吉沢亮と横浜流星が見せた”特訓”…『国宝』を10倍面白く見るための歌舞伎の知識
歌舞伎ファンの不安を払拭する驚く興行成績
6月6日の公開から7月6日までの31日間で興行収入44.8億円、観客動員数は319万人を突破した映画『国宝』。現時点で、2025年の実写興収ナンバーワンとなり、現在も人気が続いている。
映画公開前は、歌舞伎ファンの間では、「どう描かれるのか……」と不安視する声も実は少なくなかった。しかし、公開してみると、そういった不安は一掃された。しかも、歌舞伎役者からも絶賛の声が集まった。
市川團十郎は、「俳優の方々が、 1年以上も稽古を重ね 撮影に挑む、 そういう 一つのものに取り組む姿勢。 それにより生まれる世界。 そこに人々は共感と感動を観る。監督はじめ 関係者全ての方々に賞賛。『国宝』是非ご覧ください、などと私がいうのは可笑しいですが(笑)、観てほしい作品です。 この作品を麗禾と勸玄に薦めました」とXにポストし、先日YouTubeで娘と息子に映画を見に行かせたことを語った。

歌舞伎俳優の市川 團十郎と息子の市川新之助(写真は市川海老蔵時代)Photo/ Getty Images
人間国宝の片岡仁左衛門を父に持つ片岡孝太郎も「歌舞伎座の楽屋では映画『国宝』の話題でいっぱいです。コレから観る人もいれば観て感動してもう一度観ると言っている人もあるくらい盛り上がっています」と自身のブログに書き込んでいる。他にも、片岡愛之助、中村隼人など多くの歌舞伎役者がSNSなどで映画『国宝』の話題に触れている。
歌舞伎ファンからも、「予想と違って見応えがあった」という感想がSNSでも多く上がっている。
「ともに20代でNHK大河ドラマの主役を務めた吉沢亮、横浜流星だが、さすがに歌舞伎の所作はどうなのだろうか、と思ったら、予想超えで驚いた。真剣に演じる気合いを感じて、鳥肌が立つ場面も多かった」「映画の中で使われる演目が物語にうまく絡まっていて、非常によく出来ていると思った。歌舞伎ファンは色んな役者に当てはめてみることができるおもしろさもある」
さらに、ハマったのは歌舞伎ファンだけではなかった。
「歌舞伎自体は未経験なのですが、横浜流星推しで観てみたら、大感動。映画に出てきた歌舞伎の演目を実際に見てみたくなって、シネマ歌舞伎のYouTubeをチェックしちゃいました」「歌舞伎って難しいと勝手に思い込んでいました。でも、とにかく美しくて迫力があった。ぜひ本物も見てみたい」、こういった歌舞伎ビギナーの声も数多く上がった。
映画は、歌舞伎役者という道を選んだ男たちの50年にわたる生き様を描く人間ドラマなので、歌舞伎に馴染みがない人でも楽しめる要素はたくさんある。しかし、歌舞伎の基本知識があれば、楽しみ方や映画への考察もグッと広がることは間違いない。まだまだヒットが続きそうな映画『国宝』をより楽しむためのポイントを、文楽や歌舞伎などの取材を多く行っているライターの牧野容子さんがまとめてくれた。
以下より、牧野さんの寄稿です。
※文章内には一部ネタバレもありますが、ストーリーを侵食しない程度に留めています。
アスリート的な身体性の「女形」の所作
歌舞伎の世界には、主に女性役を演じる「女形(女方):おんながた おやま」という俳優がいる。ちなみに、男性の役を演じる俳優は「立役:たちやく」という。今回の映画で、吉沢亮演じる喜久雄と横浜流星演じる俊介の二人が主に演じるのも、「女形」だ。ちなみに、女の役しか演じない俳優を「真女方:まおんながた」と呼ぶ。
映画の喜久雄は、女形が中心に描かれているが途中で立役も演じている。こういった役者は「兼ねる役者:かねるやくしゃ」と呼ばれ、多くの歌舞伎役者は若い頃に女形を多く演じ、その後様々な役を増やしていくことが多い。人間国宝で稀代の女形と呼ばれる坂東玉三郎も人気を確立する前の少年時代に立役を演じることもあったという。
