「裏切者」と呼ばれても あえて引き受けた中国への指導/AS元日本代HC・井村雅代さん

中国を指導することが長い目で見れば日本のためになると考えていた井村雅代=大阪市浪速区(土井繁孝撮影)

アーティスティックスイミング(AS)で中国の躍進が目覚ましい。前回2024年パリ五輪ではチーム、デュエットともに金メダルを獲得、世界の頂点に立った。その力の土台をつくった功労者は、ほかならぬ井村雅代(75)だ。中国代表ヘッドコーチ(HC)に招かれて08年北京、12年ロンドンの2大会連続メダル獲得に貢献した。対照的に両大会とも日本代表の成績が振るわなかったことで、中国に手を貸した井村を「裏切り者」扱いするバッシングが日本国内で沸き起こった。中国の要請に応じた井村の真意はどこにあったのか。

シドニー五輪AS・テクニカルで2位につけた日本チームの演技。井村が「コーチ人生で3本の指に入る」とほめた(川村寧撮影)

04年アテネ五輪で日本代表はチーム、デュエットともに銀メダルを獲得。これを花道に、井村はHCを辞任した。後進に道を譲り、自ら代表理事を務めるスイミングクラブで、次世代の五輪選手育成に専念しようと考えたのだ。

ロンドン五輪ASでチーム・フリーの演技を終えた選手と笑顔で喜ぶ、2位になった中国の井村雅代ヘッドコーチ(右手前)=水泳センター(共同)

中国からヘッドコーチ就任の依頼

このタイミングを狙いすましたように、中国から「代表チームを指導してほしい」とのオファーが入る。しかも肩書はHCだった。

ASのHCは「総監督」に等しい重責を負う。選手への指導や出場選手の決定にとどまらず、演技のテーマから曲目、振り付け、水着のデザインに至るまで、まさしく全権を握る。

中国は次の08年北京五輪で、開催国の誇りにかけてどうしてもメダルがほしかった。「すべて先生にお任せします」。そこまで言われて井村の心は揺れた。

井村は1984年ロサンゼルス五輪から6大会連続でコーチを務めたが、金メダルをとれなかった。立ちはだかったのは「世界最強」のロシア。

2000年シドニー五輪で、日本代表のチーム・テクニカルルーティン『空手』は「コーチ人生で3本の指に入ると思えるくらい選手たちは素晴らしい演技をしてくれた」。今度こそロシアに勝ったと確信したが、敗れた。「あの演技で勝てないのなら、これから先どんな素晴らしい演技をしてもチームでは絶対にロシアには勝てない」。もっと別の方法で勝つ道を探さなければと強く思った。

ロシアは世界各国にコーチを出していた。だからロシア流のASが「いい演技」と思われがちで、井村は「審判員の主観が入る競技ゆえ、ロシアのコーチの世話になっている国の審判員はロシアに甘い」とみていた。

日本のコーチも他の国を指導し、日本のASの表現の素晴らしさを世界に知らしめ、アピールすることが必要だ。そのころロシアは中国に年間3カ月くらいコーチを派遣していた。井村が今回のオファーを断れば、ロシアのコーチが必ず指導に行くだろう。開催国の中国がロシア流のASをすれば、ロシア流の認知度がますます上がるに違いない。

「世界7位の国、五輪開催国に初のメダルをとらせたら、日本流の表現を世界に根付かせられる。日本流を世界にアピールする絶好のチャンスをロシアに渡すわけにはいかない」

井村はHCを引き受けることを決断した。

「すべて任せる」という言葉に噓はなかった。まずは人事。これまでは出場選手を決める際、選手の出身地域に配慮してバランスを重視していた。しかし、井村は自らの評価をもとに実力第一で選んだ。中国水泳協会は抵抗を示したが、最終的に井村の決定に従った。

すべて揃えてきた中国

次に予算。「欲しいものは何でも買ってくれた」。肉体改造のために選手の食べる肉を量る料理ばかりなど小さなものから、プールサイドにステージを設置する工事など大きなものまで。ステージはプールへ飛び込む前に陸上動作を行う場で、練習に必要だった。井村が一時帰国していた際、わずか2週間で完成。しかも北京の五輪プールと仕様もサイズも寸分たがわず驚いた。さらに審判席まで作ってくれた。審判の目線で演技をチェックするためだ。

井村がメダル獲得のためにこだわったのは水着。それは選手の「戦闘服」だ。

1994年の世界選手権で、奥野史子がソロで大会史上初の芸術点オール満点を記録、銀メダルに輝いた。このときの演目『昇華~夜叉の舞』で着た水着は、生地の染めから考えたオリジナルデザインで1着約100万円かかったとされる。

井村は中国のトップデザイナーたちからデザインを集め、選んだ。費用は全4種目で計約800万円。これも二つ返事で了承された。「どんなことにもノーはなし、しかも意思決定が早かった」

中国全土からえりすぐりの「素材」が集められた。「中国人選手はみな背が高く、足も長く、体が柔らかい。条件のそろった子にしかやらせない。股下102センチ、ひざからつま先まで75センチなんて子がいる」。そこへ井村の持つ知識、経験の全てを投入した。

結果、北京はチームで銅、ロンドンはチームで銀、デュエットで銅。2大会連続のメダル獲得となった。

一方、井村不在の日本の成績は、北京はデュエットで銅に届くもチームは5位。ロンドンもチーム、デュエットともに5位と振るわなかった。日中の格差に、日本国内で井村への非難が強まる。もともと中国HC就任が決まった時点から「裏切り者」、「国賊」呼ばわりされてきた。それに対し井村は沈黙し、結果で応えた。

北京でメダルが確定した瞬間、選手やほかのコーチが抱き合い喜ぶ最中、井村は遠く離れた場所で一人たたずみ表彰式を見ていた。「この光景をつくるために私はここに来た。私はきっちり仕事をした」と心の中で思った。

重なる「失われた30年」

余談ながら、このエピソードを日本経済の「失われた30年」と重ねるのは、うがった見方だろうか。

かつて日本が家電や半導体、電池などで世界市場を独占した時代があった。が、その地位は今や中国、韓国に取って代わられてしまった。原因はライバルのヘッドハンティングに応じた日本人技術者が手を貸したからだと、彼らを裏切り者扱いする声が少なからずあった。

しかし、不振や低迷の責を問われるべきは「人財」を切り捨てた、あるいは「人財」に見限られた企業、その経営陣、トップではないだろうか。

中国をメダル獲得へ導いた井村の手腕は世界が認め、今もドイツ、イタリア、米国、韓国などから臨時コーチのオファーが舞い込む。井村は「望まれればゆく。それが日本のためになると信じているから」と語る。(安東義隆、敬称略)

  • プレミアムトーク㊤ AS元日本代HC・井村雅代さん