日本の「空き家」に"無料"で住んだが、経済的自立につながるとは限らない。アメリカから移住した私はそう学んだ

「ビチー」ことベサニー・ナカムラ氏は2021年にアメリカから日本に移住した。
- 「ビチー」ことベサニー・ナカムラ氏は、2021年10月にアメリカ合衆国から日本に移住し、英語教師になった。
- 2022年、日本を構成する主要な4つの島のうちで最も小さい四国にある廃屋を無料で手に入れた。
- その彼女は、外国人が日本の田舎で家を所有することは賢い選択ではないと考えている。
このエッセイは、「ビチー」の愛称で親しまれるベサニー・ナカムラ氏(35歳)との会話にもとづいている。彼女は日本への移住や、かつて廃屋だった家での暮らしについて話してくれた。その後、ナカムラ氏は夫とともに四国の別の場所に移り住んだ。以下、長さとわかりやすさの観点から編集を加えた。
2019年、自分を見つめ直す必要を感じていた私は、アメリカ合衆国を去ることにした。
以前、自分を取り戻すには、子供のころに好きだったことについて考えるべきだという説を読んだことがあった私は、10歳だったころの自分に思いを馳せ、当時の私なら日本で暮らしながら英語を教えるという考えに胸を躍らせるだろうと思った。だから実際にそうすることにした。そう決断して本当によかったと、今も思っている。
移住する以前、私はアメリカでインテリアデザイナーとして働き、会社の利益追求の態度や、自分のそれとは異なる優先事項の板挟みに遭い、燃えつき症候群に陥っていた。いつかふたたびアメリカで会社勤めする生活に戻れるとは思えなかった。
長時間労働はつらく、競争も激しかった。アメリカの企業は人々を互いに競わせようとするが、私は出世の階段を上るために争うのではなく、皆が協力しながら働く世界で生きたいと思う。
ニューヨークで暮らしていたころから、日本での就職活動を始めた。希望した英語の教職を得るまで2年がかかった。もともと応募した役職では採用されなかったので、翌年にもう一度応募して、その職を得たのである。

ナカムラ氏は2021年に日本に移住した。
日本へ行きたいのなら、英語教師になるのがおすすめという話を、私は誰かから聞いたことがあった。政府が英語教師の日本移住を優遇していたからだ。
ビザの取得は、雇用主が手続きをしてくれたので、私はほとんど何もしなくてよかった。
また、印鑑の入手や銀行口座の開設などでも、雇用主がサポートしてくれた。私が最初に入居したアパートメントも雇用主が管理し、家賃の大部分を肩代わりした。私が自分で支払ったのは月60ドル(約9000円、1ドル=150円換算:以下同)だった。極めて手ごろな額だ。およそ46平方メートルのワンルームだった。
通勤用に車も使わせてくれた。食料品の買い出しなど、基本的な生活のためにその車を使うことも許された。

ナカムラ氏が入居した、かつて廃屋だった家の外観。
口コミを通じて、廃屋を見つけた
日本には、特に地方には、たくさんの空き家がある。空き家バンク(AkiyaBanks.com)という、空き家専門の物件紹介サイトも存在する。ただし、空き家バンクは地方自治体が運営している。手数料を収入源とする不動産会社にとっては、そうした物件を扱ったところで、大きな儲けにならないからだ。
空き家バンクには賃貸用と購入用の物件の両方が掲載されているが、私は口コミを通じて自分の家を見つけた。
その家を所有していた女性は、亡くなったときすでに100歳を超えていた。家は息子のものとなったが、その人もすでに80歳を超えていて、別の島で暮らしていたので、その家を必要としていなかった。
私は無料でその家を譲ると言われた。必要な費用は毎月およそ136ドル(約2万400円)の光熱費だけだ、と。税金は自治体によって異なり、おそらく2000ドル(約30万円)から5万ドル(約750万円)のあいだになる。私の家の場合は、かなりの田舎だったので、あまり高くないだろうと考えた。
また、それ以前、そのような廃屋を改築した人々に関する記事を読んだこともあった。だから、「インテリアデザイナーの私にも、同じことができるはず」と思った。
それはすばらしい家だった。1926年から1989年まで続いた昭和時代に建てられた。1970年代の影響を受けたその家は、楽しくて、レトロで、とても懐かしい感じがする。ほとんどの部屋で畳が敷かれている。畳というのは、密に編み込んだ藁の層でできた日本式の美しい伝統的な床張りのことだ。とても快適で、じかに横たわることもできる。畳に直接座るのも一般的だ。

