中国人と話がかみ合わない根本的理由、「変化の捉え方」にある驚きの違い

写真はイメージです Photo:PIXTA
中国人と接すると、「なぜこんなに自己主張が強いんだ」と面食らう日本人は多い。列に割り込む、意見を曲げないなどの姿を、我々はつい「自己中で変化を拒む」と受け止めてしまう。そう誤解してしまうのは、中国人の国民性が儒教の上に成り立っていることを知らないからだ。儒教の歴史を紐解いていくと、中国人の思考回路が見えてきた。※本稿は、早稲田大学教授の岡本隆司『教養としての「中国史」の読み方』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
いま読んでも違和感がない
春秋時代の「儒教」
儒教が生まれたのは、春秋時代。中国史の黎明期であるこの時代は、誰もが好きなことをいえる時代でした。
儒教のほかにも道家や墨家、法家や名家、兵家、陰陽家、雑家、農家などなど、後世からみると、いろいろな思想が、まるで雨後の筍のように生まれました。この時期に生まれた数多の思想は、「諸子百家」と総称されます。
そういう意味では、孔子(紀元前551ごろ~前479)の儒教も、そのうちの1つでしかなかったといえます。
しかし儒教が特別な思想であったのもまた事実です。なぜなら、儒教は諸子百家の中でも最古の思想の1つだと考えられ、ほかの有力思想も、多くは儒教を母体・源流にして生まれたといえるからです。

