ホンダは本当に「EVで負けた」のか?「1.5兆円」損失決算で始まっていた別の戦い
攻めの自己変革と未来への投資
2026年3月期、ホンダは上場以来初の赤字へと転落した。損失最大2.5兆円。世間はこの衝撃的な決算を「電気自動車(EV)戦略の敗北」と断じる。だが、その本質は「負け」ではない。内燃機関という過去の資産を清算し、AI・知能化が支配する次世代へかじを切るための、痛みをともなう「自己変革」なのだ。なぜトヨタと収益力で差がついたのか。米国の規制や地政学リスクはどう数字を歪めたのか。そして、なぜ「EV」でなければならないのか――本連載では、表面的な数字の裏に隠されたホンダの真の狙いと、自動車産業の激変を徹底検証。日本車が生き残るための「高額な授業料」の正体に迫る。
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ホンダは2026年3月期、1957(昭和32)年の上場以来で初めて赤字となった。最終損益は4239億円の赤字となり、電気自動車(EV)にまつわる損失は通期で1.5兆円を超えた。世のなかはこの決算を、行き過ぎたEVシフトが招いた敗北だと捉えている。最新の経営計画を数字だけで追えば、EV投資を削り、利益の出るハイブリッド車(HV)へと戻る撤退戦のように映るかもしれない。
だが、現金の流れを細かく見ていくと別の意図が見えてくる。今回の赤字は負けを認めた結果ではないだろう。エンジン車という過去の遺産や初期のEV戦略が抱えていたしがらみを払い落とすための決断だ。
人工知能やソフトウェアが車を動かすソフトウェア定義型車両(SDV)の時代へかじを切る、痛みをともなう自己変革とみるべきだろう。これまでの成功体験が次世代の足かせになると見極め、資本の使い方を根底から変える判断を下したといえる。
ホンダが絞った投資はあくまで動力としてのEVに限られており、知能化領域への資金投入は手を緩めていない。1.5兆円もの巨額損失は、古い仕組みを守り続けるコストを断ち切り、次へ進むために払った高い授業料だろう。目に見える資産へのこだわりを捨て、形のないソフトウェアの価値をどこまで高められるか。そこに賭けた形跡が数字の端々に表れている。
市場の現実に即した投資配分の刷新

ホンダ・2026ビジネスアップデート(画像:本田技研工業)
ホンダが発表した最新の経営計画を2025年版と照らし合わせると、野心的なEVシフトから市場の現実に即した路線へとかじを切った実態が見えてくる。
もともとホンダは、2040年までに四輪車の新車販売をすべてEVと燃料電池車(FCV)にする目標を掲げていた。しかし2025年を迎えた今、市場の伸び悩みを受け、2030年時点のEV販売比率は目標だった30%に届かない見通しとなっている。この逆風により、投入時期やカナダでの大規模な生産網整備といった計画を練り直す必要に迫られた。
一方で根強い需要があるHVについては、2027年以降に投入する次世代モデルを柱に据え、EV普及までの空白を埋める商品として強化する。2030年の四輪販売は360万台以上を見込み、そのうちHVで220万台を稼ぎ出す構えだ。
こうした流れを受け、2027年3月期からの5年間で描く資金の使い方も形を変えた。二輪事業の稼ぐ力とHVの販売増を背景に、12兆円以上の現金を創出する計画を立てている。2031年3月期までの投資配分では、電動化やソフト領域を前年度から3兆円減らし、3.5兆円に留めた。対照的に、HVへの投資はわずかながら上積みされている。
こうした投資の振りわけは、予測のつかない地政学リスクやインフラ整備の遅れを見越し、不透明な情勢でも身軽に動ける余力を守るためだろう。HVは目先の利益を得る道具に留まらない。将来のEVにも転用できる電子基盤を自らの収益で磨き上げる場所へと役割を変えたといえる。枠組みを整え直すことで、手元の資金を状況に合わせて効率よく投じる態勢が整いつつある。
短期決戦による四輪事業の足腰強化
市場をとりまく環境はその後、さらに激しさを増した。2025年5月に始まった米政府の関税政策や同年9月末のEV税控除の打ち切りが重なり、EV市場の伸び悩みは予想を超える速さで進んでいく。ホンダはこうした事態を受け、投資先の仕わけをより厳しく行うことに決めた。
現金を稼ぎ出す目標も、長期の見通しから2027年3月期からの3年間で6.2兆円を積み上げる短期決戦の構えへと移っている。四輪事業の足腰を徹底的に鍛える姿勢がうかがえる。2029年3月期までの3年間では、エンジン車とHVに4.4兆円を振り向ける一方で、EV投資は0.8兆円、ソフトウェアへの投資は1兆円まで絞り込んだ。カナダで進めていたEV関連の大規模投資も、無期限の凍結が決まっている。
こうした動きを世間は戦略の挫折だと口にするが、実態は少し違う。HVに重きを置くのは、収益を守りながら次世代を支える土台を広めるための現実的な選択だろう。これまでの技術を詰め込んだ車でしっかり稼ぎつつ、そこで得た資金を将来の強みへとつなげていく。並んだ数字の背後にあるのは、限られた経営資源をどこに残し、何を捨てるかを見極めた意思決定の跡だ。
過去のしがらみを断つ戦略的清算

