韓国家電が強かったインドで「ダイキン」が空調シェア1位を獲得できた“すごい戦略”とは?

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インドに進出する日系企業が増える一方で、過去には多くの失敗例もあった。一筋縄ではいかないインドビジネスの成功の鍵を握るのは何か?現地で取材を重ねた新聞記者が解説する。※本稿は、朝日新聞記者の石原 孝・伊藤弘毅『インドの野心 人口・経済・外交――急成長する「大国」の実像』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
日本企業にとって
インドビジネスは簡単ではない
日系企業を対象とした2023年度のジェトロの調査で、今後の事業拡大先を問う質問に、大企業210社の3割が「インド」と答えた。米国やベトナムなどを上回る数値だ。

同書より転載
一方で、日系企業からは「インドビジネスは簡単ではない」との意見も聞かれる。この苦手意識は、日系企業の数々の失敗の歴史に裏付けられている。
00年代に入って現地でシェアを伸ばした韓国勢などに大きく後れをとった家電分野だけではない。NTTドコモや第一三共など、過去に現地企業の買収などを通じて進出を図ったものの、撤退したケースもあった。
そんな市場で、業界首位の座を射止めた関西の家電メーカーがある。
乗用車やサイクルリキシャで通りが混み合う、首都ニューデリー南部のラジパトナガルマーケット。白物家電や、女性用の民族衣装サリーや寝具などの生活用品を売る店舗の裏手をのぞくと、空調の室外機には「DAIKIN」の文字が躍っていた。空調大手ダイキン工業の製品だ。
付近に住むビベク・クマールさん(25)は2年前、自宅にダイキンの家庭用エアコンを設置した。「運転中の音が静かで、とても快適」。ここでダイキンの代理店を経営するグンジャン・ナルラさん(47)は、「インドでエアコンと言えば、ダイキン。今や市場における基準だ」と話した。
営業戦略を高所得層から
大衆向けに切り替えた理由
同社の直近のシェアは、業務用が約6割、家庭用も約2割。いずれもインドで首位だ。インドの家電市場では、韓国勢が長年にわたり強みを見せてきた。一方、日系は多くが十分に浸透できずにいた。00年に進出したダイキンの転機は10年。高所得層を視野に入れた営業戦略を、大衆向けに切り替えたことだ。
同年に現地子会社トップに招いた、カンワル・ジート・ジャワ氏(65)が、戦略転換を提唱。日本発の技術力を基礎としつつ、比較的安価な製品を市場に投入することで、価格に厳しいインドの消費者を納得させた。12年に家庭用エアコンの現地生産を始めたことも価格低下に貢献した。