ナカムラ氏は家の状態のよさに驚いた。
家は2階建てで、窓の多くにはレトロな模様のプレスガラスが使われている。
伝統的な日本の古民家に特徴的な70年代の雰囲気が本当にすばらしく、家の中は特別な雰囲気が漂っている。
1階部分は90平方メートル強で、そこに2階部分の約23平方メートルが加わる。
西洋から見れば、1ベッドルームの家と呼べるだろう。2階にはふたつの大きなクローゼットを備えた寝室がある。だが、この家での暮らし方では、そのクローゼットにたくさんの布団が置かれている。畳に敷き詰めれば、おそらく9人は寝られるだろう。
伝統的な日本家屋では、住人すべてに必ずしも個室が与えられるわけではない。大切なのは、何枚の布団を敷けるかだ。
この家で暮らすと、キャンプをしているような気になる。頻繁に外に出る必要があるので、自然と密接なつながりが感じられる。
家の正面にある窓は町に面している。壁は興味深い素材でできていて、マッシュルームのような色なのだが、ラメもちりばめられている。とても奇妙だ。
私のインテリアデザイナー脳でさえ、その壁をどうすべきかがわからなかったが、そこで暮らす時間が増えるにつれて、その家がどれほど賢く建てられているか、どれだけの知恵が注ぎ込まれているか、理解できるようになった。

模様のあるガラス窓から差し込む自然光。
昭和時代の特徴のひとつとして、模様入りガラスを挙げることができる。プレスガラスの窓は、日本ではとても広く普及している。これは、プライバシーに対する、西洋とは異なるアプローチなのだ。
アメリカでは、田舎暮らしというと、広大な土地や馬などを想像するかもしれないが、ここ日本では、田舎といえども家が密集することがある。そのような状況に適したデザインとして、窓にプレスガラスを用いるのである。
日本の文化が、家の所有に関する私の考え方を変えた
日本の地方は深刻な過疎化に直面している。そこに住む人々も、この問題に頭を悩ませている。私は町への感謝を示すためにも、家をリノベーションすべきだと考えたが、この家には直す部分などひとつもないことに気づいた。
私は以前、HGTVに触発されて日本の廃屋を改築するYouTube動画を見たことがあり、その影響でリノベーションすべきという先入観をもっていたが、実際には必要なかった。
それは、興味深い学びの瞬間だったと言える。私は自分自身でこの家を楽しみたいと思っていたが、それと同時によき隣人でもありたいと願っていた。また、自分の身につけたスキルを使ってこの物件を維持することも重要だと思っていた。

屋内の様子。
田舎の人々の文化や暮らしを知っていれば、この家は改築を必要としていないことがわかる。清潔で美しい。私がそのことを理解していなかっただけだ。
その家で暮らし始めてから、私はそこを買わないことに決めた。私はその家の住人として正式に登録されたが、通常の賃貸契約はもっていなかった。登記も、保証金も、税金もなし。必要なのは光熱費だけだ。
私の個人的な意見では、外国人が日本の田舎でいきなり住宅を買うのは、よい考えではないと思う。アメリカから日本へ移り住むということは、完全に異なる文化との出会いを意味する。不動産市場もまったく違う。長期的に見て移住が正しい選択かどうか、すぐには判断できないことも多いだろう。加えて、一度家を所有すると、それを手放すのはとても難しい。アメリカの場合、たいていの場合で家の価値は上がるが、日本では下がるのが普通だ。
「無料」という値札が広く話題になっているようだが、必ずしもそれが経済的な自立につながるとは限らない。それが答えではない。アメリカでは、マイホームが長期的な安定への切符とみなされるが、日本ではそうではないのである。
アメリカでは大都市での暮らししか経験のない私のような人間にとっては、日本の田舎への移住で受けるカルチャーショックはさらに大きくなる。そして、それらは必ずしもすぐに理解できるものではない。コミュニティとの付き合い方、人々の期待、理解できない何かに遭遇したときに彼らが示す反応などを本当に把握できるようになるまでに、2年から3年はかかるだろう。
私の暮らすコミュニティでは、個人の宣伝や金銭的な利益追求など、お金や利益に関係する個人活動は、どれも恥ずべきこととみなされる。自分のビジネスを運営する者は当然お金の話をしなければならないこともあるが、決して簡単なことではない。
私は結婚し、自分の家から同じ四国にある夫の家に移り住んだ。夫の家もかつては空き家だったが、誰も住んでいなかった期間は2年でしかない。