林眞須美は本当に毒カレー事件の犯人なのか? 有罪の根拠になった「目撃証言」と「白アリ薬剤」への疑問

林真須美氏 Photo:SANKEI
1998年に起きた和歌山毒物カレー事件を覚えているだろうか。夏祭りの会場でヒ素入りカレーを提供し4人が死亡した惨事の“主犯”とされた林眞須美は、2009年に死刑が確定。しかし、冤罪を訴える真須美と面会した筆者は、本当に彼女が犯人なのか疑問に感じるようになったのだという。※本稿は、ノンフィクションライターの片岡 健『実録 死刑囚26人の素顔』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。
カレー事件の林眞須美は
本当に罪を犯しているのか
林眞須美はカレー事件の犯人なのか、それとも違うのか。結論から言うと、私は事件の検証を本格的に始め、ほどなくして眞須美は冤罪なのだと思うようになった。
まず何より、眞須美にはカレーにヒ素を入れ、大勢の人を無差別に殺傷しなければならない動機が見当たらなかった。
事件発生当初、眞須美は死亡保険金目当てで夫の健治や知人男性にヒ素を飲ませた容疑を立件され、報道陣にホースで水をかける映像が繰り返しテレビで放送されるうち、カレー事件の犯人であることが自明のような雰囲気になった。
だが、カレー事件と保険金詐欺はあくまで別の事件だ。報道陣にホースで水をかけたことは、カレー事件とは何の関係も無いことだ。
眞須美にとって、カレーにヒ素を入れて大勢の人を殺傷しても何の得もなく、犯行が露呈すれば、死刑になる可能性が高い。普通、そんなことはしないだろう。
そもそも、眞須美本人は裁判で夫の健治と一緒に保険金詐欺をしていたことは認めつつ、死亡保険金目当てで健治や知人男性にヒ素を飲ませた疑惑は否定し、「夫や知人男性は、保険金を騙し取るために自分でヒ素を飲んでいた」と主張していた。
結果、この主張は退けられ、眞須美は健治や知人男性にヒ素を飲ませたと認定されたのだが、ここにも疑問が存在した。
「被害者」であるはずの健治が裁判で「ヒ素は保険金を騙し取るため、自分で飲んでいた」と眞須美の主張を裏づける証言していることだ。
健治は、眞須美と共謀して3件の保険金詐欺をはたらいたとして懲役6年の判決を受け、2005年6月まで滋賀刑務所で服役し、出所後は和歌山で一人暮らしをしている。
「みんなでワイワイ楽しく
保険金詐欺をやっていたんです」
私はこの間、健治とは数え切れないほど対話を重ねたが、自身が眞須美にヒ素を飲まされたことになっている件に関する健治の主張は以下のようなものだ。
「裁判官は、『林健治は妻をかばっている』として私の証言を信用しませんでした。しかし、ヒ素は飲むと大変なことになるんです。私が眞須美から死亡保険金目当てにヒ素を飲まされたのであれば、眞須美のことをうらみこそすれ、かばうわけがないでしょう」

