ドジャース以外でもポストシーズンで日本人活躍…でもイチローさん「守備を評価される野手いない」
今季の米大リーグはドジャースのワールドシリーズ連覇で幕を閉じた。日本人メジャーリーガーのパイオニアの一人、野茂英雄が1995年にデビューしてから30年となる節目のシーズンだった。大谷や山本らドジャース勢を筆頭に、1か月に及ぶポストシーズンで日本人選手の活躍が光った。(ロサンゼルス支局 帯津智昭、ニューヨーク支局 平沢祐)
ポストシーズン 7人出場
侍トリオ

ワールドシリーズ第3戦の延長12回、ベンチから試合を見つめる(左から)山本、大谷、佐々木(10月27日)=飯島啓太撮影
ドジャースの大谷は各シリーズで印象的な活躍を見せた。ワイルドカードシリーズ初戦で2本塁打を放つと、地区シリーズ初戦ではポストシーズンで初めて投打の二刀流で臨み、6回3失点と試合を作って勝利投手となった。ナ・リーグ優勝決定シリーズでは第4戦で3本塁打を放ち、投げては七回途中まで無失点に抑える獅子奮迅の働きで、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。
ワールドシリーズで大谷を上回る活躍を見せたのが山本だ。3勝を挙げ、日本人選手として2009年の松井秀喜(ヤンキース)以来2人目、投手では初のMVPに輝いた。第2戦で1失点完投、第6戦でも先発して6回1失点、翌日の第7戦は救援登板で球団初の連覇を引き寄せた。メジャー移籍1年目の佐々木も救援で奮闘。第6戦ではワールドシリーズで初めて、同一チームから日本人選手3人が同じ試合に出場した。
鈴木、今永
5年ぶりにポストシーズンを戦ったカブスでは、鈴木が8試合で3本塁打と打線を引っ張った。地区シリーズでブルワーズに競り負け、リーグ優勝決定シリーズには惜しくも進めなかったが、「すごく楽しかった」と鈴木。2試合に登板した今永も、メジャー2年目で貴重な経験を得た。
ダル、吉田
そのカブスにワイルドカードシリーズで敗れたパドレスでは、39歳のダルビッシュがポストシーズン通算14試合目の登板を果たした。
メジャー3年目で初のポストシーズンを迎えたレッドソックスの吉田も存在感を示した。ヤンキースとのワイルドカードシリーズでは初戦に代打で登場し、逆転の2点適時打を放った。3試合全てで安打をマーク。「レギュラーシーズンももちろん必死だが、こういう短期決戦では、普段出ないようなプレーも出ると感じる」と、独特の雰囲気を味わった。
後進のため 今永の思い「使命、チームの勝利以上」

変わらぬ思いでメジャー2年目を駆け抜けたカブスの今永

カブスの今永はメジャーで戦う上で、ある思いを持ち続けている。今季、鈴木とそろって活躍した試合の後に、「僕と誠也にはチームを勝たせるという使命以上に、これからアメリカに来るかもしれない誰かのために結果を残す使命がある」と語った。
メジャーに挑戦する時から変わらないこの気持ちは、「僕らがやってきてもらったことと同じ」と言うように、先人たちへの感謝の念から生まれたものだ。自身が新天地で温かく迎え入れられたのは、過去にメジャーで奮闘した日本人選手たちのおかげだと考えている。イチローさんを例に挙げ、実力に懐疑的で厳しいヤジを浴びせる米国の野球ファンをプレーで認めさせてきた日本人選手たちに敬意を示し、「僕らがやりやすい環境にあるのは、先輩たちがそういう苦難を乗り越えてきたから」と考える。
自身と似たタイプの日本人左投手がメジャーを目指す際に、「僕がダメだったからダメとなってしまうこともある」と気を引き締める。「未来につなぐためにも結果を出さなきゃいけない」。多くの日本人選手がメジャーで足跡を残してきた。その系譜は、熱い思いとともに脈々と受け継がれている。
30球団目 秋山レッズ
日本人初の大リーガーは村上雅則だ。1964年にジャイアンツでデビューを果たした。95年には野茂英雄がドジャースで旋風を巻き起こし、2001年には野手として初めて、イチローがマリナーズでプレー。03年からは松井秀喜が名門ヤンキースの一員として活躍した。
その後、日本人選手のメジャー挑戦が活発になり、秋山翔吾(現広島)が20年にレッズでメジャーデビューしたことで、大リーグ全30球団で日本人選手がプレー。球団別ではメッツやドジャースなどに、これまで10人以上の選手が所属した。
「自分の人生、自分で決めて」

村上雅則さん
日本人初の大リーガーとして、ジャイアンツで1964~65年にプレーした村上雅則さん(81)=写真=は、米移籍が活発になった今、「こちら(米国)でやりたければやって、だめなら日本に帰ってもいい。自分の人生は自分で決めるということが非常に大事だと思う」と現役選手にエールを送る。
村上さんが小学生の頃、テレビの普及が始まった。「メジャーのことも、あの頃は全然わからない時代だった」。南海(現ソフトバンク)入団後、野球留学で渡米した。64年に救援で初勝利を挙げ、65年は45試合に登板して4勝1敗8セーブと活躍した。「本当はもっともっと何年もプレーしたかった」というが、ジャイアンツと南海の間で保有権を巡る問題が起き、帰国した。
66年から南海、阪神、日本ハムでプレーし、日本で通算103勝を挙げた。自身の経験を踏まえ、「人生は一度きり。目標を作って、それに向かってトライしてほしい」との思いを強くしている。
守備評価される野手 求む

イチローさん
今年、日本人初の米国野球殿堂入りを果たしたイチローさん(52)=写真=は、ここまでの日本人選手の歩みを振り返り、「今年で僕が初めて来てから25年目となる。感覚的にはまだまだ少ない。中南米系の選手はどのチームにもいる。各チームに(日本人が)1人、2人は最低いるぐらいになっているんじゃないかと期待していた。でも、全くそこまでは届いていない」と語る。
イチローさんは10年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、守備でも大きな実績を残してきた。それだけに、「ピッチャーは何人かいるし、DH(指名打者)も何人かいる。(守備を評価される)野手がいないのが、僕としては残念なこと。日本人の守備は大きな武器だと思っていたので、それが(多く)見られないのは残念な点ではある」と、日本人野手の後輩たちに奮起を促している。