“りくりゅう”をつないだ小松原美里の確信 金メダル獲得の瞬間は「やっぱりね」

2024年に現役を引退したフィギュアスケーター、小松原美里さん(33)。北京五輪では団体で銀メダルを獲得し、日本のカップル競技を牽引してきた。ミラノ・コルティナ五輪のペアで金メダルを獲得した「りくりゅうペア」の2人をつないだキーパーソンでもある。
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――ミラノ・コルティナ五輪で悲願の金メダルを獲得した「りくりゅうペア」の木原龍一選手(33)と三浦璃来選手(24)をつないだと聞いています。
はい。そうです(笑)。それぞれ前のパートナーと組んでいた頃から知っています。カップル競技は人数が少ないので、すぐ仲良くなるんです。年齢も関係なく、ただただ楽しく過ごしていました。
龍一くんとは同い年で、ノービス世代が参加する日本スケート連盟主催の有望新人のための「野辺山合宿」で出会いました。カップル競技に移行してからお互いにパートナーとうまくいかない時期はよく悩みを共有していました。
璃来ちゃんとは、合宿で一緒に遊びました。彼女にパートナーがいない時期にアイスダンスの強化合宿があったのですが、璃来ちゃんから、デススパイラルを教えてもらったりしました。
龍一くんはペアがいない時期など、先のことが見えないなかで、 「もうやめたい」とこぼすようになっていました。私は「やめるな、やめるな」と言い続けました。あのレベルであそこまでストイックに努力できる人って、本当に少ないので、「まだいけるよ」と何度も声をかけました。
■「直接しゃべったらどう?」
――そんななか、19年夏にペアとアイスダンスの新たなコンビを発掘する日本スケート連盟のトライアルが開かれ、木原選手と三浦選手が組んで滑ってみたわけですね。2人の様子を教えてください。
滑り終わった後、璃来ちゃんが私に「ツイストが高くてびっくりしたー!」などと報告してくれました。別のところで龍一くんも「何て言ってる?」と聞いてくるんです。
「カップル競技で『この人!』っていうのは、本人が一番わかること。互いにそれを私に言ってきているんだから、直接しゃべったらどう?」って言いました(笑)。

■璃来ちゃんはお姉さんっぽく
――そこから「りくりゅう」は始まったのですね。
カップル競技は、最初の信頼関係がすべて。周囲から否定的な印象を伝えられると疑いから入ってしまうので、とにかく私は、お互いにポジティブなことだけを伝えていました。「こんだけいい人だから、自分が頑張らなくちゃね」って、それぞれに。
2人とも感情を表現するタイプですごく熱いんですけど、璃来ちゃんは年数を重ねてお姉さんっぽさが出てきて、もともと「弟気質」の龍一くんとのバランスがすごく良くなってきたなと思います。
フィギュアスケートには人柄が出るんです。それぞれ滑り方が違うわけですが、互いの魅力を引き出し合いながら演技ができあがっていくのを見ていくのがとても楽しいんです。「りくりゅう」はまさに見ていて楽しい2人でした。
私、この2人は最初から「(トップまで)いくだろうな」と思っていました。だから金メダルを取ったときは、ただただホッとしました。ショートはリフトのミスが響いて5位でしたが、なぜか「まだ金メダルいける」と思っていたので、優勝したときも「やっぱりね」という感じでした。2人が取りたいものが取れてよかったなという気持ちです。

