米価が上がっても下がっても苦しい、備蓄米放出の陰で消えていく街のお米屋さんの現実

備蓄米放出も街のお米屋さんにはあまり恩恵がなかったという(写真:ロイター/アフロ)

 2年前の夏、スーパーの棚から米が消えたことは記憶に新しい。その後、備蓄米が放出されて安い古米が出回ったもののブランド米の価格は下がらず、高値が続いたかと思えば、今またジリジリと値を下げている。

 この間、街のお米屋さんは翻弄され続けた。加えて今、ホルムズ海峡閉鎖の影響でビニールの米袋が手に入らなくなっているという。「仕組み的に米屋はもう生き残れないと思う。うちも跡継ぎがいないから、私たちがどこまで頑張れるか……」。そう語る、街のお米屋さんの話を聞いた。

栗原由記子さん

 くりしげ商事は東京都東久留米市の駅前にある。卸売業者から仕入れる各地のブランド米に加えて、農家と直取引する茨城県産の減農薬米も扱っている。祖父の代から続くこの店を兄と切り盛りする栗原由記子さんは、2年前の夏のことを振り返ってこう語る。

「日本のお米は普通一年に一度しか収穫されませんから、最初に価格が決まると次の年の新米が出るまで大きな価格変動はありません。それが一昨年は変な時期から価格が上がっていく状況で、米屋なのに何が起きているのかわかりませんでした。

 前の年が猛暑だった影響で収穫量が減ったことや、外国人観光客が増えて需要が増えたことが原因だとされますが、それだけであそこまで価格が高騰するのは異常だと感じました。やはり、買いだめ、買い占めがあったのではないかと思います。

 また、あの年は米不足だったので二等米、三等米が市場に出ましたが、長いこと米屋をやってきましたが三等米は初めて見たかもしれません。三等米は精米すると、はじかれる米が増えて食べられる量が減ります。

 そんな中でも、とにかく学校や保育園など日頃から懇意にしてもらっているお客さまの分を確保するために、店頭にお米を置けない時期がありました。『一見のお客さまはお断り』の張り紙を出したのもその頃です。

 でも、普段は来ないお客さんがそういう時に来るんですよね。農家から直接買い付けたお米を変わらない値段で売っていたので『安い』となったんでしょうね。普段はスーパーで買っている人が、買えなくなったから米屋に来たんですよね。切なかったです」

個人商店に備蓄米放出の恩恵はほとんどなかった

 そのあと、備蓄米の放出が始まった。けれど、年間の販売実績が多いところが優先され、個人商店に備蓄米は入ってこなかった。最後の方にほんの少し入ってきたが、価格は大して安くはなかった。卸売業者が備蓄米ではないものとブレンドして価格が下がらないようにしていたからだ。

 スーパーやドラッグストアで5キロ2000円前後の備蓄米が販売される中、街の米屋は指をくわえて見ているしかなかった。しかも、食品表示法で米の産地や品種、産年などを表示しなければならないと定められているにもかかわらず、備蓄米にそうした表示はない。栗原さんは国のやり方に対して、腹立たしく思うこともあったという。

昭和32年ごろの店舗。この後、増築を繰り返した

 くりしげ商事は祖父の栗原茂夫さんが開いた店だった。戦後、兵隊から戻ってきた茂夫さんは炭を扱う燃料店を始め、やがて米も扱うようになった。当時、米は配給制で世帯の人数ごとに配給量を記した手帳があった。店は繁盛し、住み込みの従業員が何人も忙しく働く姿を由記子さんは覚えている。米は米屋で買う時代だった。

 それが変わったのは1995年の食糧法により、米の販売が自由化されてからのことだ。スーパーやコンビニでも米が売られるようになり、価格も国家統制を離れて自由に決められるようになった。

 消費者にとっては便利だが、街のお米屋さんにとっては死活問題だった。しかも、一人当たりの年間の米の消費はピーク時の1962年の118キロから減り続けて、2023年には51キロと半減した。

「個人商店は生き残れず、いずれは淘汰される」と、二代目である由記子さんの父、二三夫さんもよく話していたという。くりしげ商事は米を買う固定客がいることと、ガスの販売があるからかろうじてやっていけるが、廃業は常に視野に入っている。

「米は高過ぎてもいけないし、安過ぎてもいけない」

 帝国データバンクによれば、2025年度は米屋の廃業が3年ぶりに減少して75件になった。その背景には、販売単価の高騰によって収支が改善したことが挙げられるが、7年度産米の順調な収穫で米余り傾向が見られ、「空前の価格高騰が終焉を迎える中で、2026年度における米屋の廃業は再び増加する懸念が高まっている」という。

「米は高過ぎてもいけないし、安過ぎてもいけない」と、栗原さんは言う。高過ぎれば買えない人が出てくるし、安過ぎれば農家がやっていけない。それでなくても、農家の平均年齢は七十歳近い。「このままでは、日本のお米が食べられない日がやってくるのではないか」と栗原さんは危惧している。

 明日のことはわからない。けれど、栗原さんたちはできる限り米屋を続けていこうと思っている。

 ひとつには、くりしげ商事で買うお米が美味しいと言ってくれるお客さんがいるから。さほど金額を気にせず、何十年も懇意にしてくれるお客さんがいる。中には2キロ、3キロのお米を運ぶのを負担に感じる高齢者もいる。電話一本で米を届ける街の米屋ならではの温かさを届けたいと思っている。

現在の店舗

 栗原さんには忘れられない光景がある。

 毎年師走になると、父親が正月のための餅つきの準備を始めるのだ。大晦日、住み込みの従業員も総出で二三夫さんを中心に千枚以上ののし餅を作った。米屋にとって最大のイベントだったという。午前3時ごろには蒸し器の動く音がして、大量の餅をついた。買っていく人々も、まだ柔らかいのし餅を2枚も3枚も買っていった。

 でも、そんな文化は失われて久しい。

 便利さの追求と食文化の変化はいかんともしがたいものかもしれない。それでも、米を食べることにまつわる文化を私たちは失おうとしている。その自覚が私たちにあるだろうか。

草生 亜紀子(くさおい・あきこ)

ライター、翻訳者。産経新聞、ジャパン・タイムズ、新潮社などを経て独立。文筆業と並行して、NGOピースウィンズ・ジャパンでウクライナ支援などの仕事にも携わる。著書に『理想の小学校を探して』『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』。中川亜紀子名での訳書に『ふたりママの家で』がある。

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