【カーリング女子】フォルティウスが五輪敗退、4年後のため必要なのは「中傷」でも「慰め」でもなく「敗北の検証」

メダルが要求されるステージに入っている日本のカーリング, メダル獲得の実力は十分あったが、勝利を積み重ねられなかったのはなぜか, すでに動き始めた日本カーリング協会, 慰めは必要、だが検証から逃げてはいけない, 検証には時間がかかる

ミラノ・コルティナ五輪女子カーリング、日本―イタリア戦の第7エンド、厳しい表情を見せるフォルティウスの吉村紗也香(右)と小林未奈=コルティナダンペッツォ(写真:共同通信社)

 勝者の数だけ拍手が起こる五輪は、ときに敗者の沈黙をいちばん深くする。

 ミラノ・コルティナ冬季五輪は2月22日(日本時間23日)に閉会式が行われ、17日間に及んだ熱戦の幕を閉じた。今大会で日本はメダル総数24個(金5、銀7、銅12)に到達し、これまでの最多だった2022年北京五輪の18個(金3、銀7、銅8)を大きく塗り替えた。

 祝祭の熱が街と中継画面を満たし、勝者の物語が次々と立ち上がる。その一方で強い期待を背負いながら、届かなかった精鋭がいる。カーリング女子日本代表・フォルティウスだ。

メダルが要求されるステージに入っている日本のカーリング

 カーリング女子は、近年の日本が世界に通用することを証明してきた競技である。ロコ・ソラーレは18年平昌で銅、22年北京で銀。五輪という“4年に一度の極限”で結果を残した経験は競技の裾野を一気に広げ、国内の「次」への欲望を生んだ。

 だからこそ、初の五輪出場となったフォルティウスが「金」を目標に掲げた時、その言葉は無謀ではなく自然な野心として受け取られた。日本のカーリングは、もはや挑戦者の夢物語ではなくメダルを要求される段階に入っていたからだ。

 だが、現実は残酷だった。

 1次リーグを通算2勝7敗で終え、10チーム中8位で敗退。結果だけを見れば期待の大きさに比例して失望もまた膨らむ。

 そこに追い打ちをかけるように、敗戦直後から選手個人へ向けた苛烈な言葉がネット空間に流れ、今や批判は一線を越え、誹謗中傷にまで変質しつつあるという。言うまでもなく、これは言語道断である。失敗を理由に人格を傷つける行為はスポーツの議論ではない。

 ただし、誹謗中傷を断罪することと「なぜ負けたのか」を検証することは別の作業だ。

 五輪という最高峰の舞台で、金メダルを公言して臨みながら8位に沈んだ。その屈辱を、ただ慰撫の言葉で包んでしまえば、敗退は“事件”ではなく単なる“出来事”に薄まり、4年後の30年フレンチ・アルプス冬季五輪につながる検証の糸が切れる。

 ロコ・ソラーレの吉田知那美が解説席から寄り添うように「私たちはフォルティウスの味方です」と繰り返したのは、選手を守るための言葉であると同時に、競技の火を絶やさないための言葉でもあったはずだ。

メダル獲得の実力は十分あったが、勝利を積み重ねられなかったのはなぜか

「勝てなくても頑張ったのだからいい」と美談で終わらせてしまえば、フォルティウスの敗戦と屈辱は意味を失う。むしろ必要なのは、負けを“経験”で終わらせず“材料”に変えることだ。答えはすぐには出ないだろう。もし即答できるほど簡単なら、この五輪で「大誤算」は起きていない。

 しかし、だからこそ今大会の8位は日本カーリング界が、もうワンステージ上がるために欠けていた何かを涙と屈辱で示したのかもしれない――。検証すべきなのは、その「何か」である。

メダルが要求されるステージに入っている日本のカーリング, メダル獲得の実力は十分あったが、勝利を積み重ねられなかったのはなぜか, すでに動き始めた日本カーリング協会, 慰めは必要、だが検証から逃げてはいけない, 検証には時間がかかる

日本―イタリア戦の第4エンド、ショットの行方を見る小野寺佳歩と(手前左から)スイープする近江谷杏菜と小林未奈=コルティナダンペッツォ(写真:共同通信社)

 では、何が足りなかったのか。巷で語られがちな「国際経験不足」という単純化は、むしろ危うい。

 フォルティウスは五輪前から国際大会で上位に食い込み、最高峰ツアーでも強豪相手に1点差勝負を演じている。世界ランキングでも上位圏に位置し、メダル候補と見なされて不思議ではなかった。

 それでも、五輪では勝ちが積み上がらなかった――。ここにこそ、この敗戦を「宿題」として扱う理由がある。

すでに動き始めた日本カーリング協会

 五輪は、実力の総量だけで決まらない。むしろ「勝つための手順」を、どれだけ平常時から「当たり前」として身体に染み込ませているかが問われる。ショットの精度や読みのズレといった技術論は、後からいくらでも語れる。

 しかし最もつかみにくいのは、負けが続いた時にチームの会話がどう痩せ、判断がどう守りに寄るか。そして“1点を取りにいく”はずの終盤が、いつの間にか“1点を失わない”設計にすり替わる瞬間だ。

