資産3億円以上で満足度が下がる? 内閣府データがあぶり出した意外な現実

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「お金持ちになれば幸せになれる」。そんな考え方は、現代では半ば常識のように語られている。しかし、実際のデータを見ると、お金と幸福の関係はそれほど単純ではないようだ。資産額と生活満足度の関係を示した調査を手がかりに、「お金で得られる幸せ」の正体について考えよう。※本稿は、文筆家・個人投資家のヤマザキOKコンピュータ『お金信仰さようなら』(穴書)の一部を抜粋・編集したものです。
お金があれば幸せになれる?
富裕層と貧困層の満足度比較
私たちも未来人として生きていくために、未来に必要なものと不要なものを明確にするべく、現代でまかり通る「当たり前」に意識を向けて、自問自答に挑戦する。
まずは、お金持ちになれば幸せになれるのか。
どうだろう。
「お金はあればあるほど良い」というのは現代において常識のようなもので、目標金額も設定せず、ただ漠然と「お金持ち」になることを望む人も多い。
内閣府が定期的に実施している『満足度・生活の質に関する調査』の「世帯金融資産残高別の総合主観満足度」を見ると、富裕層と貧困層の満足度を比較することができる。
これは、現在の生活にどの程度満足しているかについて、0~10点の11段階で自己評価してもらい、回答者の保有資産別にグループ分けして比較するというもの。
内閣府による調査を参照すると、満足度が最も低いのは資産100万円未満のグループで、5.05ポイントとある。
反対に、最も高かったのは資産1億円以上3億円未満のグループで、6.98ポイントだった(次ページに図示)。
この調査結果では、資産が増えるにつれて満足度も徐々に上がっていくが、資産3億円以上のグループは満足度が6.50ポイントとなり、5000万円未満のグループと同等の水準まで下がる。

同書より転載
お金を稼ぎすぎると
生活の満足度が下がる
この調査結果を素直に受け取ると、以下の3つの仮説が浮かび上がる。
(1)極端にお金がない場合、幸福を感じにくくなる
(2)極端にお金を貯め込むと、満足度が下降する
(3)お金で得られる幸せの量には限界がある
(1)に関してはわかりやすい。どんな人でも物質的な欠乏が続けば苦しみを感じる。特に都市部に住む人は、食べ物や住環境といったほぼすべての生活基盤をお金で手に入れなければならない。苦しさを退けるためにも、ある程度のお金は必要だ。
自由に使えるお金の総量が増えると、娯楽の選択肢が増えるだけでなく、栄養価の高い食事や快適な住居も選べるようになる。その他、仕事をしばらく休んだり、適切な医療や教育を受けたりなど、健康や生き方に関わる選択肢も増えていく。
また、少子高齢化が進み、年金をあてにできない世の中で、老後資金の不安を抱えながら生きる苦しさもある。
これらの理由から考えて、お金の総量と満足度が比例関係にあることは特に不思議なことでない。保有資産が多いほうが満足度は高くなると考えるのが自然だ。この調査でもある程度それを裏付ける結果になっている。
しかし、(2)についてはどうだろう。金融資産残高が3億円以上に差し掛かると、ワンランク下の「1億円以上3億円未満の層」に比べて0.48ポイントも満足度が下がる。
理由については特に記載がないが、推理するならば、3億円以上の資産を築くまでにそれなりの年齢を重ねており、健康状態や生活の質が下がっているという可能性が考えられる。あとは資産管理や防犯対策の必要性が上がったり、人間関係が悪化している可能性もある。
あるいは私の知人(編集部注/暗号通貨の取引で莫大な資産を得たことで、資産を増やすために忙殺される日々を送る)のように冷えたご飯ばかり食べているのかもしれないし、リバモア(編集部注/拳銃自殺した伝説の投資家、ジェシー・ローリストン・リバモア)のように戦うことに疲れてしまったのかもしれない。
何にしても、お金があればあるほど幸福になるというわけではないらしい。
初めて食べたカップラーメンが
いちばんおいしい法則
そして、総合主観満足度の最低値をマークした「100万円以下の層」と、最高値の「1億円以上3億円未満の層」との偏差は1.94ポイントしかないという点にも注目したい。
資産が倍になったら満足度も100倍になってくれたらわかりやすくて助かるが、そういうわけではなさそうだ。それどころか、2倍や3倍にもなっていない。
調査方法にもよるとは思うが、あえて短絡的に捉えるならば、0~10ポイントで表される総合主観満足度のうち、お金で買える領域は2ポイント未満ということになる。5.05から6.98に、つまり1.4倍が関の山だ。
実際はもう少し買えているかもしれないが、そこに達するほどのお金を集めるためには時間や心身をある程度犠牲にするだろうから、差し引き2ポイント前後に収まってしまう。
また、買い物で得られる快楽は、やがて必ず飽きが来る。この現象は、経済学の世界で「限界効用逓減の法則」と呼ばれている。
はじめて食べたカップラーメンはあんなにおいしかったのに、何度も繰り返し食べるうちに得られる快楽が減り続け、いまでは「しょうがないからカップラーメン食べるか」くらいにまで落ち着いている。
これはカップラーメンに限らず、しゃぶしゃぶもステーキも中トロだって、繰り返し食べれば飽きてくる。
快楽を追求するには
お金以外の技術が必要
食べ物だけじゃない。高級なものを手に入れると、もっと高級で、もっと豪華なものが欲しくなる。その先は青天井というやつで、果てしない虚無が宇宙の先まで続くだろう。
お金を稼ぎすぎたせいか、あるいはもっと稼ぐためなのかわからないが、100億円以上支払って絵画の所有権を買ってみたり、月の周回旅行に行こうとしたりしている人もいる。

『お金信仰さようなら』 (ヤマザキOKコンピュータ、穴書)
法律の範囲内であれば、買っちゃいけないものもないし、行っちゃいけない場所もない。なんでも勝手にやってくれたら良いが、私の余生は次々に高みを目指し続けることよりも、より深いところに潜るために使いたいということを確認した。
私たちがお金に求めるべき要件は苦しみを遠ざけることであって、快楽の追求ではない。快楽を追求するならば、お金以外の技術が要る。どんな分野にしても技術の探求には時間がかかる。
私は目の前にあるものを探求して、いままで感じられなかったものを感じられるようになったときの、あの感覚を求めている。
何かに飽きたときは、住む街を変えてみたり、新しい遊びに挑戦したりして、限界効用逓減の法則に抗い、常に新鮮な気持ちを保っていけたら良い。
こうして暮らし方を工夫したり、すでに目の前にあるものを深く感じ取る力を鍛えていけば、総合主観満足度は6.98どころではなく、8や10まで目指せるはずだ。