外資系企業からラトビアのインフルエンサーへ 二拠点生活と音楽で切り開くキャリア

ライブで熱唱する中川雅貴さん
ベルギーと日本で二拠点生活を実践する編集者が、グローバルな学びやキャリアを当事者の視点で届ける連載「私たちのグローバルリスキリング」 。最終回は、外資系の自動車メーカー(商社)で働きながら、バルト3国の1つ、ラトビアでミュージシャンおよびコンテンツクリエーターとして活躍する中川雅貴さんに話を聞いた。
直感から始まったラトビアとの縁
私が初めてラトビアを訪れたのは、徳島大学で学んでいた2014年のことです。当時は留学や英語にまったく関心がありませんでしたが、ゼミのカナダ人教授から「マサキ、ラトビアかポルトガルに興味はあるか?」と誘われたのがすべての始まりでした 。教授が国際学会で知り合った縁で現地大学を訪問することになり、弾丸旅行で同行したのです 。
現地に降り立った瞬間、言葉の響きや人々の温かさ、食事、そしてパーンと抜けるような広い空を目の当たりにし「今まで訪れた国とは違う。ここは運命の国かもしれない」と直感的に惹きつけられました 。同時に、現地の人から「日本ではどうやったら侍に会えるの?」と真顔で聞かれたことは大きな衝撃でした 。彼らが本当の日本文化を知らない現実に触れ、もっと正しい日本の姿を伝えなければという謎の使命感が芽生えたのです。
帰国後もラトビアへの思いは断ち切れず、提携すらしていなかった大学同士を自ら巻き込んで交渉し、交換留学の枠を作ってもらいました 。さらには「徳島市とイェルガヴァ市を姉妹都市に」という壮大な目標を掲げ、学生の身でありながらラトビア外務省や大使館へアタックメールを送り続けた結果、当時の駐日大使が徳島市長を表敬訪問するまでに至りました。
こうして私は、記念すべき第1期交換留学生として7カ月間、ラトビアへ渡ることになりました。首都リガのラトビア大学では日本語専攻のティーチングアシスタントを務め、別の都市にある農業大学へも足を運んで日本文化の発信に明け暮れていました。

ラトビアでのコンサートツアーの様子
外資系企業への就職と、YouTubeが切り開いた音楽の道
就職活動では、ラトビアに支社を持つ金融企業に狙いを絞って応募したものの、なかなか合否の連絡が来ず、周囲が次々と内定を得るなかで焦りを感じていました。そこで、選考がすべてオンラインで完結する会社を探し、唯一見つかったドイツの外資系商社も受けることにしました。
その会社での選考は面接がなく、プレゼンテーションのみでした 。他の学生たちが「東大在学中にハーバードへ行きました」「帰国子女でドイツ語がペラペラです」と華々しいアピールを展開するなか、僕は「僕の人生はラトビアにしかありません。もしラトビアにオフィスができたら絶対に行きたいです」と、業務とは無関係なラトビア愛だけを語ったのです。それがかえって面接官の印象に残ったのか、無事に合格をいただきました。くしくも同じ日に金融会社からもメールで内定通知が届いたのですが、いち早く電話で吉報をくれた外資系商社に入社を決め、今年で勤続10年を迎えます。
社会人になってからも、東京や千葉のオフィス勤務、そして大阪の店舗でのマネジャー業務と環境は変わりましたが、ラトビアへの熱量が冷めることはありませんでした 。そんな中、ある時ラトビアの国民的バンド「ブレインストーム」の楽曲に心を打たれ、歌詞の意味もわからないまま耳コピで弾き語りカバーに挑戦したのです。
僕は14歳からギターを弾き、高校時代はインディーズバンドで活動していましたが、日本の音楽業界のしがらみや制約にトラウマを抱え、音楽を仕事にすることは半ば諦めていました 。しかし、ターゲットを海外へ移した途端、好きな国の言語で、縛られることなく自由に表現できる喜びに気づき、世界が一変したのです。
ある時、ラトビア大使館主催の弁論大会にギターを持参し、語学が堪能でないにもかかわらず歌を披露する機会がありました。そして2017年頃、何気なくYouTubeにラトビア語で弾き語り動画を投稿したところ、人口約200万人のラトビア国内で15万回も再生されるという大反響を呼んだのです 。そこからオンラインで現地メディアの取材が相次ぐようになり、音楽を通じたラトビアとの関わりが本格的にスタートしました。

