白木屋・魚民激減でもモンテローザ潰れない理由

売り上げ半減でも2期連続で黒字確保, スマホが変えた「消費者の目」, 「割り切った縮小」モンテと「戦略的縮小」ロイヤル, 「後出しジャンケン」から資産活用への転換, メディア嫌いの2人の経営者がとった両極端の戦略, コロナ禍の後遺症からは脱却途上

以前は主要駅の駅前に必ずあった「魚民」の看板。最近はめっきり見かけなくなったが、その運営企業はどっこいコロナ禍を生き延びていた(写真:Ryuji/PIXTA 撮影は2018年)

「白木屋」「魚民」「笑笑」——。かつて駅前の雑居ビルで、こうした居酒屋チェーンの看板を目にした記憶がある人も多いだろう。

【写真あり】確かに最近よく見るかも! 外食の覇者「モンテローザ」を窮地に追いやった“第4勢力”ってどんな店?

しかし、最近の街の景色は一変している。今、目にすることが増えているのは、「伝串」で快進撃を続ける「新時代」や、「レモンサワー50円」というインパクトのある看板を掲げる「それゆけ!鶏ヤロー!」といった、いわゆる「第4世代」の新興勢力だ。

新たな新興勢力の台頭を前に、駅前の風景を埋め尽くしていたブランドを生んだ運営会社は、時代の波に飲まれて消えてしまったのだろうか。いや、そうではない。主役の座を降りた後も、その企業は今なお、しぶとく生き残っている。

売り上げ半減でも2期連続で黒字確保

冒頭のような居酒屋チェーンを運営してきたモンテローザは、徹底した「後出しジャンケン」戦略で店舗網を拡大。ワタミやコロワイドと並び、「居酒屋新御三家」と呼ばれた時代がある。

同社の決算公告によると、コロナ禍前には売上高が1000億円を超えていたが、現在は売上高が500億円台まで縮小するとともに店舗数も大きく絞り込まれている。にもかかわらず、同社は居酒屋事業から撤退することなく、2024年3月期から2期連続で最終黒字を確保している。

時代の変化に合わせ、かつてライバルだったワタミは「サブウェイ」買収によって日常食へ、コロワイドは給食やフードコートといった「食のインフラ」へと舵を切り、それぞれ新たなポジションを築いている。その中で、なぜモンテローザは「居酒屋」という土俵から撤退せず、生き残ることができているのか。そこには、美学を排したむき出しの生存戦略があった。

そもそもモンテローザの後出しジャンケン戦略は、「和民」や「塚田農場」といった他社の成功ブランドを徹底的に模倣したうえで、「魚民」や「山内農場」として展開し、圧倒的な資金力で駅前の好立地を押さえていくものだった。

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かつて居酒屋新御三家のあった店舗後に、「新時代」などいわゆる「第4世代」の新興勢力の店舗が入るケースも増えている(写真:筆者撮影)

市場の不確実性を競合に負担させ、勝ち筋が見えた段階で資本力を投下するこのモデルは、「徹底模倣による最適解の追求」ともいえるだろう。それが通用しなくなったのは、4つの構造変化による影響が大きい。

スマホが変えた「消費者の目」

1つ目が「テクノロジー」の変化だ。かつての居酒屋選びは「駅前で目についた看板に入る」という偶然性に支えられていたが、スマートフォンの登場によって前提が根底から覆る。

消費者はグーグルマップの評価や、SNS上の投稿を参考にして、あらかじめ店を選んでから来店するようになった。また、テクノロジーが情報の不透明さを解消した結果、外見だけを模倣した店は検討にさえ入らなくなる。

この変化は、「消費者の目」そのものも変えた。ネットを通じて“本物”の情報が手に入るようになり、「失敗したくない」という意識が強まったことで、消費者の審美眼が向上。その結果、かつての基準であった価格や知名度は通用しなくなり、店に入ってから出るまでの「体験の質」が問われるようになった。

こうした変化の前で、モンテローザ流の後出しジャンケン戦略は限界を迎える。看板やメニューはコピーできても、店内の活気、スタッフの目配り、その場に流れる空気感といった「体験価値」まではコピーできない。

体験とは、最もマネしにくく、かつ最も残酷に「本物か否か」を露呈させる要素だからだ。「とりあえず魚民」という消極的な選択肢は、真っ先に淘汰の対象となった。

さらに追い打ちをかけたのが「市場の変化」である。コロナ禍を境に人々の飲み方は一変し、かつて深夜まで続いていた2次会利用は急速に消失。深夜帯の「おこぼれ需要」を狙った、モンテローザのようなビジネスモデルは成立しなくなった。

加えて、企業の宴会ニーズも回復しきらないままで、広いフロアを抱える店舗は、稼働率を維持できない“固定費の塊”へと変わった。看板をかけ替え、業態を修正しても、収支が合わない構造そのものは変わらない。こうした構造的な赤字が、企業の体力を静かに、しかし確実に削り取っていった。

