「どう同情せよというのか」稲盛和夫が「辞める社員」に冷たすぎる態度、その深すぎる理由とは?

会社を辞める部下が続々…稲盛和夫の衝撃の対応とは, 「お前達はどう勘違いをしているのか」稲盛和夫の怒りのワケ, 「残って頑張っている君達こそ、立派だ」, 残る従業員に対するメッセージの方が重要

Photo:JIJI

近年、企業にとって従業員の離職は避けて通れない問題だ。引き止めるのか、それとも快く送り出すのか――反応はさまざまだろうが、経営の神様・稲盛和夫の反応は強烈だった。(イトモス研究所所長 小倉健一)

会社を辞める部下が続々…稲盛和夫の衝撃の対応とは

 現代経営にとって従業員の離職は、事業の根幹を揺るがしかねない深刻な問題である。

 手塩にかけて育てようとした部下が、実は本人が全く異なる未来を描いて組織を去る現実に直面することは少なくない。上司としては、期待をかけていただけに、経営者自身が否定されたような喪失感に襲われることもあるだろう。

 離職を決意した側も、私自身の経験を振り返ればさまざまな記憶がよみがえる。

 激しく引き止められることもあれば、驚くほどあっさりとした大人の対応をされることもあった。引き止めがあまりないときには、拍子抜けというか、どこか寂しさを感じたこともあった。

 深刻な人材不足が叫ばれる現代において、去りゆく従業員にどのような態度で臨むのが最適解なのか。明確な答えを見出すのは極めて困難である。

 経営の神様と称された稲盛和夫氏は、従業員の離職という問題に対して、常人とは一線を画す哲学を持っていた。

 古代中国の思想家、孟子の言葉に由来する「来るものは拒まず、去るものは追わず」という故事成語がある。近づく者を受け入れ、去る者を無理に引き止めないという、相手の自由意志を尊重する寛容な姿勢を示す言葉として広く知られている。

 稲盛氏もまた「去る者は追わない」という点では同じであった。ただ、稲盛の哲学の根底にある思想は、一般的な解釈とは全く異質のものであった。

「お前達はどう勘違いをしているのか」稲盛和夫の怒りのワケ

 京セラ創業期の生々しい記録が克明に記された青山政次著「心の京セラ二十年」(非売品)は、稲盛氏の経営哲学の原点を理解する上で欠かせない一冊である。この書籍には、若き経営者の葛藤と確信が余すところなく描かれている。

 1968年、京セラに高卒で入社した新入社員が半年ほど経過した頃、数名が稲盛氏に直接話したいと申し入れた。若き従業員たちは、稲盛氏に対して次のように強い口調で抗議したという。

 入社時には「大家族主義」や「敬天愛人」といった素晴らしい理念を聞かされ、希望に胸をふくらませた。しかし、現実には、《会社を去っていく者には冷たく、少しの同情もない》と詰め寄ったのである。

 従業員の真っ直ぐな批判に対し、稲盛氏は怒りに満ちた言葉で答えたという。

《「お前達はどう勘違いをしているのか。会社が気にいらなくて辞めて行く者に、どう同情せよというのか。まだ入社して半年もたたない者が辞めるという。しかも会社に入ってみたが、つまらない。自分は前から料理が好きなので、板前になるというのである。『板前でもそう生やさしいものでない。もう一度考え直したらどうか』と諄々(じゅんじゅん)と論したが、どうしても辞めると言う」》(同書)

 稲盛氏の言葉は、彼が単に冷淡な経営者ではないことを示している。

 一度は辞めようとする従業員の将来を案じ、考え直すようにと説得を試みている。彼の態度は、無関心から来るものではない。熟慮の末に会社を去るという決断を下した者に対して、同情や慰めの言葉をかけることを是としない、という強い意志の表れであった。

  この厳しい姿勢こそが、稲盛哲学の核心部分を形成している。

 稲盛の怒りの本質は、会社を見限って去る者への失望だけではない。彼の視線は常に、厳しい環境の中でも会社に残り、共に未来を築こうと奮闘する従業員たちに向けられていた。

「残って頑張っている君達こそ、立派だ」

 去りゆく者への同情は、残る者への裏切りに等しいという、独特で強固な論理が稲盛和夫の中には存在した。

《「入社して間もない、何ら会社に貢献もしていない者が京セラを見捨てて辞めるというのに、どう言うのか。自分の思い通り行動した立派なやつだと褒めることは私にはできない。君達はそう思っているのか。京セラを見限って辞める者に、立派なやつだと褒めることは、残っている君達は立派でないということになる。自分は、残って頑張っている君達こそ、立派だと思っている」》(同書)