ホンダ・2026ビジネスアップデート(画像:本田技研工業)
ホンダが示した最新の報告で目にとまるのは、EVにまつわる損失を差し引けば、四輪事業そのものは黒字を保っているという点だ。この巨額損失についても借金に頼らず手元の現金でまかなうといい切っている。つまり今回の赤字は、車が売れずに立ち行かなくなった末の窮地ではないということだ。
これからの3年間で経営資源の配分を改め、外部の力も借りながら、ものづくりの土台を徹底的に鍛え直す構えだ。その後、強まった体質を頼りに新車を送り出し、成長軌道に戻していく。2029年3月期には好調な二輪や金融事業の伸びも合わせ、過去最高水準となる1.4兆円以上の営業利益を見据えている。四輪の黒字化と二輪事業の並外れた稼ぐ力によって、EV損失分を除けば7兆円を上回る利益を積み上げ、負債はすべて手元の現金で片付けるつもりだろう。
2026年3月期に計上したEV関連損失1兆5778億円のうち、1.3兆円あまりは戦略の切り替えによって積み増されたものだ。これこそが高い授業料の本質といえる。過去に進めてきた投資や工場などの固定資産、将来の回収が難しくなった資産を一気に整理した。初期の戦略にあった見通しの甘さや古いやり方を断ち切るための苦渋の決断だったはずだ。
二輪事業が生み出す潤沢な利益を四輪の過去を清算するために投じる。圧倒的な収益源を持つホンダだからこそ選べた、大胆な資金の移し替えといえるだろう。
需要変動を乗り切る機動的な経営
EV市場が幕を開けたころ、多くのメーカーは市場を奪うことこそが勝ち残るための答えだと信じて疑わなかった。巨額の資金が開発へ投じられたが、今その前提が変わりつつある。地域ごとの事情やインフラの整備状況によって、世界が思い描いたほどEV一色には染まらなかったからだ。
北米では大型のピックアップトラックやスポーツタイプ多目的車(SUV)が相変わらず支持を集め、HVへの需要も底堅い。一方で中国では地元のメーカーが激しい価格競争を仕掛け、安いEVが市場を覆い尽くしている。欧州に目を向ければ、補助金の打ち切りが普及の勢いに水を差す。
こうした波に対し、ホンダは北米での新興勢との争いや中国での苦戦を正面から受け止め、四輪事業で利益を出すための手を打った。EV専用にするはずだった生産ラインをHV向けに振り向け、確実に売れる車で利益を積み上げていく。工場の稼働率を保つために安売りの泥沼に踏み込むのではなく、売れ行きの変化に合わせて動く経営へ切り替えたわけだ。
先が見えない局面を乗り切るしなやかさを持ち、稼ぐための事業と未来を拓くための投資を切りわける態勢を固めたといえるだろう。
知能化を本命とする資本の集中投下

ホンダ・ハイブリッドセダン・プロトタイプ(画像:本田技研工業)
ホンダが打ち出した投資の割り振りで目を引くのは、全体の枠を一気に半分近くまで削ったことだ。興味深いのはその内訳である。EVへの投資を大幅に絞り込む一方で、ソフトウェアには1兆円という巨額の資金を投じ続ける。この数字のバランスこそが、ホンダの狙いがEVを数多く作ることそれ自体ではなく、知能化によって車の価値を高めることにある証拠だろう。
いま、車という製品の価値がどこで決まるのか、その勢力図が塗り替わりつつある。かつてはエンジンの馬力や車体の堅牢さが主役だったが、現在はソフトウェアが競争の最前線に躍り出た。
高度な運転支援システムや独自のOSによって磨かれた知能を、HVにも幅広く載せていく。目先の収益を守りながら、いずれ訪れる次世代EVの時代に欠かせない強みをあらかじめ鍛えておくわけだ。HVを売りながらソフトウェアを育てるという選択は、EV化を先送りにする後ろ向きな判断とはまるで中身が違う。
ホンダにとって知能化こそが生き残りをかけた本命といえる。EV投資を切り詰めてでもソフトウェアへの投下を緩めない姿勢にその覚悟が読み取れる。HVを「過去の技術」として戻る場所と捉えるのではなく、最新の知能を実戦で試す舞台として使い倒す。
220万台という次世代HVを情報を集める端末として走らせれば、EVが本格的に普及する頃には他社を引き離すレベルの高度な人工知能を手にしているはずだ。この流れを作り上げることこそが、先の見えない競争に勝つための足がかりとなるに違いない。
不透明な時代を制する変革の節目

ホンダ・取締役代表執行役社長・三部敏宏氏(画像:本田技研工業)
地政学的なリスクがつきまとい、電動化の先行きが見通せないいま、ホンダは電気かエンジンかといった二極化の議論から一歩踏み出した。問われているのは動力源の選定ではなく、車の知能をいかに手中に収めるかにある。
知能化の技術を極めれば、HVであっても高い利益を出し続けることはできる。将来EV市場が再び伸び始めたとしても、積み上げたソフトウェアの資産をそのままEVへ移し替えればいい。普及がもたついたとしても、HVを売って手元の現金をしっかり守り抜く。
このしなやかさこそが、混迷を極める業界で生き延びるために欠かせない力となるだろう。需要に合わせてHVで稼ぎ、知能という次世代の核心へ資本を集中させる機動的な経営は、日本車が生き残るための道筋を照らしている。
ホンダが計上した巨額損失は、決して敗北の証ではない。ソフトウェアが主導権を握る次世代に向けて資源の配分を切り替えたとみるべきだろう。痛みを先送りせず一気に片付けた決断からは、抜き差しならない危機感と素早い行動力が読み取れる。
不透明な時代に、過去の成功に寄りかかる企業が消えていくのは道理だ。需要の波に合わせて中身を柔軟に入れ替え、未来へ向けた投資を絶やさない企業が最後には勝つ。2026年に行われた今回の戦略転換は、その後の成否をわける大きな節目になるに違いない。