眞須美の夫の健治。裁判では「被害者」と認定されたが、法廷の内外で眞須美の無実を訴えている。同書より転載
予断を排し、虚心坦懐にこの言葉を聞けば、健治が眞須美にヒ素を飲まされながら、嘘をついてまで眞須美をかばうことなどありえないと誰もが思うのではないか。
一方、眞須美の裁判で健治と共に死亡保険目当てにヒ素を飲まされた被害者と認定された知人男性は、林家に居候していた泉克典という無職の男だ。健治と眞須美によると、泉をはじめ、林家に出入りしていた人物たちの多くが保険金詐欺の共犯者だったという。
健治はこう語っている。
「世間の人は『ヒ素で保険金詐欺』と聞くと、怖いと思うようですが、私らはみんなでワイワイ楽しく保険金詐欺をやっていたんです。泉は私の真似をしてヒ素も飲んでいましたが、彼は元々、バイクで転倒して交通事故を装う保険金詐欺が得意でした。私や眞須美も交通事故を装う保険金詐欺をやった際は泉にやり方を教わったほどです」
実際、泉については、林夫婦と親しくなる前から多数の「交通事故」を起こしていたことや、ヒ素中毒の症状で病院に入院した際に無断外泊をして林家で麻雀をしていたことなどが裁判で判明している。
有罪の根拠とされた
「目撃証言」への疑問
それにもかかわらず、泉は保険金詐欺の罪を一切問われていないため、弁護側は「捜査機関が被告人(眞須美)をカレー事件で有罪とするため、泉と不正な取引をして、被害者に仕立て上げたのだ」と主張していた。裁判官には認められなかったが、私には弁護側の主張が正しかったと思える。
裁判記録を読み進めると、一、二審判決で有罪の証拠とされた目撃証言や物証に関しても首をかしげざるをえない点が散見された。
まず、目撃証言について見てみると──。
事件当日、夏祭りで提供されたカレーは地区内の民家のガレージで朝から主婦らが調理し、正午頃に完成後、午後3時頃までガレージでそのまま保管された。この間、何人かの主婦がカレーの見張り番をしているのだが、眞須美はそのうちの1人だった。
この見張り番をしていた時の眞須美の様子について、ガレージの向かいの家で暮らす高校生の少女が裁判でこんな証言をしている。
「林さんがしきりに道路のほうを気にしながら、カレーの鍋のフタをあけていました」
一、二審判決共にこの目撃証言に基づき、眞須美が「不審な行動」をしていたとして有罪の根拠に挙げている。
しかし実際には、この目撃証言は仮に信用できるとしても、眞須美がフタをあけた鍋は、「現場に2つあったカレーの鍋のうち、ヒ素が入っていなかったほうの鍋」に過ぎなかった。
ヒ素が入っていなかった鍋のフタをあけた程度のことを有罪の根拠にしないといけないというのは、むしろ証拠の乏しさを物語っている。
なお、眞須美は「見張り番をした時はずっと次女と一緒にいた。鍋のフタをあけたのも、カレーを味見した次女だった」と主張し、次女も裁判で眞須美と同様の証言をしている。
証拠隠滅せず放置していた
“重要な物証”への疑問
さらに物証にも疑問があった。林家の台所から見つかったプラスチック容器について、カレーに混入していたのと同一のヒ素が付着していたかのように認定されているのだが、この容器の発見経緯があまりに不自然なのだ。
というのも、和歌山県警は林夫婦を逮捕した日から林家の家宅捜索を行い、台所の流し台の下のシンクからこの容器を見つけたとされている。
しかし、林夫婦が逮捕されるまでは事件発生から2カ月余りもあったのだ。この容器が本当に眞須美のものなら、そんな重要な物証を2カ月余りも証拠隠滅せず、家に置いておくだろうか。
しかも、この容器は側面に「白アリ薬剤」というヒ素を意味する言葉が書かれており、これでは眞須美が「自分が犯人です」と言っているようなものだ。
実際、眞須美も健治も子供たちもこの容器について「一度も見たことがない」と言っており、この容器から家族の指紋は一切検出されていない。健治はこう言っている。
「私は、カレーに入っていた毒物がヒ素だと報道された時、保険金詐欺をするのに使っていたヒ素は全部処分しています。あんな容器が台所から見つかるはずはありません」
このように眞須美の裁判には様々な問題があったが、最高裁第三小法廷は2009年4月21日、眞須美の上告を棄却した。こうして事実上、眞須美の死刑は確定した。
だが、ここから眞須美の粘り腰は凄かった。弁護人が最高裁に判決の訂正申し立てを行い、死刑確定を先延ばしにした間、有名無名の様々な人と面会し無実を訴えまくったのだ。
死刑が確定したら、親族や弁護人以外との面会はほとんど許されなくなるので、そうなる前に自分が無実だと少しでも多くの人に訴えておこうとしたわけだ。
そして5月1日、私自身も眞須美の死刑確定前に最後の面会をした。この際は、捜査段階にカレー事件を取材していた創出版の社長・篠田博之とMBSの記者・三澤肇が同行した。
「犯人じゃないということは
はっきり申し上げたいです!」
私と篠田はそれ以前から眞須美とは面会や手紙のやりとりを重ねており、今さら話すこともあまり無いため三澤に質問の機会を与え、私と篠田は横で聞いていた。眞須美がこの時、三澤に無実を主張する必死な姿は強烈な記憶として残っている。

『 実録 死刑囚26人の素顔 』(片岡 健、宝島社)
「私は、カレー事件で亡くなった4人の方は全員、よく知っています。遺族の方に『眞須美の死刑を早くしろ』なんてコメントされたら、やり切れないです。私が犯人だと墓前に報告されたくないですし、犯人じゃないということははっきり申し上げたいです!」
「私の死刑が当たり前だと言うてる人は、マスコミの報道でホースで水をまいてるのを見て、『眞須美が犯人や』と思っているだけです。裁判員になって、裁判の中身を1つ1つ見たら、私を絶対に死刑にできないはずです!」
眞須美はそのように主張しながら感情が高ぶったのか、目尻から涙があふれ、頬を伝い落ちていた。私はこれほど極限状態の人間を見たのは、後にも先にも他にない。
それでも、眞須美は面会室を出て行く際は笑顔だった。振り返ると、面会終了時、眞須美は常にそうだった。それが、現時点で私が見た林眞須美の最後の姿となった。

一貫して冤罪を訴えている林眞須美。最高裁に上告中だった頃に届いた手紙はいつも蛍光ペンで「Help Me」「HOPE」「SMILE!!」などの文字が表書きされており、必死な思いが伝わってきた。同書より転載