東京進学も下宿も禁止...片道2時間半通学した女子大生を襲った就職氷河期で、秋になっても内定ゼロ
バブル崩壊後の1990年代後半から2000年代半ばまで、新卒者の採用数がぐっと絞られ、雇用環境が厳しい時期が10年ほど続きました。その当時に就職活動をした人は「就職氷河期世代」と呼ばれています。
就職氷河期世代はその後、社会人としてリーマンショックやコロナ禍を経験した波乱の世代でもあります。就職氷河期世代の女子が、就職活動でどんな苦労をしたのか。また、その後どんな人生を送っているのか。さまざまな人のドラマを、政府が発表しているデータを参照しながらご紹介します。

東京進学も下宿も禁止...片道2時間半通学した女子大生を襲った就職氷河期で、秋になっても内定ゼロ
取材者プロフィール
アイさん(仮名):47歳、2001年関西の私立女子大学卒業。
1978年生まれのアイさんは、2001年に大学を卒業した就職氷河期ど真ん中世代。
「好きな英語をいかせる仕事に就くこと」を目標に就職活動を始めますが、まったくうまくいきませんでした。
紆余曲折の果てに、アイさんが新卒でどんな職を得たのか。また、その後の人生をどう生きたのか、お話を聞きました。
北陸の町で生まれたアイさんは、お父さんが電力会社勤務、お母さんは中学校の教員という家庭環境で育ちました。専業主婦世帯がまだまだ多かった氷河期世代にとって、両親ともにフルタイムの共働きというのは珍しいかもしれませんが、そこには北陸ならではの事情があるとアイさんは言います。
「三世代同居や近居が当たり前で、子どもを義両親に預けて若い夫婦は働きに出るという家庭が多いんです。私の家族もそうで、父方の祖父母と同居していました。私は3歳まで祖父母に育てられたようなものです。その後、幼稚園に通いましたが、両親ともに忙しかったので、食事作りなど家事は祖母が担当していました」
お母さんは中学校の教員だけあって、教育熱心でした。アイさんは地元でも有数の進学校に進み、大学受験に向かって猛勉強します。都会に憧れていたアイさんは、東京の私立大学と京都の私立女子大学、そして両親の勧めで地元の国立大学を受験し、3校すべてに合格しました。アイさんは東京の私立大学を希望しましたが、進学したのは京都の私立女子大学でした。
「東京の私立大学は、祖父母、両親ともに大反対されました。女子が東京でひとり暮らしするなんて、とんでもないというのです。ではなぜ受験させてくれたんだと聞いたら、『受かると思っていなかった』と言われました。
それなら京都の女子大に行って下宿する、と言ったら、それもとんでもない、と。とにかくひとり暮らしは許さない、できれば地元の国立大学に行ってほしいが、京都の女子大に進むなら、実家から通うのが条件だと言うんです」
その頃はまだ北陸新幹線は開通していませんでしたが、アイさんの住む町と京都を直結するサンダーバードという特急が走っていました。しかし、自宅から駅までは距離があり、大学までドアツードアなら2時間半ほどかかります。それでも、アイさんは地元の国立大学ではなく京都の女子大に進む道を選びました。
「1限がある日は家を6時半に出ないと間に合いませんし、門限は21時と決められていたので、授業が終わった後に友人と食事をすることすらままなりません。でも、それでも京都の女子大に進んでよかったと心から思いました。私は英文学を専攻したのですが、高校時代には好きな英文学の話ができる人が周りにひとりもいなかったのに、大学には同じ作品が好きな人がたくさんいたからです」
アイさんが学んでいたのは、100年以上の歴史がある関西の名門女子大です。関西地方の大手企業から求人票もたくさん舞い込み、就職氷河期が始まるまでは就職に苦労する人などいなかったそうです。
けれどもアイさんが就職したのは2001年。氷河期が底を打ったと言われる時期でした。アイさんもその例外ではなく、就職活動で大苦戦します。
アイさんが就職活動で大苦戦した2001年、4年制大学を卒業した女子の就職率は59.6%でした。下記のグラフは、文部科学統計要を基に武庫川女子大が作成した大学卒業者数と就職率・大学院進学率の推移です。
このグラフで4年制大学を卒業した女子のデータを見ると、1985年から1993年までは70%以上の就職率を維持していたのが、1994年に70%を割り込んでいることがわかります。長い就職氷河期を経て、70%以上を回復したのは2007年でした。アイさんが卒業した2001年の就職率は、わずか59.6%。4割近くの人が就職したくてもできないという時代だったのです。
「就職は全然決まりませんでした。最初は、英語が使える仕事がいいなと思っていたのですが、えり好みをしていられないということはすぐにわかりました。8月になっても内定がひとつもなく、毎日リクルートスーツで汗だくになって会社説明会に参加していました」
同じ女子大に通う同級生の中には、両親のコネで就職先を決めた人も少なくありませんでした。アイさんも、苦戦している娘の姿を見かねたのか、父親から「勤めている電力会社の関連企業で、契約社員ならコネで行かせてやれるがどうか」と言われたそうです。しかしアイさんは、コネを使いませんでした。
「絶対に京都で就職する、地元には帰らないと決めていました。それに父親のコネで就職しても、会社での様子や働きぶりなどを逐一報告されて息が詰まることは目に見えています。京都で働いて、自分のお金でひとり暮らしをするというのが私の夢だったんです」
「なぜ地元に帰らないのか」「なぜ女性がひとり暮らしまでして京都で就職したいのか」という質問を面接でされながら、アイさんは必死で仕事探しをしました。多くの人が内定式が終わった10月の半ばに、やっと決まったのはホテルのティールームでのウェイトレスでした。
「興味があるかわからないけれど、と言ってゼミの教授が紹介してくれた仕事です。外国人観光客も多く利用する伝統あるホテルで、英語を使う機会はあるとのことでした。
契約社員で、月給税込16万円というのがネックでしたが、これを逃すといつ就職できるか本当にわかりません。教授の推薦のため、面接1回で内定が出るということにも魅かれました。正直言うと、もう就職活動に疲れ切っていて、早く決めてしまいたいと思っていました」
アイさんはホテルのティールームに就職することを決意。ホテルには従業員寮がありましたが契約社員のため利用できず、徒歩20分のところにワンルームアパートを借りることにしました。そして2001年4月、ホテルスタッフとしての社会人生活が始まります。
次回は、ティールームで働き始めたアイさんの絶望と、Uターンを決めた理由を聞きます。
写真/Shutterstock
取材・文/京極祥江
構成/佐野倫子