そして最後に、「人的資本の限界」が露呈した。現在の消費者が求める体験価値は、スタッフを使い捨てにするマニュアル経営からは生まれない。深刻な人手不足という物理的制約も重なり、人を軽視した拡大路線は行き詰まった。

象徴的なのが、23年に負債約109億円を抱えて破産したダイナミクスだ。同社は「鳥貴族」を強く意識した焼き鳥業態「鳥二郎」を展開し、低価格路線で急拡大を図ったが、環境変化に耐えきれず経営破綻に追い込まれた。

また、ダイヤモンドダイニングが得意とした個室系ダイニングの文脈をなぞる形で成長したアンドモワの倒産劇も記憶に新しい。個室居酒屋ブームに乗り、業態を次々と展開したものの、固定費負担に耐えられなかった。

彼らもまた、モンテローザが切り開いた「流行業態をすばやく模倣し、多店舗展開で押し切る」 という戦略を踏襲したプレイヤーだった。しかし、模倣の精度は高められても、環境変化に耐える経営体質まで再現できるわけではない。逆風に転じた瞬間、後出しジャンケン戦略そのものがリスクへと反転したといえるだろう。

「割り切った縮小」モンテと「戦略的縮小」ロイヤル

注目すべきは、この逆境下でモンテローザが下した決断である。結論から言えば、同社は成長を追うことをやめ、成長至上主義から明確に離脱した。不採算店舗を一斉に閉鎖し、ピーク時に約2100店舗を数えた店舗網を、現在では800店舗台にまで圧縮。拡大を前提とした経営から、規模を縮めて利益を残す経営へ転換したのだ。

この判断は、「ブランドを磨き直す」ことを目的としたものではない。未上場企業としての自由度を生かし、赤字を生む構造そのものを切り落とす――。モンテローザが選んだのは、情緒やプライドを排した、割り切った縮小判断だった。

対照的な例として挙げられるのが、ロイヤルホールディングスの経営判断である。同社では、菊地唯夫会長の下、画一的な拡大路線を捨て、ブランドごとの役割を最適化する「ポートフォリオ経営」を進めてきた。

象徴的なのが、看板業態であるファミレスの「ロイヤルホスト」だ。同店は店舗数をあえて減らし、24時間営業を廃止し、業界では異例となる店休日を導入。稼働を抑えることで、従業員の士気と接客品質を引き上げ、結果として顧客体験価値を高めた。稼働時間が減っても増収増益を実現した点は、戦略的縮小の成功例といえるだろう。

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ロイヤルホストは店舗数削減と24時間営業の廃止という「戦略的縮小」によって、接客品質と顧客体験を磨き、結果としてブランド価値を高めた(写真:ロイヤルホールディングス)

一方で、「天丼てんや」は日常食としての再現性を武器に出店を加速し、規模拡大によってグループの収益基盤を支える役割を担っている。「質」を担うロイヤルホストと、「量」を担うてんや。この二段構えが、同社の業績を下支えしてきた。

ダイナミクスやアンドモワといった競合他社が、撤退の遅れから倒産へと追い込まれる中、モンテローザはそれらとは一線を画すスピード感で経営判断を下した。収益の上がらない店を粛々と撤退させる。その割り切りこそが、モンテローザを生き残らせた最大の要因だった。

「後出しジャンケン」から資産活用への転換

ただ、モンテローザがいま静かに進めているのは、単なる撤退ではない。新業態の展開も続けており、新たな市場の開拓にも力を注ぐ。

そこで注目しておきたいのが、かつてのようにブランドを丸ごと模倣する方法ではなく、既存資産を前提とした低コスト型の戦略へと進化している点だ。

例えば、鶏料理特化型の「鶏のジョージ」は、FS.shakeが展開する「とりいちず」など、近年勢いを増す低価格焼き鳥業態を意識した設計だ。また、卓上サーバーを導入した「勝手にサワー 笑笑」や「勝手にサワー 白木屋」といった店舗は、「おすすめ屋」などで広がった潮流を踏まえたものといえる。

いずれも、いわゆる第4世代の台頭を強く意識しつつ、単なる流行追随にとどまらず、既存の店舗資産と組み合わせることを前提に設計されている点が特徴だ。

その象徴的な例が、学生街を中心に展開が進む「白木屋×バリヤス酒場」だろう。同店はドリンクの価格帯や看板メニューなどから、「それゆけ!鶏ヤロー!」の広がりを踏まえた設計とみられる。

売り上げ半減でも2期連続で黒字確保, スマホが変えた「消費者の目」, 「割り切った縮小」モンテと「戦略的縮小」ロイヤル, 「後出しジャンケン」から資産活用への転換, メディア嫌いの2人の経営者がとった両極端の戦略, コロナ禍の後遺症からは脱却途上