ウクライナのチャリティーイベントに参加
IT部門への異動で実現した過酷な「二拠点生活」
大阪で店舗勤務をしていた頃、コロナ禍で世の中がリモートワークへシフトしていくのを目の当たりにし、「この働き方ができたら」と強く思うようになりました 。そこで、社内である程度リモート勤務が可能なIT部門への異動を決意し、現在のワークスタイルを手に入れました。
現在は年に3回ほどラトビアへ渡り、長いときは1回の滞在で2カ月弱、1年の半分近くを現地で過ごす二拠点生活を実践しています。会社には「ラトビアでの活動を本格的にやりたい」と正式に兼業申請を出し、人事の承認も得たうえで活動しています 。
とはいえ、日々の生活リズムは極めて過酷です 。現地にいても日本時間に合わせた勤務となるため、ラトビア時間の深夜2時半(冬時間)から午前11時頃まで本業をこなし、昼寝を挟んでから夜は自身のコンサートに出演する、というサイクルを送っています。細切れの睡眠で体力的にはかなり厳しいですが、それでも続けられるのは、ひとえにラトビアという国が好きだからに他なりません。
そしてコロナ禍が明けかけた2022年7月、僕が初めてラトビアを訪れた原点であるイェルガヴァのラトビア農業大学で、念願のファーストコンサートを実現させることができました。そのステージには、自分をラトビアへ導いてくれた当時の大学のゼミのカナダ人教授もカナダからわざわざ駆けつけてくれました 。野外会場に集まってくれた100〜200人の観客は、僕の拙いラトビア語でも、マイナーな自国語を懸命に歌う外国人の姿を心から喜んでくれ、その温かさは今も深く胸に刻まれています。

コンサートではプレゼントをいただくことも。ラトビアの人はとても温かい
日本とラトビアをつなぐ架け橋として
現在では、コンサートのMCもすべてラトビア語でこなしています 。ラトビア語は流れるようなメロディーが特徴的で、日本語にはない微細な発音の区別を持つ、非常に美しい言語です。現在はオンラインでラトビア語の授業を受けながら、今も学びを深めています。
SNS(交流サイト)での発信力も徐々に高まり、TikTokで約5万7000人、SNS全体で12万人規模のフォロワーを抱えるまでになり、現地ではインフルエンサーのような立ち位置を確立しつつあります 。様々な日本企業のサポートも得ながら「日本人がラトビアのすしを食べてみた」といった現地のカルチャーに触れる動画も制作しています。企画から撮影、編集、字幕付けまで丸1日がかりの重労働ですが、現地のフォロワーから届く温かいメッセージが何よりの原動力です。
ラトビアは過去にソビエト連邦の侵略を受けた過酷な歴史を持ち、現在のウクライナ情勢と重なる痛みを抱えています 。だからこそ国を挙げて全力でウクライナを支援しており、ロシア語ではなく自国のラトビア語を話そうとする外国人に対して、深いリスペクトを払ってくれます。言語を単なるツール以上の「アイデンティティー」として大切にする彼らの文化があるからこそ、僕の歌も温かく受け入れてもらえたのだと感じています。
以前はネガティブなコメントに傷つくことを恐れていた時期もありましたが、今は、「気にしていては前に進めない」と気持ちを切り替えました。僕が大好きな、面白くて魅力にあふれたラトビアという国を、日本の皆さんにももっと深く知ってほしい 。だからこそ今後は、YouTubeなどを通じた日本人向けの発信にもさらに注力していくつもりです。僕の人生の一部とも言えるこの国の素晴らしさを、これからも自分らしい表現で伝え続けていきます。
編集後記:比較の外で生きるということ
中川さんの出会いは2025年、食の展示会でラトビアブースのお手伝いをした時のことでした。私自身、それまでラトビアという国にはまったく縁がありませんでしたが、その機会を通じて豊かな食文化や人々の温かさに触れ、すっかり魅了されたのを覚えています。
中川さんのキャリアは、まさにその国への「好き」という純粋な思いを貫くことで切り開かれた独自の道です。日本の音楽業界で挫折を味わいながらも、ターゲットを海外へ移すことで、しがらみに縛られることなく自由な表現の場を見つけ出しました。
本連載は、2022年に会社を辞めてベルギーへ渡った私自身の問題意識からスタートしました。「海外で学び、働く」という選択肢が学生時代だけのものになってしまうのはもったいないという思いから、大人たちの多様な生き方を紹介してきました。
日本の深夜帯に合わせて本業の仕事をし、午後はラトビアで音楽活動に打ち込む。体力的には過酷なはずの二拠点生活も、「ラトビアが好きだからできているんです」と中川さんは笑います。
キャリアの「正解」が多様化する今、自分の情熱が向かう場所を見極め、そこに向けて働き方や環境を柔軟に調整していくこと。それもまた、これからの時代における「リスキリング」のひとつの到達点なのかもしれません。本連載は今回で一旦の区切りとなりますが、この場を通じて、少しでも多くの方に多様なキャリアの可能性を示すことができていれば幸いです。
雨宮百子
早稲田大学政治経済学部卒。Forbes JAPAN編集部でエディター・アシスタントを経て、日本経済新聞社に入社。記者として就活やベンチャーを取材。その後、日本経済新聞出版社(現・日経BP)に書籍編集者として出向、60冊以上のビジネス書を作る。担当した『日経文庫 SDGs入門』『お父さんが教える13歳からの金融入門』は10万部を超える。就業中に名古屋商科大学院で経営学修士(MBA)を取得。2022年8月に退職・独立し、ベルギーに。ルーヴァン経営学院の上級修士課程で欧州ビジネス・経済政策を学び、24年秋に修士号を取得した。ヤングダボス会議とも呼ばれるOne young world 2022の日本代表。メディアへの執筆のほか、編集業務や海外企業の日本進出支援も行っている。