30年前のF1日本GP。ヒルに敗れ、“ルーキーチャンピオン”逃したビルヌーブが明かす後日談「あの夜はパーティーをした」
今から30年前、1996年シーズンのF1タイトル争いは当時秋開催だった日本GPで決着した。その当事者であるジャック・ビルヌーブが、F1公式ポッドキャストの『Beyond The Grid』で後日談を語った。
ビルヌーブはこの年、スーパールーキーとして注目を集めた。CART王者の肩書を引っ提げ、当時の最強チームであるウイリアムズからF1デビューを果たすと、デビュー戦でポールポジションを獲得。トラブルによって優勝こそ逃したが、以降も初の王者を目指していたチームメイトのデイモン・ヒルの強力なライバルとなった。
最終戦日本GPを前にした段階で7勝を記録していたヒルが87ポイントで首位につけていたが、優勝4回と2位5回を記録していたビルヌーブも9点差の78ポイントと、わずかに逆転の可能性を残していた。ビルヌーブが優勝し、ヒルがノーポイントに終わった場合のみという厳しい条件ではあったが……。
結果的にビルヌーブはポールポジションからスタートするも、レース途中にホイールが脱落するトラブルに見舞われてあっけなく終戦となった。この時のことについてビルヌーブは、日本GPを前に逆転の「可能性はあったと思う」としたが、タイトルを逃したことに悔しさはあれど何の恨みもなかったと語った。
「何が起きるかわからないから、可能性はあると思っていた。実際、僕にはタイヤが外れるトラブルが起きたけど、それはデイモンにも起こり得たことだ。もしピットストップの順番が逆だったら、まったく違う展開になっていたかもしれない」
「勝つ必要があることは分かっていた。でもさっきも言ったように、シーズン序盤でデイモンがかなりリードを築いていたんだ。そしてそれを取り返すのは難しかった。なぜならほとんど“僕か彼か”という戦いだったからだ」

Jacques Villeneuve, Williams FW18 Renault leads Damon Hill, Williams FW18 Renault
「少し前のメルセデスがそうであったように、僕たちのマシンが圧倒的で、間に他のドライバーが入ることはほとんどなかった。だから調子のいい週末でも、僕が優勝してデイモンが2位という感じで、差は縮まらなかった。だからこそ、勝ち続ける必要があったんだ」
「(日本GPで)ポールポジションを獲れたのは良いことだった。翌年に繋がったと言えるからね。チームが友人を呼んできて『こいつが次のワールドチャンピオンだ』と紹介してくれたんだ。そういった感じで、来年は自分がその座にふさわしいと証明しなければならなかった。それ以上できることはなかったよ」
「ポールから勝ちに行く。それだけだった。結局、ホイールが外れたことは結果に影響しなかった。いずれにしてもデイモンがチャンピオンになっていた展開だった」
「あの夜は楽しかったよ。僕たちはパーティーをして、彼のことを祝福した。『ああ、チャンピオンになれなかった』という気持ちにはならなかった。もちろん勝てなかったのは悔しいけど、彼はそれにふさわしいだけの仕事をしていたから、納得できたんだ」
なお翌1997年にビルヌーブは、フェラーリのミハエル・シューマッハーとの激闘を制してワールドチャンピオンを獲得。その後は勝利に恵まれず、2006年に引退した。

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