 この言葉は、稲盛和夫が掲げた「大家族主義」のもう一つの側面を浮き彫りにする。家族を見捨てて出ていく者を安易に称賛すれば、家を守り続ける家族の努力や献身を貶めることになる。

 稲盛和夫にとって、経営者とは家族を守る家長であり、その責任は計り知れないほど重い。残ってくれた従業員こそが会社の宝であり、その従業員たちの誇りを守ることこそが、経営者の最も重要な責務であると考えていた。

 口先だけで去る者を慰める行為は、自らの経営方針が間違っていたと認めることに等しい。稲盛和夫は自身の経営方針に絶対の自信を持っており、その考え方に納得できない者は去ってもらって結構だ、という断固たる姿勢を貫いた。

 長年会社に貢献した者がやむを得ない事情で去る場合には、最大限の配慮を惜しまないという人間的な温かさも持ち合わせていた。

 現代の経営環境において、従業員の離職は避けて通れない課題である。

 アメリカには「人は会社ではなく上司を辞める」ということわざがある。

 この言葉の意味するところは、従業員が最終的に離職を決断する最大の理由は、給与や企業の知名度といった会社自体の条件ではない。直属の上司との人間関係や、その上司から日常的に受ける影響が離職の主因であるということだ。

 この通説が事実であるかを検証した『上司を辞める?管理者の影響力戦術と従業員の感情的エンゲージメントが自発的離職に果たす役割』と題された論文が存在する。

 この研究は、上司の行動が部下の離職意思にどう影響を与えるかを詳細に分析し、稲盛の行動を評価する上で、新たな視座を提供してくれる。

残る従業員に対するメッセージの方が重要

 論文では、上司が部下に与える影響を2つの戦術に分類した。一つは部下に過度な要求や脅しを用いる「プレッシャー」、もう一つは部下の価値観や理想に働きかける「インスピレーショナル・アピール」である。研究の結論は明確であった。

 管理者が部下に使う『プレッシャー(圧力)』は、従業員の感情的なエンゲージメント(仕事への熱意や愛着)を低下させ、離職率を高める。逆に、管理者が『インスピレーショナル・アピール(鼓舞するような働きかけ)』を行うと、エンゲージメントが高まり、離職率は低下するという。

 一見すると、稲盛氏の厳しい叱責は「プレッシャー」に分類されるように思えるかもしれない。しかし、稲盛氏の行動を深く考察すると、その本質が全く異なる場所にあることがわかる。

 彼の怒りは、抗議してきた若手社員たち、そして会社に残る全ての従業員に対する、極めて強烈な「インスピレーショナル・アピール」であった。

 去っていく者に安易な同情を寄せず、「残って頑張っている君達こそが立派だ」と断言する行為は、残された従業員の自尊心と組織への帰属意識を劇的に高める効果を持つ。

 短期的な個人の感情に迎合するのではない。組織全体のエンゲージメントを長期的に向上させるための、計算され尽くした高度なマネジメント手法であった。

 稲盛和夫の厳しさは、組織という共同体を守り、発展させるという大局的な視点に基づいた、深い愛情の表現だったのである。

 稲盛が示した「去る者は追わず」の姿勢は、自己の都合や無関心から生まれたものではない。その根底には、会社と共に歩むと決めてくれた従業員への限りない感謝と敬意、そして自らが信じる経営哲学への揺るぎない確信が存在した。

 彼の厳しさは、感情的な反応ではなく、組織全体の士気を高め、一体感を醸成するための意図的なリーダーシップの発露であった。現代の経営者が直面する人材流出の問題に対して、稲盛の哲学は重要な示唆を与えてくれる。

 つまり、去りゆく個人の感傷に寄り添うこと以上に、組織としての一貫した理念を掲げ、残る仲間に対して明確で力強いメッセージを発信し続けることの重要性である。

会社を辞める部下が続々…稲盛和夫の衝撃の対応とは, 「お前達はどう勘違いをしているのか」稲盛和夫の怒りのワケ, 「残って頑張っている君達こそ、立派だ」, 残る従業員に対するメッセージの方が重要