同書より転載
日本人は儒教というと「四書五経」とか、朱子学の理気とか、ものすごく難しい理論を連想しがちですが、孔子が説いたもともとの儒教は、そんなに難しいことはいっていません。
実際『論語』を読むと、2500年も前にできた内容であるにもかかわらず、現在のわれわれから見ても、驚くほど違和感がありません。きちんと挨拶をしなさいとか、親孝行をしなさいとか、人生訓のようなことが書いてあるだけです。
つまり、儒教の本来の教えは、わたしたちの生活の中に、リアルなものとしてある人間関係、人間のありようを、そのままモラル化・教義化したものだといえます。
人間は不平等だからこそ
上下関係を重んじる
そうした中で、なぜ儒教ではあれほど上下関係にうるさいのか、とよくいわれます。でも日本人がこうした疑問を抱くのは、西洋思想の影響なのです。
西洋では、「神のもとの平等」といって、絶対的な神の前では、王も庶民もみな平等だと考えます。でも現実に即して考えると、これはおかしくはないでしょうか。
そもそも神がいるという前提が、まずおかしい。だれも見たこと、会ったことがないのに、なぜ神がいるといえるのでしょう。
王も庶民も平等というのも、おかしい。社会的には、平等に扱われることはないからです。会社の中もそうでしょう。上司がいて部下がいます。年上がいて年下がいます。
また身体的にいっても、背が高い人もいれば低い人もいます。腕力の強い人もいれば頭のよい人もいます。
現実の世界には必ず上下優劣があるものなのです。儒教はそうした現実を素直に認め、受け入れるところからスタートしているのです。
人間関係には、常に上下があり、平等などありえない――そうした現実を認めたうえで、上の人であれば何をしてもいいのか、下の者はいじけていていいのか、いや、そうではないだろう。上の者はきちんと下の者をかわいがるべきだし、上の者だってへりくだることは必要である。
下の者はむやみに卑屈になるのではなく、きちんと上の者を尊敬すべきである。というように展開していくことで生まれたのが、儒教の基本とされる徳目「礼」なのです。
まずは自分が大事の精神が
中国の国民性の源流となる
儒教は現実をありのままに受け入れます。そうしたとき、人間というのは本来、自己中心的なものだという現実に直面します。
正直にいえば、他人より自分のほうがかわいいに決まっています。だから儒教では「衣食足りて礼節を知る」というのです。この言葉は、自分の衣食も乏しいのに、他人への礼節などかまっていられない、ということです。
あたりまえといえば、あたりまえのことですが、現実を素直にとらえることからスタートしている儒教では、この「自分」という存在をまず尊重しているのです。他人との関係は、そのうえで考えます。
儒教の経典「四書」の1つ『大学』には、「修身・斉家・治国・平天下」という有名なフレーズがあります。まずは自分の身を修め、それができたら家をととのえ治める。国や天下といった公のことは、それらができた後に取り組むべき問題だ、という意味です。
常に「私」が優先し、しかるのちに「公」に尽くすというのが、儒教の教えの基礎にある考え方なのです。
儒教で重んじている「礼」も、つきつめると、自分を優先するところからスタートしていることがわかります。
たとえば、「礼」にもとづいた行為である「お辞儀」1つをとっても、頭を下げるという行為は、自分が高いからこそ「下げる」という行為が成立するのです。自分が高いことが前提なのです。
自分を優先・尊重するからこそ、謙譲の精神が出てくる。
相手に対する謙譲は、自己の尊重の裏返しなのです。
一見矛盾しているように思えるかもしれませんが、これはとても真っ当な考え方です。なぜなら、自尊・自信のない謙譲は、単なる卑屈、隷従になってしまうからです。
こうした儒教の成り立ちを知れば、「礼」を重んじる儒教から自己中心的な華夷思想、中華思想が生まれたのも、ある意味自然なことだとおわかりいただけるのではないでしょうか。
現実的な教えの行き着いた先は
進歩の否定と性善説
われわれは、めざすべき「理想」は未来にあると思っています。そして、「理想」に向かって日々進歩向上していくことが善だという意識をもっています。
しかし、こうした考え方が、実は「西洋的」だということは自覚していません。
たゆまぬ努力によって理想に向かって近づいていく。つまり、「進歩向上」が善だという意識は、実はとてもキリスト教的な、西洋的な考え方なのです。
儒教的な考え方は、まったく違います。
理想を掲げるのではなく、いまある現実を受け入れて、その中で自分たちがより良く生きるためにはどうすればよいのか、と考えるのが儒教だからです。
正確にいえば、儒教にもあるべき姿、理想像はあります。あるのですが、それは「大昔」の聖人が体現したとされる姿で、それから見ると人間というのは、どんどん堕落してきて、いまがある。だから、なんとか努力して堕落を食い止めましょう、というのが儒教の考え方なのです。
そのため、儒教には「進歩」という考え方はありません。すべてにおいて「昔のほうがよい」のです。
ですから孔子の儒教を受け継いだ孟子は「性善説」を説いています。性善説というのは、「人間は本来、善なるものとして生まれる」という思想です。
要するに、人間は、生まれてきたときがもっとも善で、それが時間の経過とともにだんだんと堕落していく、というわけです。
こうした前提のもと、孟子はいかにしてその堕落を食い止めるのか、ということを説いたのです。
孔子が過去を美化する
考えに至ったワケ
儒教における価値観は、このように西洋のそれとは発想が根本的に異なります。目の前の現実をよくしていこうというのは同じでも、めざすベクトルが違うのです。
西洋が下から上へ向かって進んでいくことで現実をよくしようと考えるのに対し、中国の儒教は、上から下に落ちていくのを食い止めることでよくしよう、という方向の考え方なのです。
西洋思想が「進歩・前進」に希望を見いだすのは、その基礎にキリスト教があるからだと思います。
キリスト教には「原罪」、つまり、すべての人は生まれながらに罪人であるという「性悪説」とでもいうべき思考があります。また現世は苦難の連続であり、来世にこそ天国があると信じますから、未来ほど希望があって明るいわけです。「進歩」とか「進化」というのは、典型的な西洋的・キリスト教的思考なのです。
では、儒教を最初にとなえた孔子は、なぜ「過去のほうがいまよりすぐれていた」という思想をもつに至ったのでしょう。
孔子がこのような思想に至ったのは、やはりかれの生きた「時代」というものが強く影響していたと思われます。孔子が生きた前6世紀ごろの中国は、混迷の時代です。
乱れた世の中で、孔子は昔の書物を集め読み、その結果、現在を「堕落した世界」と見なしたのでしょう。だからこそ、「かつてすばらしい時代があったんだ」ということを希望として人々に伝えようとしたのだと思います。
そういう意味では、孔子というのは理想社会をつくった人ではなく、過去にあった理想社会の復興をめざして、後世にその「理想」を伝えようとした人だといえます。
変化を嫌う儒教において
改善は悪とみなされる
儒教の教典ともいうべき「経」は、孔子がオリジナルで書いたものではなく、当時まだ残っていた古い時代の記録を孔子が編纂しなおしたものとされています。
これを孔子は、「述べて作らず」といっています。いままでのものを伸ばしていくだけで、新たなものを作らない、ということです。
ですから儒教では、新しいものを作るとか、昔あったものを変えるというのは、孔子の考え方に背く「悪」であると考えます。新しいものによいものはないのです。
西洋の思想に染まっている日本人は、「改革」と聞くと、無意識のうちに「改正」「改良」や「改善」をイメージし、改革したほうがよくなると考えます。しかし、儒教では「改革」は「改悪」にほかなりません。
儒教では、変えることは「悪」なのです。よりよくするとは昔に戻すことなので、われわれの考える「改善」は、改革とはいわずに必ず「復古」という言葉を用います。
たとえば、北宋時代の政治家・王安石(1021~86)が行った改革を、歴史の授業で「王安石の新法」という言葉で習いますが、王安石自身は経典の『周礼』を根拠にして、「新しいこと」をするとは、ひと言もいっていません。

『教養としての「中国史」の読み方』 (岡本隆司、PHP研究所)
中国では、漢語に儒教の価値観が染み込んでいるので、何かをよりよく変えようと思ったら、「昔に返ります」といわなければ、人々に受け入れてもらえないからです。
ですから実施にあたっては必ず、昔にこういう事例があった、ということを探し出しますし、文書をつくるときにも必ず、権威ある経典からその事例を引用し、これは「復古」なのだと示さなければならないのです。
いかに堕落を食い止めるかというだけで、進歩の側面を描こうとしないので、中国の歴史はくりかえしに見えることが多いのです。
でも、それを「進歩が存在しない」「停滞している」と蔑むのは、西洋の思想に毒されたわれわれの傲慢です。かれらはもともと進歩などに関心がないし、まためざしてもいないのです。