ドラマ『半沢直樹』でオネエ言葉を使った演技が話題になった片岡愛之助は、現在、立役が多いが、若い頃は女形を演じることが多かった。2012年に亡くなった中村勘三郎や今回の歌舞伎指導を担当した4代目中村鴈治郎の父・坂田藤十郎は兼ねる役者と呼ばれていた。今は女形か立役か決まっている感じの役者が多くなってきている。
そして、映画冒頭に、こんな内容のテロップが流れる。
“歌舞伎は一七世紀初めの京都で誕生した 人々はこの新しい芸能に熱狂した 風紀の乱れを恐れた江戸幕府は、女性が舞台に立つことを禁止 これによって、男性が女性を演じる「女形」が生まれた”
そもそも歌舞伎は、400年以上前に、「阿国(おくに)」という女性芸能者から始まったものだ。阿国が、京都で男装や奇抜な衣装など、今までにない傾いた演技をしたことが話題になり、これが「傾く(かぶく)」→「歌舞伎」の語源といわれる。その後、遊女の間で阿国由来の女歌舞伎が広まっていったのだが、その人気はすさまじく、各地に広がったことから、芸だけではなく、色を売る者も現れ、幕府は寛永6年(1629年)に風紀が乱れることを理由に女歌舞伎を禁止にした。

出雲阿国といわれる絵。作家不明。京都国立博物館収蔵『阿國歌舞伎圖屏風』より
その後、美少年たちが女性の役も演ずる「若衆歌舞伎」が一時流行るが、女歌舞伎と同じ理由で色を売る者が現れて、再び禁止となる。そういった経緯を経て、男性の「女形」の形式が整っていったと言われている。
想像以上にハードな身体力が求められる女形
男でありながら、時には本物の女性よりも女らしく見えるように、声の出し方や仕草を追求しながら技術に磨きをかけていった結果、今に至る「女形」の姿が出来上がっていった。
たとえば、なで肩に見えるようにするためには、両手を後ろへ引き脇を締めて二の腕を常に体に付けた姿勢を作る。女性らしい歩行や立ち姿に見せるためには、腰を落として膝をくっつけるようにして内股で歩く。しかも、姫と若い町娘とでは、ひとつひとつの動きも異なる。歌舞伎の中の女性を作り上げるために、女形はさまざまな伝統的技法を体得していかなければならない。
映画『国宝』では、吉沢亮、横浜流星が男性にはない柔らかな動きを作り上げるために、普段使わない筋肉を駆使し、難しい女形の動きや、踊りの所作一つひとつを会得してく様子も描かれている。その場面は、オリンピックを目指すアスリートのような凄まじさがあった。しかし、その場面を見た市川團十郎は、自身の稽古はもっと厳しかったとも語っている。

写真は坂東玉三郎。身体力と表現力は、世界のトップダンサーであるミハイル・バリシニコフやシルヴィ・ギエムも賞賛している。photo/Getty Images
実際に演技の中でこういった難しい女形の細かな所作を表現するために、四代目中村鴈治郎が歌舞伎指導を、舞踊家の谷口裕和が日本舞踊の振り付け・指導を担当。吉沢亮・横浜流星の2人は1年半をかけて稽古を重ねたという。歌舞伎を演じるのに日本舞踊から入り、吉沢亮はすり足を2〜3ヵ月、ひたすら練習してインナーマッスルを鍛える作業に没頭。両足の膝をくっつけて曲げる、という動きのように、普段の生活では使ったことのない筋肉を使いながら舞踊と歌舞伎の動きを体に覚えさせていったという。
映画全体の中で舞踊のシーンはかなりのボリュームを占めている。身体能力をあえて感じさせるような表現もあるので、これを期に、歌舞伎の舞踊のおもしろさに気づいていただければと思う。
映画で描かれるふたつの演目に注目
『国宝』は歌舞伎を知らなくても、歌舞伎の演目やしきたりなどを知らなくても十分に楽しめる。しかし、以下の2つの演目に関しては少し情報を入れておいたほうが、より深く映画の物語を感じることができるはずだ。それは、映画の中盤と終盤に出てくる『曽根崎心中』と見せ場で演じられる『鷺娘』の舞いだ。
私なりに、簡単に内容とポイントをお伝えしてみたい。
【曽根崎心中:そねざきしんじゅう】
