「横浜博」跡地が"みなとみらい"に変貌した経緯

1989年に横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して『横浜博覧会』が行われた(撮影:1989年3月20日、豊永邦男)
”ウォーターフロント”がブームだった80年代
昭和の末、バブル経済がまだ崩壊していなかった1980年代後半の東京湾岸は、“ウォーターフロント”ブームの真っ只中にあった。
【写真18枚】1960年代の赤レンガ倉庫付近の空撮写真。建設中の”つながっていない”レインボーブリッジの写真も!
東京では、1987年にレインボーブリッジが着工(開通は93年)。同時期には、神奈川県横浜や千葉県浦安、幕張などでも大規模な湾岸開発が進んだ。

建設中のレインボーブリッジ(撮影:1992年7月8日、吉野純治撮影)
この背景には、世界的な“ウォーターフロント開発”ブームがある。当時、ニューヨークを取り囲む河川や港湾、ロンドンの港湾地区であるドックランズなどで、老朽化した港湾施設を撤去し新たな埋め立て工事や再開発を行い、水辺空間の魅力を高める動きが盛んだった。
1980年代に再開発が始まる前のみなとみらい地区は、三菱重工業横浜造船所や、国鉄の貨物駅、操車場、高島埠頭、新港埠頭などが広がる港湾地区で、横浜駅の東側や桜木町駅前からも近い立地であるにもかかわらず、荒涼とした港湾地区だった。横浜港沿いのエリアではあったが、港ヨコハマの風情の漂う山下公園あたりとは異なり、横浜を訪れた観光客や買い物客がまち歩きを楽しめるような雰囲気ではなかった。

赤レンガ倉庫付近を上空から撮影(写真:1968年10月16日、東洋経済写真部撮影)

山下公園と氷川丸(1968年10月16日、東洋経済写真部撮影)
みなとみらい地区のお披露目「横浜博覧会」
1983年、三菱重工業横浜造船所の移転とともに、「みなとみらい21」事業が着工。1989年には横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念して『横浜博覧会』が行われたが、これには、みなとみらい地区のお披露目的な意味合いも込められていたという。

横浜博のようす(撮影:1989年3月20日、豊永邦男)

(撮影:1989年3月20日、豊永邦男)

三井・東芝ガリバー館(撮影:1989年3月20日、豊永邦男)

(撮影:1989年3月20日、豊永邦男)
横浜博会期中の1989年9月には、横浜ベイブリッジも開通。横浜市中区の本牧埠頭と鶴見区の大黒埠頭を結ぶ首都高と国道の橋として建設されたものだが、横浜港上を結び遠方からも目立ったため、新たな港・横浜のランドマークとして知られるようにもなった。

(1990年6月、梅谷秀司撮影)
開通直後からベイブリッジ側の大黒埠頭パーキングエリアは、週末の夜などに、車好きや、若者男女、ドリフト族などが集まる場所として知られるようになり、最近も、改造車やクラシックカー級のスポーツカーなどを見に訪れる外国人観光客でも賑わっているという。
当時日本一の高さの超高層ビル「ランドマークタワー」
横浜博の翌年の1990年3月には、博覧会会場の跡地で、当時日本一の高さの超高層ビル「横浜ランドマークタワー」の建設が始まった。この地区はもともと三菱重工業横浜造船所のあった場所で、一帯の開発を主導したのは三菱地所だった。

1993年9月、吉野純治撮影

1993年9月、吉野純治撮影

1993年9月、吉野純治撮影
1993年7月に開業した70階建てのビル内には、69階には展望フロアが設けられ、高層階には三菱地所系の横浜ロイヤルパークホテルが入居。最上階である70階は、横浜港の夜景を見渡すことができるホテルのスカイラウンジ「シリウス」で、ここは一躍全国的なトレンドスポットとなった。