同書より転載
また、現地での認知度を高めるべく、宣伝にも注力。同国で人気のクリケットで、プロチームの協賛企業となってユニホームに同社のロゴを掲げ、消費者の心をつかんだ。
タタ財閥(編集部注/多岐にわたる事業を展開するインド最大級の財閥)系空調メーカーなどの経営に携わり、地元業界を熟知するジャワ氏の資質を見込んで、ダイキンの「中興の祖」と称される当時の井上礼之・会長兼最高経営責任者が自ら招聘に動いた。
ジャワ氏は、知名度で劣るダイキンをインドで売り込むため、まずは市場調査に注力。「Affordable Premium(手頃な良品)」と呼ぶ製品群を駆使した販売戦略を練り上げた。「(成功は)インド(子会社)に対する、本社の理解と信頼、支援のおかげだ」とジャワ氏は語る。23年からは、大阪市にある本社の取締役兼専務専任役員も務める。
商品の「現地化」を徹底し
故障率の高さを解決
成功のもう1つの要因は、商品の「徹底した現地化」だ。同社のインド事業では、他国と比べた故障率の高さが課題だった。
そこで13年以降、ニューデリー近郊の生産拠点でインド人技術者が中心になって調べ、その原因がわかった。定格電圧は230ボルトなのに、実際の電圧は160~250ボルトになるなど安定せず、瞬間的に500ボルト超がかかる場合もあり、機器損傷の一因になっていた。でこぼこ道を運搬中に商品が壊れるケースも多かった。
電圧の変化に強い部品を採用し、梱包用の段ボールや発泡スチロールで商品全体を覆うよう工夫するなど、インドの過酷な環境でも壊れにくい商品や独自の配送手法を編み出した。
当時から現場で指揮をとってきた現地子会社の永守朗・研究開発センター長は「課題意識を持つインド人技術者たちの自発性に任せてみたら、どんどん解決策を見つけてくれた」と振り返る。
同社は現地子会社で現在200万台程度の家庭用機器の販売を、30年に輸出も含めて500万台程度まで伸ばす目標だ。その先に見据えるのは、インドを拠点としたアフリカ市場の攻略だ。
世界人口の約2割を占めるアフリカは「大きな可能性を秘めている」(ジャワ氏)。インドの人びとの心を射止めた低価格・高品質の製品は、同じ新興国・途上国でも受け入れられると想定。インドと気象条件の似た国も多く、現地に根を張るインド系移民「印僑」の存在も販売面で生きる可能性があるとみる。
スズキがインドを拠点に
アフリカで成功した背景とは
インドを製造拠点に、アフリカへの輸出を伸ばした例は実際にある。インドの新車販売で業界首位の約4割を握る、スズキの現地子会社のアフリカ向け輸出は、コロナ禍前の19年度に約2万5000台だったが、23年度には約13万台に増えた。
乗り合いバンなどで移動していた南アフリカなどの中間層以下の人びとが、「密」を避けるため自家用車を求め始めたニーズをつかんだ。テレワークの普及による電子機器の需要の高まりなどによる半導体不足のなか、半導体数が少なく済む手頃な車の供給に対応できたことも功を奏した。
現地法人幹部は「多様な車種をインドで造っていたからこそ、アフリカでの需要に応えられた」。日本からの輸出と比べて輸送日数は半分程度に短縮でき、その分コストも抑えられる。
スズキのインド子会社は、輸出台数を23年の約28万台から、30年に75万台に増やす目標を掲げる。現地法人幹部は、アフリカ市場が「その中心の一つになる」と見る。
農機大手のクボタなど、インドを拠点にアフリカでの販売拡大を目指す日系企業は他にもある。現時点では構想レベルの話も多いものの、今後はインドの市場を攻略した先に、輸出拠点としてインドを生かそうと考える企業が増えてくるかもしれない。
「東京に次ぐ事業地」に
ムンバイを選んだ理由
インドへの日系企業の投資といえば、現地で新車販売首位のスズキなどの自動車産業が思い浮かぶ。ただ、近年は幅広い業種がインド市場の攻略を目指して現地に進出している。日系企業による巨大プロジェクトが動き出したと聞き、商都ムンバイへと向かった。
2024年4月。立ち並ぶタワーマンションや高層ビルの足元に、樹木が生い茂る広大な空き地がぽっかりと広がっていた。インド随一の大都市の中でも、外資系企業のオフィスやショッピングモールが集まる「ワーリー地区」で、住友不動産が複合都市開発に挑んでいる場所だ。
「もとは、財閥企業の紡績工場でした」。住友不動産の現地法人代表、川原弘敬さん(50)が説明する。工場閉鎖で遊休地となった約8万平方メートルの土地を、住友不動産は467億ルピー(約795億円)で取得。30年代に複数の超高層ビルを含む施設を開く計画で、総事業費は約5000億円を見込む。
同社は国内の都市開発を得意としてきたが、競争が激化するなか、更なる成長を目指して海外進出を決断。ムンバイを「東京に次ぐ事業地」に選んだ。
地元の大企業が本社を構え、オフィス賃料も東京都心並みに高いことなどから、「日本でやってきたスタイルになじみそうだ」(川原さん)と判断した。
同社の海外事業経験は多くない。しかも、投資額は社内でも突出した規模だ。それでも「この好機は二度と得がたい」との意見が勝った。川原さんは言う。「ムンバイには伸びしろがある」
近年、日系企業が相次いでインドでの不動産ビジネスを拡大している。丸紅は20年以降、ムンバイなどで住宅の開発や分譲事業を手がける。三井不動産は20年から、南部ベンガルール(旧バンガロール)でオフィスビル開発事業を進めている。
日本企業のインド進出が
鈍化している要因
一方で、不動産のように投資が盛んな分野はあるものの、日本企業のインド進出は鈍化している。在インド日系企業数は、18年に1400社を超えてからは伸び悩む。

同書より転載
ジェトロは、インドの乗用車販売台数で4割超を占めるスズキをはじめ、自動車関連産業が成熟の域に達しつつあるうえ、中小企業の進出が、日系企業全体の15%程度にとどまることを理由に挙げる。インド側からは「日本(企業)が慎重過ぎる」(ジャイシャンカル外相)との声も聞こえるが、24年度にジェトロがインドにおけるリスクを企業に聞くと、「税制・税務手続きの煩雑さ」「行政手続きの煩雑さ(許認可など)」「人件費の高騰」が上位を占めた。
インド経済や日系企業の進出を研究する神戸大学の佐藤隆広教授は、「インドは市場規模として、計り知れない潜在力を持っている」としたうえで、企業側にも忍耐を求める。
「インドでは、地場企業や他の国の企業との競争は激しい。価格競争に巻き込まれたり、労務問題や組合運動に足をすくわれたりする可能性もある。インドが注目されているから進出してみようという考えでは、太刀打ちできないだろう。10~15年の長期的な視点を持つことが大事だ」と指摘する。

『インドの野心 人口・経済・外交――急成長する「大国」の実像』 (石原 孝・伊藤弘毅、朝日新聞出版)