた。
コロナ禍後に増えた不登校相談
筑女に通信制課程の設置を最初に提案したのは、保健体育を担当する森田雄英教諭(61)だ。広報担当として毎年50以上の中学校や塾を訪問する中で、不登校の生徒を巡る相談を受けることが増えた。
「特にコロナ禍以降ですね、中学校や塾の先生から『うちに不登校の女子生徒がいるけれど、勉強も頑張っているし受け入れてもらえないか』『成績優秀で、塾には通えるけれどなぜか学校に行けない。どうしたものか』と不登校の話が頻繁に出るようになりました」(森田教諭)
生徒の不登校は森田教諭にとっても「心のしこり」だった。公立中は登校しなくても卒業できるが、高校は出席日数や定期試験の点数が基準に達しなければ進級できない。
筑女に勤務して34年になる森田教諭は、不登校で出席日数が足りなくなり、学校を去っていく生徒を何度も見送ってきた。

通信制の設置を最初に提案した森田教諭(写真:筑紫女学園)
不登校の中学生を受け入れたとしても、高校で休みがちになれば卒業は難しい。
「仏教の教えを建学の精神とし、誰一人置いていかない教育を志向するわが校は、もっとできることがあるのではないか……。心苦しさを抱えていました」(森田教諭)
森田教諭は22年、校長ら学校幹部に通信制課程の設置を提案した。その選択肢に行き着いたのは20代のころ、福岡県の定時制高校で3年間勤めた経験があったからだ。
「女子高で夜間の定時制は難しいかもしれない。でも通信制ならと思ったんですよね。通信制があれば、うちの全日制を続けられなくなっても環境を大きく変えずに学校生活を送れる。残り少ない教師生活、心残りがないようにしたかった」(森田教諭)
しかし同僚たちの反応は薄かった。
「卒業生ならわかるでしょうが、筑女に通信制を作るというのは、中の人間からしても『突飛(とっぴ)』な発想なんですよ」(森田教諭)
伝統校と通信制のギャップ
1907年(明治40年)設立の筑女は、幼稚園、中高大学を擁する老舗の女子校だ(幼稚園は共学)。
高校は駅伝強豪校として知られ、小柳ルミ子(中学)や山本美月(高校)など多数の芸能人を輩出している。国公立大に毎年60人以上の合格者を出す進学校としての顔も持つ。

憩いの場になっている中庭(写真:筑紫女学園)
仏教の教えをベースとした規律と伝統を重んじる校風が女学校時代から受け継がれ、1927年(昭和2年)ごろに制服として採用されたセーラー服は、マイナーチェンジしながら現在まで維持されている。
筆者が高校生のころ、長い髪を下ろして制服姿で商店街を歩いていたら、卒業生を名乗る女性に「筑女の生徒なら三つ編みにしなさい」と注意されたこともある。
校則は時代とともに見直されたそうだが、昭和どころか明治の香りすら残す学校と、令和の時代に台頭した通信制は、水と油のような取り合わせにも見える。

筑紫女学園高校は明治時代に女学校として開設され、119年の歴史を持つ。全日制課程の制服は伝統的なセーラー服(写真:筑紫女学園)
「そんな簡単にできる話じゃない、と言われたのははっきり覚えています」と森田教諭は苦笑した。
通信制のブラックボックス
「そんな簡単にできる話じゃないと言ったのは私です」
そう話すのは筑女中高で経営、人事、事務を統括する福冨真悟事務長だ。しかし福冨事務長も、内心では通信制高校に関心を抱いていた。
「教員向けの合同採用イベントに参加すると、通信制高校のブースが大盛況なんです。教員=ブラック職場のイメージが定着する中、通信制は『教育の革新』『教員の負担軽減』をアピールして教員志望者の人気を集めていました」(福冨事務長)

福冨事務長(写真:筑紫女学園)
森田教諭の提案を機に、福冨事務長は文部科学省や自治体の統計を分析したり、保護者として入学説明会に参加したりするなど通信制高校の情報収集を始めた。そこで突き当たったのは、「広域通信制」というブラックボックスだった。
「通信制高校の生徒数を調べると、福岡県は高校生人口に対してかなり少ない。最初は福岡は通信制に通う生徒が少ないのかなと思ったのですが、実は違ったのです」(福冨事務長)
あまり知られていないが、通信制高校には狭域通信制と広域通信制があり、前者は「学校がある都道府県と隣り合う1つの都道府県」に在住する生徒を募集対象とするのに対し、後者は3つ以上の都道府県から生徒を募集できる。
そして広域通信制高校に在籍する生徒は、居住地にかかわらず学校本部の所在地の生徒としてカウントされる。
福冨事務長は「沖縄県や北海道は通信制の生徒数が突出して多い。大規模な広域通信制高校が本部を置いているからだと気づきました」と話す。
そもそも通信制高校は戦後、勤労青年に教育機会を提供するために制度化された。自宅での自習を基本にレポート提出やスクーリング(対面指導)、試験を通じて単位を修得し、高卒資格を得られる仕組みになっている。その後、不登校経験者や全日制高校中退者の受け皿へと役割が変わり、2003年に株式会社による運営が認められたことで企業の参入が拡大した。
中でも角川ドワンゴ学園が16年に開校した「N高等学校(N高)」はネットコンテンツや最新のIT技術を積極的に導入して通信制のイメージを刷新し、S高、R高を加えたグループ全体で約3万5000人(25年末時点)を超える巨大組織へと成長した。
文科省によると、通信制高校数は333校で、生徒数は約30万5000人。18歳人口の減少にもかかわらず、20年前(05年度:175校、約18万5000人)と比較すると、校数は約1.9倍、生徒数は約1.6倍に増え、高校生の10人に1人以上を占めるまでになった。