1993年、吉野純治撮影
ビル内にはオフィスのほか、低層部のランドマークプラザには、ショップ、レストランなどが入居。

1993年、吉野純治撮影
ランドマークタワー前には、85年に日本丸メモリアルパークが開園し、1930年に進水した大型練習船・日本丸が展示されている。

インターコンチネンタルホテルとパシフィコ横浜の建設風景(1990年5月26日、高橋孫一郎撮影)
みなとみらい21には、このほかにも、1991年にヨットの帆をイメージした外観のヨコハマ グランド インター コンチネンタルホテルと、国際会議場であるパシフィコ横浜が開業。97年には東急などが開発したクイーンズスクエア横浜が開業するなど、徐々に、海辺の魅力を楽しめる新しい横浜の街として親しまれるようになっていった。
みなとみらい線の開通で、横浜観光がより気軽に
2004年には、みなとみらい線が開通。横浜駅から、みなとみらい21地区を通って、古くからの横浜の中心街である馬車道や関内付近、元町・中華街を結ぶこの鉄道路線は、東急東横線と直通。その後、東京メトロ副都心線、東武東上線、西武池袋線とも相互直通運転するようになり、東京都心や埼玉から、より気軽に、横浜観光に訪れることができるようになった。
一方、横浜駅付近に目を移すと、1980年代に、駅東口側の開発が本格化。みなとみらい21地区の着工と同年の1983年には、東口駅前の横浜新都市ビルが起工。1985年の竣工時にはビル内のメインテナントとして、そごう横浜店が開店している。
戦後の高度経済成長期以降に横浜の中心的な繁華街となった横浜駅西口だったが、この時期に、みなとみらい21地区につながる東口側の開発が進んだということになる。
この横浜駅東口からみなとみらい側に橋を渡った対岸にあるのは、日産自動車グローバル本社。日産の創業地はもともと横浜だったが、東銀座に移転し、2009年にグローバル本社としたこの地に再び移転。
この日産自動車グローバル本社に続く新高島地区は、みなとみらい21では、2010年代前後から開発が進んだエリアで、大企業の研究施設や企業ミュージアム、展示施設、ホテルやオフィスなどのオープンが近年も相次いでいる。

(写真:1980年10月29日、東洋経済写真部撮影)
横浜の歴史を振り返ると、もともと戦前から繁華街として栄えていたのは、横浜駅からは離れた伊勢佐木町や関内だったが、戦後の高度経済成長期に横浜駅西口が飛躍的に発展。
その西口駅前は、鉄道会社である相鉄が主導して開発した街だったが、1959年に相鉄所有のビルにテナントとして入居して開店したのが髙島屋だった。その後も73年には三越が出店(2005年に閉店)。そのほかの駅周辺のジョイナス、横浜モアーズなどのファッションビル、地下街は一日中多くの人が行き交い、西口は今も横浜の主要な繁華街であり続けている。

(写真:1978年7月27日、東洋経済写真部撮影)
こちらは、1978年撮影の中華街大通り、通りの入り口には、戦後復興期である1955(昭和30)年に建てられた牌楼門と呼ばれた門があり、ここに「中華街」と書かれたことにより、それまで南京町と呼ばれていた街が中華街と呼ばれるようになったのだそうだ。
この門は1989年により華やかな姿にリニューアルされ、名称も現在は善隣門に改められている。
通り沿いに並ぶ横浜大飯店、楽園、萬珍樓などの店は現在も盛業中。元町・中華街駅が、みなとみらい線の終点となったこともあり、それ以来中華街はますます人気の観光地となっている。
ますます街としての魅力を高めている
1989年の横浜博から、すでに35年超。1993年日本一の超高層として竣工したランドマークタワーも、2014年に建った大阪ミナミの高さ300メートルの「あべのハルカス」に、わずか4mの差で、日本一の座を奪われることとなった。
その後2023年には、都内に325m、64階建ての麻布台ヒルズ森JPタワーが竣工。ランドマークタワーは、現在日本で3番目の高さの超高層となっている。
ランドマークタワーも竣工から30年以上が経ち、今年3月末から、館内のロイヤルパークホテルが大規模改修工事のために一旦営業を休止中。
当初、横浜博のパビリオンとして1989年に開館した丹下健三設計の横浜美術館は2021年からの改修工事を終え、今年2月に再オープンした。
近年のみなとみらい21地区には、ぴあアリーナMM、Kアリーナ横浜といったライブ会場や、桜木町からみなとみらいの新港地区を結ぶロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」も開業して、ますます街としての魅力を高めている。

(写真:t.sakai/PIXTA)
半世紀前には異国情緒と水辺の雰囲気を味わうことができる港町だった横浜は、みなとみらい開発によって、さらにエンターテイメント要素と集客力を高め、このように大きな変貌を遂げることになったのだ。