アメリカの政治学者の私が、高市総理の「立候補者の帰化歴の開示問題」への答弁を残念に思った理由
残念な高市答弁
日本の民主主義は、帰化した人物について、公職者と市民の双方の場合に対して忠誠を前提としている。問題は、その期待が存在することそのものではなく、このことを率直かつ成熟した形で議論することに社会が消極的である点にある。民主主義は、市民権、忠誠、そして公的信頼といった問題がタブー視されるのではなく、透明性を持って扱われるときに最も機能する。
公職候補者の以前の国籍開示、つまり帰化歴の公表をめぐる最近の国会での議論は、日本の政治文化に潜む、より深刻な問題、すなわち「法の下の公平」を装った透明性への過度な恐れを露呈している。

5月20日、参議院党首討論
5月20日、今国会の初の党首討論において、参政党の神谷宗幣代表は実際に存在する「外国勢力の影響工作」について極めて重要な問題提起をした。その発言の最後に、次の質問を行った。
「過去に外国籍を持っていたことや帰化歴についても、有権者の判断材料とプライバシーの保護、このバランスを取りながら是非検討を始めていただきたいと思いますけれども、総理の見解をお聞かせください」
その質問に対し、高市早苗首相が、国民感情と問題の深刻さを理解していないような回答を行ってしまい、多くの有権者をがっかりさせた。
「帰化歴を、じゃ、選挙のときに出すかどうかということなんですが、これは、私たちでしたら、氏名、そして年齢、そして党派などを届け出て、そしてそれを選挙長が公示をしますよね、告示をしますよね。だけれども、じゃ、帰化歴があって、今、日本人であるという方に、その帰化歴を届け出て、そしてそれを公にされるということは、法の下の平等の観点からも慎重に考える必要があると思っております。帰化された方は日本人ですから、選挙権を持って、被選挙権も持っておられます」
「法的な正しさ」ではなく「政治的な正しさ」とは
「法の下の平等」への配慮から、選挙期間中に公職候補者に過去の国籍の開示を求めるには「慎重に考える必要がある」と述べた際、その立場は「法的には」正当化できるかもしれないが、しかし「政治的には」根本的に誤った見解である。
問題は、元外国籍者が国会議員や地方議員、あるいは首長などを務めるべきかどうかという点ではではない。現代の民主主義社会において、帰化された市民は公的生活に参加するあらゆる機会を与えられるべきである。多くの帰化日本人は、貴重な国際経験、語学力、起業家としての成功、そして自ら選んだ国に対する意識的な理解をもたらしている。

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真の問題は、有権者が、自分たちを統治しようとする人々の経歴を知る権利があるかどうかなのである。健全な民主主義国家であれば、その答えは「イエス」であるべきだ。
その主な理由は、当然ながら、生まれ育ちが日本の日本国民と違って、彼らが当選することに伴う潜在的なリスクにある。しかし、彼らのユニークな経歴や、その背景に基づいて公職にもたらし得る資質を明らかにすることも、極めて有益である。有権者は、責任ある、十分な情報に基づいた判断を下すために、可能な限り多くの正確な情報を得る必要がある。公認の選挙管理当局からこの情報を提供されないことは、職務怠慢に他ならない。
日本は、帰化されたい人々にすでに複数のことを求めている。申請者は、安定した品行、社会への統合、法の尊重、そして国家の憲法秩序への忠誠を証明することが求められる。また、日本は一般的に帰化市民に対し、以前の国籍を放棄することを求めており、これは多くの民主主義国に見られるものよりもはるかに厳しい、排他的な国家への忠誠を期待するものである。
日本には、象徴的ではあるが極めて重要な忠誠の宣誓を伴う、米国式の公的な帰化式はないものの、その原則はすでに制度に組み込まれている。日本国籍を取得する者は、少なくとも申請者が誠実かつ忠実であるという理想的な制度においては、事実上、日本の法律、制度、そして国民共同体を自らのものとして受け入れると宣言していることになる。
有権者の利益を最優先に
皮肉なことに、政治指導者たちは、公の議論の場で以前の国籍を、あまりにもデリケートな話題として扱うことで、回避しようとしているはずの偏見を、意図せずしてむしろ強めてしまっている。彼らは、外国のルーツは隠されたままであるべきだ、ひっそりと管理されるべきだ、あるいは政治的に隠蔽されるべきだというメッセージを、実は発しているのだ。これは、良いことよりも悪いことの方をもたらす。
私の母国のアメリカでは、移民の背景を持つ政治家が、市民権取得までの道のりについて率直かつ誇りを持って語ることは珍しくない。彼らの物語は、忠誠心の分裂を示す証拠としてではなく、汗と血と涙を注ぐことを選んだ国への献身、忍耐、そして信念の証として捉えられることが多い。有権者は、そうした物語を聞き、理性的な判断を下すことができると信頼されている。

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日本も同様の自信を示すべきだ。透明性は差別ではない。開示は排除ではない。それは、こうした新しい市民を評価し、尊重する機会なのである。
有権者はすでに、教育、経歴、資産状況、所属団体、家族歴、スキャンダル、過去の公的発言など、候補者の背景に関する数え切れないほどの側面に基づいて評価を行っている。
本来、以前の国籍は、単に候補者の経歴の一部に過ぎず、公に開示されるべきである。市民はそれを無関係だと考えるかもしれないし、興味深いと思うかもしれないし、あるいは政治的に意味があると感じるかもしれない。しかし、その判断は有権者に委ねられるべきであり、国民がどの程度の情報を処理できるか、あるいは憲法という基本法の真意は何かを決定する政治エリートに委ねるべきではない。同じ憲法では、「主権在民」だから。
透明性は差別ではない
実際、透明性を拒むことは、往々にして意図した効果とは逆の結果を招く。秘密主義は疑惑を煽り、沈黙は噂を生む。完全に正当な公の議論を封じ込めようとする試みは、過激派やネットユーザーを、かえって勢いづかせるだけである。彼らは情報が隠されているように「見える」環境でこそ勢いづくからだ。

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情報を公開すれば、不自然な回避策を講じるよりもはるかに効果的に、帰化日本人の成功事例を当たり前のものとして定着させることができるだろう。自信に満ちた国家は、アイデンティティや市民権に関する透明性を恐れない。自信に満ちた民主主義は、有権者に情報を委ねる。
そして健全な政治文化とは、自発的に日本を選んだ市民――その多くはそうするために他国の国籍を放棄した人々――が、恥ずかしさや隠蔽なしに、誇りを持って公然と有権者の前に立つことを許容するものであるべきだ。
さらに深刻なのは、忠誠心の問題である。有権者は、候補者が公職に就いた際、出身国ではなく、日本や、あるいは自身が代表する自治体・選挙区の側に立つと信頼できるかどうかを知る必要がある。筆者は、もっと厳しい対策を講じるべきだと思っているが、まずは帰化歴の公開義務だ。
神谷氏が有難くこの問題を提起し、日本の多くの有権者が抱いているこの疑問は消えることはないため、高市政権は早急に、この問題に正面から取り組むべきである。
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