――小松原さんはミラノ・コルティナ五輪は目指さず、24年4月、31歳で現役引退を発表されました。
24年に右股関節を故障したこともあって、身体も心も無理だなと思ったからです。十分やりきったという達成感もありました。
あと2年続けたらもしかしたら、ミラノ・コルティナ五輪に出られたかもしれません。でも、もし出られたとしても「人生、何が変わるの?」と考えちゃって。あと2年滑ることに、意味を見いだせませんでした。団体戦で好成績を残し、チームの役に立てるのであれば別でしょうが、そこまでの自信もありませんでした。
振り返ってみると、何かピンチのときには、必ず助けてくださる方がいて、すごく幸運な競技生活だったと思います。
■脳しんとうを起こし、龍一くんに相談
19年の夏合宿の日。新しいリフトにチャレンジしたときに、パートナーのティム・コレト(34)の手がすべり、まっすぐ上から下にストーンと落下して頭を打って、脳しんとうを起こしました。続いて2週間後にも頭を打ったのですが、頭痛は止まらないし、話そうとしても言葉がちゃんと出てこないし、目の焦点もあわない。もうどうしたらいいか分からなかった。そのときも周囲に助けられました。
龍一くんにも相談しました。彼も過去に脳しんとうを起こしているので、いろいろ教えてくれました。おかげで正しいリハビリにつながり、その後リンクに戻ることができました。
そのとき、ファンの方から「美里さんが滑っている姿を見ることで、元気が出ます」というお手紙も頂きました。病気と闘っている方だったこともあり、「私も戻らなくちゃ」と懸命に頑張りました。
たぶん、あの頃からです。「自分のためのスケートはもういい、これからは誰かのために滑ろう」と強く思うようになったのは。

――9歳でスケートを始められてから20年以上の競技生活でした。アイスダンスでは全日本選手権4連覇も達成されました。
小さいときは「スーパーシャイ」で、人前でしゃべるのが苦手だったんです。自信もあまりありませんでした。でも練習をして、自信を持って試合に臨めたときの氷の上の自分はすごく好きで、その自分に助けられていました。常にコンプレックスや苦手なことと向き合い、プラスに昇華させていくようにしていました。つくづく、闘うスケーターだったなと思います。
――4連覇がかかった21年の全日本選手権では、同郷の高橋大輔さんのペアと優勝争いをすることになりました。どのような思いがありましたか?
大輔さんは幼い頃から憧れていた先輩です。そんな先輩が、「アイスダンスカッコいいからやってみたい」と挑戦してくださったのが、まずすごく嬉しかった。でも、そんな憧れの人に「勝たなくてはいけない」という状況になり、「なんじゃこれは……」という感覚でした。
あのときの演技は「自分は何を伝えたいのか」に集中し、それまでの自分の経験や知識をすべて込めました。フリーダンスでは、映画「SAYURI」の劇中曲で、和の雰囲気を表現。「このプログラムで日本を代表するんだ」という思いで臨みました。結果4連覇ができて五輪への切符を手にしましたが、相手が大先輩だったので……複雑な思いはありました。
――引退後の日々とこれからの人生への思いをお聞かせください。
コーチと振り付けの仕事をしています。4歳から大人まで教えていて、地元・岡山でスペシャルオリンピックスの選手の指導もしています。
コーチの仕事をしてみようと思うようになったのは、ヒップホップダンスの先生をしている兄から「自分が勉強してきたことを、次の人に伝えるというのは自分も成長し、癒やされる素晴らしいことなんだよ。向いているよ」と言われたのがきっかけです。
引退発表をした翌月、当時はまだカナダを拠点にしていたので、現地でスポーツコーチの勉強をして、カナダのNCCPコーチングファンデーション公認スケートコーチの資格をとりました。現地では坂本花織選手の振り付けのお手伝いも少ししました。
パートナーだったティムとは、現役中の17年1月に結婚しましたが、昨年離婚を発表しました。今は独身です。将来どうするかはまだわからないですが、選択肢を持っておきたいなと思い、現役中に卵子を凍結しました。絶対にこうする、というよりは、選べる状態にしておく。そういう感覚です。
でも私、今後の人生どういう道を選んだとしても、たとえフィギュアとは違うことを始めたとしても、人より遅れたスタートになるだろうけれど、頑張れる気がします。これまでずっと頑張ってきましたし、たぶんこれからも頑張ると思います。できないことをできるようにしていく過程が、やっぱり好きなんです。
(AERA編集部・大崎百紀)
・【写真】演技をする小松原美里さんとパートナーのティム・コレトさん
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