玉虫色で握った「一つの中国」から54年、新たな“歴史戦”が始まる 高市氏答弁と中国の反発、「平和国家」日本を揺さぶるナラティブを発信

2025年11月7日の衆院予算委で答弁する高市首相。「台湾有事は存立危機事態になり得る」とした
高市早苗首相の台湾有事を巡る国会答弁に中国はなぜ強く反発するのでしょうか。背景には、1972年に国交正常化するに当たって調印した日中共同声明で、「一つの中国」を玉虫色の内容でまとめた歴史的経緯があります。
「もともと解釈が違う。それで手を握ったのです」。経緯に詳しい慶応大の井上正也教授はこう指摘します。そして、中国が答弁を巡る日本批判で新たな“歴史戦”を始めたと分析します。
井上教授の解説を交え、中国の思惑をひもとくと、「平和国家」としての戦後日本の立ち位置を揺さぶろうとするナラティブが見えてきました。(共同通信・日中関係取材班)

井上正也教授
▽中国は「認めた」主張、日本は曖昧に
そもそも日中共同声明とは、どのような内容なのでしょうか。
日本は1972年9月、それまで「中国」と見なしていた台湾(中華民国)と断交し、中国と国交を正常化しました。このときの日中共同声明で、日本が「一つの中国」原則を認めたと、中国は主張しています。
しかし、日本は台湾の地位については曖昧さも残し、微妙な解釈の違いがあります。これが対立の背景なのです。
(以下引用)
【日中共同声明抜粋】
二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する。
(以上引用)

1972年9月29日、日中共同声明に調印し、中国の周恩来首相(右)と文書を交換する田中角栄首相=北京の人民大会堂(共同)
第2項で日本政府は、中国を「唯一の合法政府」だと「承認」しました。一方、第3項に「台湾が中国の領土の不可分の一部である」ことを「承認する」とは書かれていません。台湾の地位については、中国の立場を完全に認めたとも言えないのです。
国交正常化交渉に携わった日本側当局者は、重要なのは「ポツダム宣言第8項」の部分だと著書で説明しています。

1945年7月26日、ドイツのポツダムで会談した(左から)チャーチル、トルーマン、スターリンの英米ソ首脳が日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言を決め、中国の同意を得て米英中3カ国名で発表した。ソ連は対日参戦後に参加。広島、長崎への原爆投下を経て8月14日の御前会議で政府は正式に受諾した。
▽交渉での「腹案」
ポツダム宣言とは、1945年7月に米国、英国、中華民国が発表した第2次世界大戦の戦後処理の方針です。日本は8月に受諾して無条件降伏しました。第8項には「カイロ宣言の条項」は履行されるべきだと記されています。
カイロ宣言とは、米英と中華民国が1943年に発表した対日政策で、台湾など「日本国が清国人より盗取した」地域は全て中華民国に返還するとされています。
日中国交正常化の交渉に当たった栗山尚一外務省条約課長(当時)の著書によると、共同声明に向けて日本が準備した当初案は「十分理解し、尊重する」まででした。中国は納得せず、日本がポツダム宣言第8項に関する文言を付け足すという「腹案」を提示しました。
栗山氏は「十分理解し、尊重する」で「まとまるという自信は、条約局というか、私にはありませんでした」と語り、腹案を用意して局内と当時の中国課長にだけ事前に説明し、北京へ赴いたと明かしています。中国側がこれを受け入れ、決着しました。
栗山氏によると「十分理解し、尊重する」という言葉は法律的に意味を持たないといいます。ただ日本はポツダム宣言を受諾しているので、第8項に関する文言が加わることで共同声明は「(台湾が将来)中国に返還されることに異議は唱えないということを約束した」という意味になります。
同時に、日本は共同声明の時点で台湾が中華人民共和国に「現に帰属しているとは理解していない」(1972年11月の大平正芳外相答弁)という認識を示したことにもなります。
田中角栄首相(当時)と共に国交正常化を成し遂げた大平氏はこの国会答弁で、こんな説明をしています。
(以下引用)
…わが国が放棄した領土の帰属について、わが国が独自の判定を下す立場にございませんことは、…(中略)…ポツダム宣言はカイロ宣言を受けまして、台湾は中国に帰属すべきものであるという見解が述べられておりまして、現に帰属しておるというように私どもは理解いたしていないのでございます。これはあくまで法理論としてそうで、…(中略)…政治的には一つの中国の立場を貫き、台湾に領土的野心を日本は持たないばかりか、台湾の独立運動等に加担をする意思は毛頭ございませんということを鮮明にいたしておりますけれども、純法律的な冷たい論理の展開といたしましては、共同声明三項に、日本政府の立場を明らかにしておるわけでございまして、…
(以上引用)