 フォルティウスの1次リーグ敗退は、カーリングが人気競技として伸び続けるために、そして日本がもう一段階上へ行くために何が欠けていたのかを突きつけた。

 議論が「選手の出来」に集約されていくのは、確かに手っ取り早いかもしれない。だがメダルが期待されていた今大会で予想を大きく裏切る8位敗退という現実が突きつけたのは、個人の調子や1、2本のショット以前の問題である。日本カーリング界の“代表強化設計プランの在り方”そのものだった。

 敗退直後から、SNSでは「ロコ・ソラーレの方が五輪向きだった」「代表選考はチーム制ではなく、野球やサッカーのように個人を集めて“ベストメンバー”を組むべきだ」といった声が噴き上がった。

メダルが要求されるステージに入っている日本のカーリング, メダル獲得の実力は十分あったが、勝利を積み重ねられなかったのはなぜか, すでに動き始めた日本カーリング協会, 慰めは必要、だが検証から逃げてはいけない, 検証には時間がかかる

2025年9月13日、ミラノ・コルティナ冬季五輪最終予選代表決定戦のプレーオフでフォルティウスに敗れた後、観客に手を振るロコ・ソラーレの選手たち(写真:共同通信社)

 だが、その多くは結果が出た後にだけ成立する短絡でもある。カーリングは役割が分業されているようでいて、最後は4人の呼吸が1つの意思決定に収束しなければ勝てない競技だ。寄せ集めの“混成”が万能薬になるほど、現場は単純ではない。

 その意味で興味深いのは、日本カーリング協会がすでに次回30年大会へ向け、代表候補の選考を「より長いスパンの成績」で評価する枠組みへ動かしている点である。

 実際、協会は「日本選手権で勝ったチーム=世界で戦えるチーム」とは限らないという問題意識を前提に、次回へ向けた代表選考の軸足を動かし始めている。選考対象は直近2季から4季へ拡張し、国内一発勝負よりも国際大会で積み上げた実績(ランキングを左右するポイント)を重く見る設計に寄せる方針だ。

 すでに3月の世界選手権代表に決まっているロコ・ソラーレが、その新基準の「候補」に乗る見通しだという。2シーズンの出来で五輪行きが決まるような一発勝負性を薄め、26~29年の複数年成績を基に候補を絞り込み、最終的に代表候補決定戦で決める――。言い換えれば「たまたま強い」ではなく、「強さを継続できる」チームに寄せようとしている。

 では、ここから先に必要なのは何か。答えは一つではない。

慰めは必要、だが検証から逃げてはいけない

 だが少なくとも、議論の順番は逆にしてはならない。誰を外すか、誰を入れるかの前に勝つ確率を最大化する環境――。国際転戦を継続できる体制、科学的サポート、データと映像の共有、メンタル面の伴走、そして“負け方の設計”に陥らない言語の整備――。こうした数々の項目を積み上げることだ。フォルティウスの敗退は、その欠落を「屈辱」という痛みで可視化した。

 だからこそ、今大会は美談で終わらせてはいけない。慰めの言葉は必要だが、検証から逃げる免罪符にはならない。次の4年を本当に強くするために、日本のカーリング界が何を直し、何を守るのか。閉会式の拍手が消えた後に残るのは、その宿題だけである。

 敗退の後に残ったものは、順位表の数字だけではない。相も変わらず醜い形で噴出してしまった「言葉の荒れ方」は皮肉な表現ながらも、ある意味で日本のカーリングが人気競技になったことの裏返しだ。

 注目が集まれば、期待は膨らみ、失望もまた膨らむ。そこに匿名性が乗ると、批判は容易に人格攻撃へ滑り落ちる。

 もちろん言語道断だが、ここでとにかく必要なのは“叱る”でも“かばう”でもなく議論の作法を整えることだ。勝敗を語るなら何を材料にし、何を禁じるのか。線引きを社会として共有できない競技は、いずれ静かに人が離れていく。

検証には時間がかかる

 同時に、競技側も「敗因を急いで一文に畳まない」胆力が要る。経験不足、選考ミス、メンタルの弱さ――。どれも分かりやすい敗因だ。

 しかしながら、こういう安直な敗因分析は往々にして真実を削る。カーリングは4人の呼吸と判断が積み重なる繊細な競技であり、崩れる時は派手な一撃ではなく、微差の連鎖で崩れる。

 だから検証とは誰かを断罪する作業ではなく、微差を分解し、再現性として積み直す「難行」である。そこに時間がかかるのは、むしろ健全だ。

「混成で最強を作れ」という声が出るのも、勝ちを急ぐ心理の発露だろう。だが阿吽の呼吸を一夜で発明できないからこそ、チーム競技には積み上げがある。

 必要なのは寄せ集めの即効薬ではなく、勝つための集団が常に「勝者の言葉」を持ち続ける環境だ。日本カーリング協会の制度改定の議論も、その環境整備の一部として位置づけるべきで、断じて犯人探しの道具にしてはならない。ロコ・ソラーレを引き合いに出すならなおさらだ。比較は刺激になるが、それだけに終わってしまえば強化の設計図にならない。

 五輪は必ず4年に一度来る――。それは希望であると同時に、猶予でもない。ミラノ・コルティナ冬季オリンピックで突きつけられた課題を回収できるかどうかで、次の4年後の景色が決まる。

 フォルティウスの屈辱を「終わった話」にしてしまえば、熱狂は冷え、競技はまた冬に戻る。屈辱を「成長の糧」に変えられた時こそ、この敗退は日本カーリングをもう一段上へ押し上げる起点になる。

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