(画像:文部科学省・学校基本調査をもとに筆者作成)
また、公立校がほぼ横ばい(76校→82校)なのに対し、私立校が99校から251校へと約2.5倍に急増し、近年の生徒数の増加分の多くを、私立の広域通信制が吸収している。
「最後のピース」がそろった
広域通信制は高校生の新たな受け皿として急拡大する一方、教育の質の担保が課題になっている。100人を超える生徒に教員が1人で面接指導していたり、土産物購入のお釣りの計算を「数学の履修」と見なしたりするなど、不適切な運営も次々に露見している。
文科省も通信制高校の教育内容や運営状況のチェック体制を強化しているものの、ブラックボックス感は解消されていない。広域通信制高校の多くは全国にサテライト校を設置しているが、サテライト校が位置する自治体には行政指導の権限がなく、上記のような不適切な事例を見聞きしても手出ししにくいという問題もある。
「保護者の世代は通信制に不安を抱き、『できるなら全日制に』と思っている人も多い。100年以上学校を運営してきた本校が、全日制の施設や教員を活用して通信制課程を運営するなら、文科省の方針にも合致し、生徒や保護者に安心感や差別化を提供できると思いました」(福冨事務長)
福冨事務長が通信制の可能性を探っていた22年秋、国語科の教員に欠員が生じた。一見無関係に思える教員採用が、偶然にも筑女の通信制設置の「最後のピース」になった。
面接に現れたのは、県立高で長く教鞭(きょうべん)を執り、当時校長職にあった佐伯裕子教諭(63)だった。

通信制課程の教頭を務める佐伯裕子教諭(写真:筑紫女学園)
「複数の県立高で校長を歴任し、教育委員会での経験もあった。最初はこれだけ実績のある方に一教員として来てもらっていいのかと迷った」福冨事務長だが、佐伯教諭と話すうちに別の考えが浮かんだ。
「通信制課程の開設は、学校の中にもう一つ学校をつくるようなもので、全体をマネジメントできる人材が不可欠です。まずは国語の教員として来ていただいて、通信制が実現したら責任者をお願いできると考えました」
選択肢の少なさに葛藤
県立高の校長を退職した佐伯教諭は23年4月に筑女に赴任した。そして最初の職員会議で、森田教諭が通信制開設を訴えるプレゼンを聞いた。
「あの時の衝撃は忘れもしません。私立高校は自分で立ち上げようと思ったら、やれなくはないんだと」(佐伯教諭)

体育館(写真:筑紫女学園)
実は佐伯教諭も長い教員生活において、不登校の生徒が学校を去っていくことに心を痛めていた。
「中学校まで問題なくやってきたのに高校に入ると勉強につまずく、起立性調節障害といった理由で学校に来られなくなる。そんな生徒はどの高校にも必ずいました」(佐伯教諭)
校長を務めた県立の進学校では、中学時代の評定が高く推薦で入学したのに、突然不登校になり転学を余儀なくされる生徒もいた。その場合、生徒の希望がどうであろうが選択肢は多くない。
「今の教育制度では、全日制から全日制への転学はハードルが高いです。公立の定時制や通信制も生徒募集の時期が限られていてスライドが難しい。だから多くは広域通信制に移ることになります」(佐伯教諭)

ガラス張りで開放的な空中廊下が正門上にある(写真:筑紫女学園)
全日制と広域通信制はシステムが大きく違い、「ギャップが大きい環境で、勉強を続けられているのか」と気になったが、佐伯教諭によると全日制と広域通信制は教職員の交流が少なく、転学後の様子を知る術も少なかった。
「学校に行けなくて苦しんでいる生徒を、自分の想像が及ばない海に放り込んでいるような忸怩(じくじ)たる思い」を抱えていた。
大人はだめですね
この職員会議をきっかけに、森田教諭と佐伯教諭は頻繁に意見を交わすようになり、「全日制と文化や雰囲気が近い通信制課程」をつくりたいとのビジョンを共有するようになった。
福冨事務長や当時の校長も設置の妥当性があると判断し、24年、福岡、熊本両県から生徒を募集する狭域通信制課程の設置を福岡県に申請した。佐伯教諭を責任者とするチームが結成され、全体設計やカリキュラム、施設の詳細を練り上げ、25年春、1期生の生徒たちを迎え入れた。

2025年4月、通信制高校1期生の入学式が行われた(写真:筑紫女学園)
「目の前にいない生徒のことを想像しながら、必要なことを準備してきた」(佐伯教諭)が、入学した生徒たちはしばしば、教員たちの想像とは違う姿を見せた。森田教諭は手探りの1年を振り返り、「思い込みにとらわれて、大人は本当にだめですね」とつぶやいた(後編に続く)。