衆院予算委で、答弁する首相時代の大平正芳氏=1979年2月
▽「もともと解釈が違う」
日中双方がのめる表現に落ち着いた経緯をみてきました。では昨年11月の高市氏の国会答弁は、共同声明に違反している、と言えるのでしょうか。
日本外交史が専門の井上正也教授は、次のように読み解きます。
× × ×
「そもそも1972年に『玉虫色の決着』をつけているのです。ですから、どちらかの主張が間違っているわけではなく、もともと解釈が違う。それで手を握ったわけです」
「日本は台湾の地位が国際法的には未定であるという立場を崩したくありませんでした。日本政府としては、中国側の主張は法的には認められない。けれども政治的な意味では『一つの中国』を理解し尊重します、という意味でこの条文で落ち着いたわけです。つまり、この時点から『灰色』でした」
「一方、中国側にしてみれば、日本は『一つの中国』原則を認めたじゃないか、つまり台湾問題は国内問題なのだから、どうしようと日本が口出しする権利はない。だから『存立危機事態』が適用されると言うことは明らかに共同声明の精神に反する―というのが、中国の言い分です」

田中首相主催返礼夕食会で談笑する周恩来首相と田中角栄首相(右)=1972年9月28日、北京の人民大会堂
▽答弁で一変、立憲野田代表の「助け舟」も…
高市氏は昨年11月7日、台湾有事を巡り「武力行使を伴えば存立危機事態になり得る」と国会答弁しました。答弁は台湾有事で自衛隊による集団的自衛権行使の可能性を示したものです。
ただ中国からすると、中台間で紛争が起きても自国の内政問題であり、他国の干渉は許せません。習近平指導部は台湾統一を国家目標にしていて、首相答弁を「台湾海峡問題への武力介入の可能性を示唆した」と受け止めました。
答弁を受けて日中関係が悪化する中、高市氏は昨年11月26日の党首討論で台湾を巡る日本の立場について、サンフランシスコ平和条約に基づき、日本は「台湾の法的地位や認定をする立場にございません」と改めて説明しました。立憲民主党の野田佳彦代表(当時)との党首討論でした。
関係者によると、7日の答弁の軌道修正を図る場とする狙いもあったようです。野田氏は討論後、記者団に「(存立危機事態の)具体例を言わなくなった。事実上の(答弁の)撤回だと受け止めた」と評価しました。野田氏による高市氏への実質的な「助け舟」でした。
ところが、中国政府はこの時の高市氏の発言にも反発しました。中国が問題視したのは、高市氏が条約だけを取り上げ、共同声明に記されたポツダム宣言などに触れなかったことです。中国外務省報道官が、高市氏は「台湾地位未定論」をあおろうとしている―と批判しました。
この背景にも歴史的経緯があります。
1951年のサンフランシスコ講和会議を経て結ばれたサンフランシスコ平和条約により、戦後日本は主権を回復し、国際社会に復帰しました。
共産党が内戦に勝利して中華人民共和国が成立し、中華民国の国民党政権が台湾へ逃れた後、英国が1950年に中華人民共和国を承認した一方、米国は中華民国を支持していました。連合国で立場が割れ、サンフランシスコ講和会議はいずれの「中国」も不在でした。
サンフランシスコ平和条約で日本は台湾に関する権利を放棄しましたが、帰属には触れていません。中国は同条約について中国やソ連など主要当事国が参加しておらず「不法で無効」との立場です。
このため、条約にだけ触れた高市氏の発言にも反発したのです。

サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂首席全権=1951年9月8日、米・サンフランシスコのオペラハウス(共同)
▽「中国がキープレーヤーとして」
中国の反応を、井上教授はこう分析しています。
× × ×
「中国は従来『自分たちが参加していないサンフランシスコ講和体制は受け入れられない』と主張してきました。ただ、日中国交正常化の後はあまり言わなかった。近年、講和体制を否定する言説を強めるようになり、台湾返還を認めたカイロ宣言に何度も触れるようになりました」
「彼らの中で歴史の解釈が変わってきているように見えます。講和体制を否定するだけではなく、そもそも戦後国際秩序は、中国がキープレーヤーとして米国と一緒に作り上げてきたものだというストーリーを中国政府は作りたいのだと思います」
「なぜカイロ宣言に何度も言及するのか。それは、同宣言は中華民国が参加して調印し、台湾・澎湖諸島の返還が国際的に認められたものだからです。中華民国の歴史も含めて、戦後国際秩序のナラティブ(物語)を自らの好ましいものへと書き直そうとしているのだろうと思います」

1998年11月、非公式夕食会で乾杯する小渕恵三首相(左)と中国の江沢民主席=東京・元赤坂。両首脳は会談後、共同宣言を発表した。
▽「言わなくなった」日本、不信を強める中国
日中国交正常化後の1972年11月、大平外相(当時)は国会答弁で、中台対立は「基本的には中国の国内問題」と表明し、日本政府は「政治的には一つの中国の立場を貫き」と述べました。「中国は一つ」という表現は、1998年の日中共同宣言にも盛り込まれています。
しかし近年、日本政府は「一つの中国」「中国は一つ」といった言い回しを基本的に公式には使っていません。過去に日本政府要人が発言したり、国会答弁で用いたりしてきたものの、近年発信しなくなった表現は他にもあります。
「台湾独立は支持しない」「一つの中国一つの台湾という立場を取らない」などです。ある元政府高官は「近年は、日中共同声明第3項を全て読み上げることは避けている」と明かします。関係筋によると、日本政府内には第3項のポツダム宣言のくだりへの言及を避けるべきだとの意見もあります。
複数の日本政府関係者は対応の背景に、中国による台湾への軍事的威嚇が強まったことと、台湾の変化を挙げます。
1972年9月26日、中国の周恩来首相は、田中角栄首相(いずれも当時)との国交正常化に向けた首脳会談で「私たちが台湾を武力で解放(注・統一のこと)することはないと思う」と述べました。
ある外交筋は「1972年当時と、現在の状況は一変しているということだ」と指摘します。国力を向上させた中国は台湾を包囲する軍事演習を繰り返し、台湾周辺での軍事圧力を常態化してきました。
さらに、台湾の政治状況は大きく変化しました。蒋介石の時代には、台湾の国民党政権が「一つの中国」を堅持し、自らこそが正統な「中国」だとして「大陸反攻」を目指していましたが、今では民主主義が定着しました。
自らを中国人ではなく台湾人だと考える「台湾人意識」も近年強まっています。

1949年10月1日、北京の天安門楼上で中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東主席(ANS=共同)
▽日台接近への警戒も
茂木敏充外相は昨年12月15日、国会での答弁で台湾に関する日本の立場について、日中共同声明の一部を読み上げ「日本国政府は、中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づき立場を堅持する」としました。中国側では、高市氏の答弁後、日本政府が改めて「ポツダム第8項」に触れたことに注目する動きもありました。
ですが、中国政府の日本政府の姿勢に対する不信は強く、矛を収めるには至っていません。ある中国外交官は「『日本の立場は変わらない』と言われても、何が変わらないのか日本は明確に言わない」と語ります。
近年、日本は台湾との実務協力を強化しており、こうした日台接近への警戒感も、高市氏答弁への強い反発の背景にはありそうです。昨年11月以降、中国政府は国際社会や2国間外交の場で日本を批判する国際情報戦を強めてきました。台湾に関する主張の浸透も図っています。

