高市早苗はなぜ「答えない政治家」になったのか…政治学者が感じた失望「諸般の事情」「秘書を信じる」の共通点
力強いフレーズで支持を集めてきた高市早苗首相が、いつのまにか「諸般の事情」「秘書を信じる」といった“政治家構文”を使い始めている―――。強い言葉を看板にしてきた政治家も、首相の椅子に座った途端に“答えない技術”を身につけていくのはなぜか。(以下、政治学者・森川友義氏による寄稿)
◆「言い切る政治家」だったはずの高市氏

写真/産経新聞社
拙著『政治家の「答えない」技術』では、高市早苗氏を比較的高く評価した。理由は単純である。高市氏の言葉には、主語があり、方向があり、相手に嫌われる覚悟があるように見えたからだ。
政治家の多くが「検討します」「注視します」「関係省庁と連携します」と霞の中へ逃げ込むなかで、高市氏は少なくとも何を言いたいのかが分かる政治家だった。
ところが、首相になって変わり始めた。今年に入ってからの高市首相を見ていると、その評価を修正しなければならない気がしている。首相になると、政治家は変わる。いや、正確に言えば、首相という職務が政治家の言葉を変えてしまう。
象徴的なのは、国会答弁だ。報道によれば、衆院予算委員会での高市首相の答弁回数は、昨秋の論戦初日と比べて大きく減り、閣僚が肩代わりする場面が目立ったという。
高市氏は、答える政治家から、答えさせる政治家へ移ったのである。
◆「諸般の事情」炎上が示したもの
これは能力の低下というより、立場の変化だ。野党席や党内論争の場では、鋭い言葉が武器になる。しかし首相になると、言葉はそのまま政府の方針になり、外交上の信号になり、市場へのメッセージにもなる。言い切る力は、同時に火種になる。ここで多くの政治家は、急に言葉を丸め始める。
その典型が、「諸般の事情が許せば」という表現をめぐる炎上だ。高市首相は、東日本大震災の追悼式出席に関するXの投稿でこの表現を使い、「行けたら行く」という意味に受け止められたとして批判を浴びた。
「諸般の事情」とは、永田町や霞が関では通例的な表現である。しかし国民向けのX投稿で使われた瞬間、いかにも政治家構文らしい便利語に見えてしまう。何か事情があるらしいが、その事情は具体的に示されない。責任を引き受けているようで、実は霧を発生させている。高市氏までこの語彙を使うのかと、私はたいへんがっかりした。

『政治家の「答えない」技術』(扶桑社新書)
◆「秘書を信じる」という構文の罠
さらに、ネガティブキャンペーン動画をめぐる報道への対応も見逃せない。週刊誌報道では高市陣営側の関与が問題視され、高市首相は国会で秘書を信じる趣旨の答弁をしたとされる。
「私は知りません」では冷たい。「秘書を信じます」と言えば温かい。けれども構文として見れば、確認の主体を自分から側近へ移している。責任を否定しながら、責任の中心を少し横へずらしているのだ。
◆首相の椅子には「答えない装置」が内蔵されている。

森川友義氏。”政治家構文”の詳細は著書『政治家の「答えない」技術』に詳しい
もちろん、高市氏だけを責めるのは公平ではない。首相という職務は、だれに対しても政治家構文を要求する。明快な答えは失言になる。率直な本音は政局になる。踏み込んだ説明は外交問題になる。
つまり、首相の椅子には、答えない技術を学ばせる装置が内蔵されているのだ。
それでも私は、高市氏にはもう少し粘ってほしかった。言葉の強さを看板にしてきた政治家が、「諸般の事情」「担当大臣」「秘書を信じる」という方向へ寄っていく姿は、政治家構文の感染力を示している。
政治家構文は、弱い政治家だけの病ではない。強い言葉を持つ政治家にも感染する。首相になるとは、答える力を試されることではなく、答えない誘惑と戦うことなのかもしれない。
<文/森川友義>
【森川友義】
早稲田大学名誉教授。元早稲田大学国際教養学部教授。政治学博士。1955年群馬県生まれ。早稲田大学政経学部卒、ボストン大学政治学修士号、オレゴン大学政治学博士号取得。国連勤務後、米国ルイス・クラーク大学助教、オレゴン大学客員准教授等を経て、現在に至る。専門は日本政治、恋愛学、進化政治学。政治学の著書としては『60年安保 6人の証言』(編著、同時代社)、『若者は、選挙に行かないせいで四〇〇〇万円も損している!?』、『どうする!依存大国ニッポン』(ディスカヴァートゥエンティワン社)、『生き延びるための政治学』(弘文堂)等がある