「卑弥呼の鏡」の奈良・富雄丸山古墳で国内最大の「虺龍文鏡」出土 深まる被葬者の謎

富雄丸山古墳から発掘された(左から)画像鏡、虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)、三角縁神獣鏡=30日、奈良県橿原市(恵守乾撮影)
国内最大の円墳で、東アジア最大の蛇行剣(だこうけん)が見つかった奈良市の富雄丸山古墳(直径109メートル、4世紀後半)で、中国・前漢時代(紀元前1世紀末~紀元1世紀初め)の龍などをモチーフにした国内最大の虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)が確認され、同市教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が30日、発表した。

前漢時代は日本では弥生時代後期にあたり、同古墳より400年もさかのぼることが判明。入手の経緯とともに、ヤマト王権の支配体制を考える上で重要な資料という。
墳丘から張り出した「造り出し」にある埋葬施設「粘土槨(ねんどかく)」の木棺から昨年2月に出土。3枚とも文様を裏にして重ねた状態で副葬されていた。橿考研でクリーニング処置が行われ、銅鏡の一種である虺龍文鏡と特定された。
虺龍文鏡は弥生時代の北部九州の甕棺(かめかん)墓などで出土し、大半が直径10センチほど。古墳での出土例は珍しく、今回の鏡は直径19センチで国内最大。龍や虎を示す逆S字状の文様が施されていた。

富雄丸山古墳から発掘された国内最大の虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)=30日、奈良県橿原市(恵守乾撮影)
前漢時代の大型虺龍文鏡は、ロシア南西部のウクライナ国境付近や中央アジア・ウズベキスタンの墳墓でも出土し、中国からシルクロードを通じて日本列島や西域にもたらされたとみられる。
同古墳では、邪馬台国の女王・卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(3世紀中ごろ、直径21センチ)、中国・後漢時代の画像鏡(2世紀末~3世紀前半、同19センチ)も確認され、いずれも大型鏡。調査担当者は「ヤマト王権は重要な勢力に大型鏡を配布したとされ、富雄丸山古墳の被葬者が王権に重視されたことを示す」としている。3枚の銅鏡は8月1~17日、同県橿原市の橿考研付属博物館で公開される。

大陸、時代をまたぐ発見 前代未聞の副葬品
ロシアやウズベキスタンにもみられる中国の大型虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)、卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣(さんかくぶちしんじゅう)鏡(きょう)…。ユーラシア大陸をまたぎ、時代をも超える3枚の銅鏡が同時に埋葬された奈良市の富雄丸山古墳。東アジア最大の蛇行剣(だこうけん)など前代未聞の副葬品がそろい、被葬者をめぐる謎がさらに深まった。
「なぜ弥生時代の鏡が4世紀後半の富雄丸山古墳に副葬されたのか。明確な答えが見いだせない」。銅鏡に詳しい森下章司・大手前大教授は虺龍文鏡の発見に驚きを隠さない。
今回出土した虺龍文鏡は国内最大で、三角縁神獣鏡や画像鏡も精緻な文様が特徴。「グレードの高い鏡ばかりで、ヤマト王権中枢が富雄丸山古墳の被葬者を特別視し、えりすぐりの鏡を配布した」と話す。
その背景として同古墳が、ヤマト王権中枢の佐紀(さき)古墳群がある奈良市北部と、5世紀に巨大前方後円墳が築かれた大阪・河内地域の中間に位置する点を指摘。「ヤマト王権が河内へ勢力を広げる際、富雄丸山古墳の被葬者が戦略的に重要だったのだろう」という。
虺龍文鏡がロシアなどの墳墓にある点については「中国・前漢王朝が外交の一環として、倭国や西方の勢力に贈った可能性がある」と推測した。
「虺龍文鏡は、弥生時代にすでに奈良盆地北部の共同体が入手した」とみるのが福永伸哉・大阪大名誉教授。鏡を観察すると他の2枚より光沢がみられ、「長期間にわたって丁寧に磨かれた証し。弥生時代にはこの地域の共同体の宝物として保管され、富雄丸山古墳の段階で副葬された」。
一方で、三角縁神獣鏡や画像鏡はヤマト王権から配布されたとし「河内勢力との仲介役としての重要性が増したため、貴重な鏡が選ばれた。ただし、もともと王権中枢部と距離を置く非主流派だったため、前方後円墳ではなく大型の円墳が築かれた」と述べた。
今回の銅鏡は古墳の中心の埋葬施設ではなく、造り出しの木棺であり「被葬者は補佐官のような人物」とみている。
3枚の銅鏡は製作時期が大きく異なるのが特徴。奈良県立橿原考古学研究所の岡林孝作・学術アドバイザーは「前漢鏡や後漢鏡、三角縁神獣鏡と、時代も種類も違うのは偶然とは思えない。ヤマト王権が鏡の由緒を考慮して意図的に選んで配布した」と指摘。一方で「これほど貴重な鏡なら被葬者の頭部付近に置くのが通例。なぜ足側で、しかも木棺の端だったのか。異様としかいいようがない」と話した。(小畑三秋)