「冬は走らず、中古は売れない」 欧州EVシフトを阻む負の連鎖――消費者があえて選ばない本当の理由
BEV普及の停滞
2021年に掲げられた「2035年エンジン車販売禁止」という野心的な目標は世界を震撼させた。だが、わずか数年でその梯子ははずされた。2025年12月16日、 欧州連合(EU)の行政執行機関である欧州委員会が発表した「35年以降のエンジン車容認」という事実上の撤回案。これは、理想に燃えた欧州が現実の前に折れた歴史的転換点といえる。中国製EVの猛追と、自国メーカーの悲鳴、そしてエネルギー安保の崩壊。本短期連載では、この「EVシフト狂騒曲」を地政学、産業競争力、消費者心理の三つの視点から総括する。欧州の戦略的敗北と、あらためて評価されるトヨタのマルチパスウェイ戦略。インフラの壁や政治的妥協の先に、自動車産業が辿り着く脱炭素の新たな均衡点を探る。理想から現実への回帰を通じ、次なる競争の行方を占う。
【画像】「えぇぇぇ!」 これがトヨタ自動車の「平均年収」です!(5枚)
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2023年2月、欧州議会は乗用車とバンのCO2排出基準に関する新規則を採択した。いわゆる「2035年エンジン車禁止」である。この規則は、バッテリー式電気自動車(BEV)が普及する転換点として位置づけられた。しかし、蓋を開けてみると、当初の予想よりBEVの販売は伸びなかった。
消費者の購買意欲は十分に喚起されなかったのである。その背景には、政策立案者が無視し続けてきた課題がある。充電インフラの不足や中古車価値の不透明さ、寒冷地での性能低下といったBEV特有の弱点が影響している。
「充電難民」の発生とインフラ格差

充電インフラのイメージ(画像:Pexels)
ここ数年ではっきりしたのは、BEVの普及には
「充電インフラの整備が不可欠」
という点である。自動車メーカーも販売のカギがインフラ整備にあることは理解していた。日本ではトヨタや日産が幹事会社となり、CHAdeMO規格(日本発のEV向け急速充電規格の名称)の充電設備を整備してきた。テスラは自前でスーパーチャージャーを提供し、北米を中心に世界展開した。EUや加盟各国も補助金を投入してインフラ整備に取り組んだが、数は十分ではなかった。
欧州自動車工業会(ACEA)によると、2017年から2023年にかけて設置された充電ポイントの増加は、BEVの台数増加のスピードに追いついていない。これでは
「充電難民」
が発生するのも当然だ。集合住宅が多い欧州の都市部では、個人で充電設備を設置するのは困難であり、都市型インフラ整備がBEV普及のカギとなる。
面での充電インフラ整備も欠かせない。EU各国の100kmあたりの充電ポイント数を見ると、
・デンマーク:95.7か所
・ルクセンブルク:92.5か所
・オランダ:81.4か所
・ドイツ:65.2か所
・フランス:13.6か所
に対し、ブルガリア、リトアニア、ルーマニアは1.2か所、アイスランド1.1か所、ポルトガル0.5か所にとどまる(ドイツ自動車連盟〈ADAC〉)。国による差は大きく、整備が進む国でも地域による偏りがある。
充電インフラに制約がある限り、消費者はBEVを選びにくい。ACEAのレポートでは、EUは2030年までに年間で
「8倍」
の充電ポイント整備が必要とされている。
中古BEV市場の停滞

2025年12月25日発表。電気自動車(BEV/PHV/FCV)のシェア(画像:マークラインズ)
BEVが普及し始めたころから問題視されていたのは、
「リセールバリュー(再販価値)の低さ」
である。BEVの価値の約半分はバッテリーに依存するといわれるが、中古BEVのバッテリー状態の不確実性が価値の下落につながっている。多くのメーカーは8年または16万kmの保証を付けているにもかかわらず、中古市場は活性化していない。理由は
・消費者心理
・バッテリー評価の不透明さ
にある。消費者心理には新車向け補助金の存在、保証期間終了後の不安、そして新技術への猜疑心が含まれる。EU各国のBEV補助金は新車のみが対象だ。結果として、保証期間の残りが短い中古車を選ぶより、補助金を使って新車を買う方が合理的だと判断される。
保証終了後の不安も根強い。経年したBEVの知見が不足しているため、新技術への警戒心も消費者には自然な反応である。この問題は、時間による解決を待つしかない。
中古BEVのバッテリー評価も未解決の課題だ。ADACのテストでは、2014年製で5年・10万km走行したBEVのバッテリーは、エネルギー容量の86%を維持していた。メーカーの推奨通りに使用すれば、バッテリーは長持ちする可能性が高い。
しかし、問題はそこにない。
・軽微な事故
・過放電での劣化
を誰も正確に確認できない現状がある。中古BEVのバッテリー認証ルールは以前から求められてきたが、今も整備されていない。EUもメーカーも新車販売には熱心だが、中古市場の整備には関心が薄い。BEVを広く普及させるには、中古バッテリーを正当に評価し、健全な中古市場を形成することが不可欠である。
冬場の航続距離制約

WLTPの概要(画像:国土交通省)
リチウムイオン電池は化学反応でエネルギーを取り出す仕組みで動作するため、寒さに弱いのはBEVの宿命といえる。電池の性能は温度に影響され、冬場は航続距離が短くなる。カタログにはWLTP値と呼ばれる標準的な航続距離が表示されている。WLTPは「Worldwide Harmonized Light Vehicles Test Procedure(乗用車等の国際調和燃費・排出ガス試験方法)」の略で、国際的に統一された条件で測定された数値だ。実際の走行では、気温や運転条件、車内の暖房使用などによってWLTP値より短くなることが多い。
ノルウェー自動車連盟(NAF)が実施した冬季テストでは、車種によってWLTP値との差が-4.1%から-29.5%まで幅があった。差が-29.5%の車種では、WLTP値482kmに対し、実測は340kmにとどまった。テストは毎年行われており、2023年はWLTP値との差が-20%未満の車種は4分の1にすぎなかったが、2025年には半数以上に改善した。性能改善は自動車メーカーの努力の成果といえる。
しかし冬場の航続距離は車両性能だけでなく、車内温度や暖房の使用状況にも左右される。車内を暖めるほどバッテリー消費は増える。ADACは、家庭用電源による事前予熱や、車内温度・シートヒーターの設定を低めにすること、頻繁な加熱・冷却をともなう旅行を避けることなどを冬場の航続距離対策として推奨している。加えて、エコモードでの運転や速度抑制も推奨され、冬場のBEVには細かい運用ルールが多い。
北欧の寒冷地域ではこうした対策に順応できるユーザーもいる。しかしEU全域の消費者に納得させるのは難しい。都市部の集合住宅では家庭用電源での予熱も現実的ではない。結果として、「冬場に制約が多いBEVをあえて選ぶ理由はない」というのが消費者の本音だろう。
連載最終回となる次回は、「2035年エンジン車禁止」が撤回された世界で、自動車産業がたどり着く脱炭素の新たな均衡点を探る。