中国軍の東部戦区が30日、台湾周辺での軍事演習の一場面として「微信(ウィーチャット)」の公式アカウントに投稿した画像(共同)
▽日本の自画像とは
こうした動きを、井上教授は「歴史戦」と呼びます。
× × ×
「1971年に中華人民共和国が国際社会に祝福されて国際連合に加盟したので、日本は中華民国から承認を切り替え、日中国交正常化が成立しました。そして、サンフランシスコ講和体制に中国が組み込まれたことによって、アジア太平洋地域の平和が保たれてきたというのが日本政府の考え方です」
「サンフランシスコ講和体制を否定する中国の歴史観は、日本の解釈と全く異なります。当たり前ですが、中国側の語る『物語』を全否定するわけではありません。ただ、力を持った国が一方的に自国の歴史観を押しつけるかのような振る舞いはどうなのか」
「中国は高市政権を台湾海峡の現状変更をたくらみ、平和を破壊する『軍国主義者』だと主張しています。これは明らかに、『平和国家』として歩んできた戦後日本そのものを否定するナラティブであり、新たな形で中国が『歴史戦』を仕掛けてきているのだと思います」
「展開される中国側の言説に対して、日本政府は正面からきちんと反論できていません。難しいのは、国民の間にいまだに歴史観を巡る分裂や対立があることです。日本としては、戦後日本がどのような国家であったかという自画像をきちんと中国側に示す必要がある。今まで日本人の歴史観については、戦前の歴史を中心に右寄りとされる人々ばかりが問題にしてきた傾向がありますが、戦後史も含めてもう少し国民的な議論をする必要があります」

2025年11月7日、衆院予算委で立憲民主党(当時)の岡田克也氏の質問に答弁する高市首相。「台湾有事」を巡り、安全保障関連法の規定で集団的自衛権の行使が可能となる「存立危機事態」に当たるかどうか問われ、状況次第で該当するとの見解を示した。
▽台湾問題は「特別」
高市氏の答弁から半年が経過しましたが、日中関係は冷え込んだ状態が続いています。短期間で関係を修復するのは難しいとこぼす日本政府関係者もいます。ただ関係悪化が続けば、経済面や安全保障面での悪影響が懸念されます。
井上教授は、事態の難しさの背景には台湾問題の特殊さがあると指摘します。
× × ×
「台湾問題は、他のイシュー(問題)に比べても特別です。日中間で歴史や領土の問題が近年注目されてきましたが、台湾問題は中華人民共和国建国の時からあり、日中国交正常化における最大の争点だった歴史的経緯があります。そういう意味で、中国側はこの問題を非常に重視しており、簡単に拳を下ろすわけにはいかないでしょう」
「日本にとっても、台湾は日本の安全保障や日米同盟に直結する問題であり、譲歩できる余地がない。日本政府にできるのは、1972年の日中共同声明のラインから外れないという点を再確認することです。
「日中共同声明は、当時旧ソ連と対立していた中国がかなりの譲歩を示し、日中国交正常化を急いでいた日本側も政治的に歩み寄った結果できました。双方が苦しい時期に玉虫色で解決した経緯があるゆえに、その後の時代も互いに大きな不満が残らなかったのだと思います」
「共同声明は日本にも利益があります。仮に新たな取り決めを作れば、1972年当時と比べて格段に大きくなった中国の国力が反映されることになり、日本に不利なものになるでしょう。ですから共同声明の精神を大切にすることは、今の日中間のパワーバランスを考えると悪い選択肢ではないのです」