「それゆけ!鶏ヤロー!」の看板にある「レモンサワー50円」というインパクトのある数字は、強い集客力を発揮している(写真:筆者撮影)

ただ、かつてであれば、競合に近いコンセプトの新ブランドを立ち上げ、資本力で駅前を塗り替える戦略を取っていたはずだ。しかし現在は、「白木屋」という既存ブランドを残したまま、その内部を低価格業態へと切り替える手法を選んでいる。

長年培ってきたブランドの認知と、一等地にある大箱店舗という資産を生かし、中身だけを市場環境に合わせて更新する発想である。ゼロからブランドを育てるコストとリスクを避け、既存資産を最大限に活用して最短距離で収益化を図る。この現実的な判断こそが、モンテローザの現在地を象徴している。

メディア嫌いの2人の経営者がとった両極端の戦略

こうした剛腕とも呼べる判断を可能にしたのが、創業者であり、現・会長兼社長でもある大神輝博氏の存在だ。

ワタミやコロワイドの創業者が、上場企業の顔としてメディアを通じて「経営の夢」を語る中、同氏はメディア露出を極端に嫌い、業界団体とも距離を置いてきた。経営者としての思想や理想を語ることはほとんどない。代わりに、圧倒的なスピードで意思決定を下してきた。

同じく寡黙な経営者として対照的な存在が、ゼンショーホールディングスを率いる小川賢太郎会長である。同氏もまたメディア露出を好まず、業界団体とも距離を置く経営者だが、その描くグランドデザインは大神氏とは正反対だ。

小川氏率いるゼンショーは、「日本からフード業で世界一を目指す」という明確なビジョンを掲げ、M&Aを重ねながら事業規模を拡大してきた。理想と使命を前面に据え、足し算によって成長を追う経営といっていいだろう。

一方、大神氏が選んだのは、生き残るために余剰を削ぎ落とす「引き算」の経営だった。他社のヒット業態を冷徹にコピーして駅前を席巻した、あの「後出しジャンケン」のスピード感は、いまや不採算店舗を迅速に整理する撤退判断の速さと、既存資産にトレンド業態を組み合わせる柔軟な設計力へ変化している。

ブランドのストーリーよりも、現実的な収益性を重視する。このリアリズムこそが、モンテローザの強さの源泉といっても過言ではない。

売り上げ半減でも2期連続で黒字確保, スマホが変えた「消費者の目」, 「割り切った縮小」モンテと「戦略的縮小」ロイヤル, 「後出しジャンケン」から資産活用への転換, メディア嫌いの2人の経営者がとった両極端の戦略, コロナ禍の後遺症からは脱却途上

同社の「目利きの銀次」は、沖縄に本社を置く、みたのクリエイトの「産地直送仲買人 目利きの銀次」から店名を拝借したのではないかと噂だ(写真:筆者撮影)

実際、直近の25年3月期決算では、約42億7600万円の純利益を計上している。原材料費や人件費が高騰し、売り上げ規模の維持そのものがリスクになりつつある現在、重要なのは「どれだけ売ったか」ではなく、「どれだけ利益を残したか」だ。

その意味で、売上高1000億円規模を維持することよりも、まずは確実に42億円の純利益を残す道を選んだ同社の判断は、やむにやまれぬ選択だったとはいえ、現在の居酒屋業界における1つの現実的な回答といえるだろう。

コロナ禍の後遺症からは脱却途上

ただ、これでモンテローザの今後が安泰なわけではない。同社は24年3月期から2期連続で最終黒字を計上しているものの、25年3月期末時点で約67億円の債務超過に陥っている。債務超過とは、企業の全資産を売却しても負債を完済できない状態を指す。つまり、財務的には依然として崖っぷちに立たされていることを意味する。

また、24年3月期から最終黒字に転じているものの、コロナ禍からの回復過程においては不祥事の影響も無視できない。

例えば、21年11月に「魚民」赤羽東口駅前店で発生したもつ鍋への大量の虫混入や、22年7月に「目利きの銀次」で提供された海鮮丼のシャリが変色していた事例などが、コロナ禍明けの22年3月期や23年3月期の業績回復の足を引っ張った面は否めないだろう。

債務超過を解消し、財務の健全性を取り戻すには、少なくともあと数年は直近2期並みの黒字を積み上げ続けないといけない。駅前の風景から「白木屋」の看板が激減したのは、単なる戦略的な転換という以上に、こうした一刻の猶予も許されない財務状況下で、収益性を最優先した結果ともいえる。

「白木屋」「魚民」「笑笑」というおなじみの看板が姿を消していく光景は、モンテローザがかつての戦い方では通用しなくなった現実を表している。模倣で成長してきたかつての覇者は、今、自力で立ち直るための正念場を迎えている。