近松門左衛門は、高校の国語の教科書にも出てくるが、江戸前期~中期にかけて庶民から大人気だった浄瑠璃・歌舞伎作者。民衆の生活を題材にした「世話物」と呼ばれるジャンルが得意で、中でも大阪・曽根崎天神の森で実際に起こった心中事件をもとにして書かれたこの作品は近松の代表作で、人形浄瑠璃(以下「文楽」と表記)として上演され人気を集めていた。しかし、その後長く途絶え、歌舞伎化されたのはなんと戦後。昭和28年のことで、故坂田藤十郎がお初を、藤十郎の父である二代目鴈治郎が徳兵衛を演じ、初演して大当たりをして、人気の演目となっていった。
醤油屋・平野屋の手代、徳兵衛と北の新地の天満屋の遊女、お初は将来を約束していたが、徳兵衛が不運にも友人の悪巧みで金を騙し取られてしまい、行き場を失った二人はこの世をはかなみ、心中を決意する。徳兵衛とお初の切ないやり取りに、当時の江戸庶民も涙した。この作品の見どころは、逃げて天満屋に現れた徳兵衛をお初が縁の下に隠し、さらに自らの襦袢の裾で覆うようにして人目に触れないようにしながら、足を動かして心中の覚悟を確かめるシーンだ。ここは歌舞伎、文楽ともにとても印象的な場面として丁寧に描かれる。
『曽根崎心中』は最初に文楽として始まったが、文楽では本来、女性の人形には足がない(着物の裾で隠れるので、足が出てくることがない)。しかし、『曽根崎心中』では、生足を使って想いを確認する場面があるため、お初の人形には文楽が始まって以来、初めて特別に女性の人形に足が作られるという異例な演出が施された。

筆者私物の『国立劇場開場50周年記念 第198回文楽公演』のパンフレット。『曽根崎心中』の場面のページから、お初(右)と、その生足に触れる徳兵衛の場面。
ネタバレになるので詳細を伝えることは控えるが、『国宝』で、『曽根崎心中』は二度登場する。元来、運命に翻弄されながら決して離れることのない男女の愛の物語であり、それが、兄弟のように育ってきた喜久雄と俊介の特別な関係、濃密な人間関係を表すことに重なってくる。特に、二度目に出てくる『曽根崎心中』では、………「そうきたか!」と思った歌舞伎、文楽ファンも多かったに違いない。
また、「曽根崎心中」はこの映画の歌舞伎指導を務めた中村鴈治郎氏の父、四世坂田藤十郎の当たり役であり、大切な家の芸でもある。鴈治郎氏自身も父親演じるお初の恋人役、徳兵衛を何度も勤めてきている。そんな鴈治郎氏に直接、指導を受けた吉沢、横浜両氏の熱演をたっぷりと味わってほしいと思う。
【鷺娘:さぎむすめ】
『鷺娘』は1762年(宝暦12年)に初めて演じられ、その後1892年(明治25年)に9代目市川團十郎が踊りを新しく整えて、今に至ると言われている舞踊。
しんしんと雪が舞う水辺に白無垢姿の娘が一人。じつはこの娘は人間に恋をしてしまった白鷺の精。道ならぬ恋に思い悩みながら、その一途な心を表すように踊り続ける鷺娘。しかし、最後には鷺の精の姿に戻っていくという幻想的な作品だ。
この作品も映画の中で2度展開される。一度目は、田中泯が演じる人間国宝の小野川万菊が舞う場面。幻想的な中に強烈な印象を放つ舞踊に、少年時代の喜久雄と俊介は衝撃を受ける。この演技をきっかけに、歌舞伎の奥深さと魅力に魅了されていくという最初の大きな転機ともなる場面で出てくる作品だ。そして、映画の最後でも再び登場する『鷺娘』。この場面に関しては、見た人によって感想も異なると思うので、詳しくは書かないでおきたい。
この『鷺娘』は坂東玉三郎の代表的な演目でもある。玉三郎は1978年に初めて演じ、その後、1984年には世界的アーティストが顔をそろえたメトロポリタン・オペラハウス 100周年記念のガラコンサートで演じて、世界中から賞賛された。シネマ歌舞伎にもなっており、と玉三郎の『鷺娘』の舞いの一部を見ることができるので、映画と合わせて、ぜひ味わってみてほしい。
◇後編『吉沢亮・横浜流星の『国宝』で描かれた歌舞伎の裏側。「芸か血筋か」の結論は』では、『国宝』のテーマになっている、歌舞伎界の「血筋か芸か」について触れてみたい。