欧州EVシフトは本当に「日本車潰し」だったのか?――単純な二元論では語れない、欧州政策・中国台頭・日本戦略の複雑なリアリティ
EV覇権を巡る誤読
モビリティ産業のパラダイムシフトが加速するなか、SNSや一部メディアで強い注目を集める言説がある。「電気自動車(EV)シフトは、欧州による日本車潰しだ」という主張だ。直近では、「「日本車潰し」の目論見が裏目に出た…2035年「新車の完全EV化」を放棄したEUの致命的な誤算」(『プレジデントオンライン』2025年12月22日配信)といった刺激的な見出しが拡散し、多くの反響を呼んだ。
【画像】「えぇぇぇ!」 これがトヨタ自動車の「平均年収」です!(5枚)
この言説をさらに加速させる事態が起きた。12月16日、欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は、2035年に内燃機関(エンジン)車の新車販売を原則禁じる目標を撤回する案を発表したのだ。一定の条件を満たせば35年以降もエンジン車の販売を容認するという、実質的な「方針転換」である。
EV推進の看板こそ維持しているものの、急速なシフトに対するドイツ政府や欧州自動車メーカーの反発は無視できないレベルに達しており、より現実的な目標設定への見直しを余儀なくされた形だ。その背景には、圧倒的な価格競争力を持つ中国製EVの台頭と、それに抗しうる低価格EVを生産できず苦戦を強いられる欧州メーカーの危機的な現状がある。
こうした欧州の「後退」やルール変更の背後には、常に激しい政治的思惑が透けて見える。しかし、私たちはこの方針転換や一連の言説に対し、どこまでが事実で、
「どこからが複雑な多層構造を過度に簡略化したもの」
なのかを冷静に見極める必要がある。なぜなら、この「日本車潰し」という一見わかりやすい解釈にのみ固執することこそが、日本の次なる戦略を曇らせる要因にもなりかねないからだ。
本稿では、この「EVシフト = 日本車潰し」論の妥当性を、環境政策という枠組みを超え、産業の主権争い、技術転換のリアリティ、そして国際的なルール形成(ルールメイキング)という多角的な観点から検証していく。
重要なのは、EVシフトという事象が各国の雇用維持や国際競争戦略と深く結びついている点だ。日本、欧州、中国、そして米国。それぞれのプレイヤーは、抱えている技術資産も、直面している政治的な制約も全く異なる。これらは決して
「加害者と被害者」
という二元論で整理できるほど底は浅くない。欧州の迷走や中国の躍進という激変する産業界の荒波を生き抜くための、真の構造的な理解を試みたい。
筆者の意見

自動車(画像:Pexels)
結論からいえば、「EVシフト = 日本車潰し」という見方は単純化が過ぎており、必ずしも実態を正確に捉えていない。むしろ、その言説自体が結果として日本に不利に働いている側面も否定できない。
欧州のEV政策は、日本排除を目的としたものではなく、域内メーカーの経営維持や雇用確保、競争条件の作り直しを狙った制度の組み立てと位置付けられる。現在の欧州市場は大きな転換点にあり、日本車の根強い人気に加え、中国製EVの存在感も急速に高まっている。
欧州にとって、アジア勢の台頭は無視できない存在になっている。欧州の都市部は道路が狭く、コンパクトカーへの需要が高い。トヨタのヤリスが2021年に「欧州カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、日本車として初めて月間新車販売台数で首位に立ったことは象徴的だ。欧州全体ではスズキの評価も高く、小型車を得意とする日本メーカーは都市構造との親和性が高い。トヨタのハイブリッド車(HV)が持つ燃費性能の高さも、支持を広げる要因となっている。
一方で、欧州市場では中国製EVの存在感が急速に拡大している。2023年には、欧州のバッテリーEV販売に占める中国製の比率が21.7%まで上昇した。世界的にも比亜迪(BYD)などの中国メーカーが低価格EVを武器にシェアを伸ばしている。スペインでは2023年の新車登録台数に占める中国車の割合が前年比3.4倍の約3万7000台となった。その約7割はガソリン車だが、EVやプラグインハイブリッド車(PHV)の浸透も進んでいる。
日本メーカーもEV技術の開発を進めており、価格は高いものの性能面では一定の競争力を維持している。こうした状況を踏まえると、欧州が警戒しているのは特定の国ではなく、日本と中国を含むアジア勢全体の台頭であると見るのが妥当だ。
欧州は2035年までに新車のCO2排出量を実質ゼロとする目標を掲げ、EVの全面普及を模索してきた。しかし2025年末時点で、その方針は一部修正の局面に入っている。背景には、EV需要の鈍化、中国製EVの高い価格競争力への警戒、そして電池開発を含む技術面で遅れを取った欧州自動車メーカーの経営的な歪みがある。欧州は中国製EVに対して追加関税を導入しており、最大で45.3%が課されるケースもある。中国勢の存在がそれだけ脅威と受け止められていることを示す。
こうしたEVシフトの修正は、電動化を含む多様なパワートレイン戦略を取るトヨタなどの日本メーカーにとって追い風となる。中国メーカーもPHVなどの技術開発を続けており、欧州ではEVよりもHVの販売に軸足を移す動きが広がっている。結果としてHVの販売は堅調で、「日本潰し」といった見方を過度に懸念する局面ではなくなりつつある。
厳しく見ても、日本の国際競争力における本質的な弱点は技術力ではない。問題は、ハイブリッドという現実的で有効な解を持ちながら、それを国際標準や制度、外交ルールにまで昇華できなかった戦略面にある。これは修復可能な課題でもある。
こうした構図を踏まえると、「日本車潰し」とする論調が広がる背景には、なお疑問が残る。日本メーカーはハイブリッドやエンジン熱効率で世界最高水準にあり、WLTCモード燃費ではヤリスが36.0km/L、アクアが34.6km/L、プリウスが32.6km/L前後と高い水準を維持している。
一方、欧州はディーゼル不正問題以降、内燃機関分野での競争優位を急速に失った。EVシフトは既存技術を相対的に無効化する側面を持ち、
「日本が強い領域」
を回避する狙いがあったことは否定できない。ただし、実際にはEV需要の鈍化や中国製EVの高い価格競争力、欧州自動車メーカー自身の反発が政策転換の主な理由となっている。中国の影響が大きいにもかかわらず、日本を標的とする論調が生まれる点には違和感が残る。
筆者への反対意見

EVシフトという名の複雑怪奇さイメージ
しかし、欧州のEV規制は、結果として日本メーカーに不利に働いているとの見方も根強い。とりわけ、EV分野で出遅れた日本勢にとっては、制度面で不利な条件が重なったことは否定できない。
CAFE規制(企業別平均燃費規制。メーカーが販売した全車両の平均燃費で目標達成を義務付ける制度であり、未達成時には多額の罰金が科される)やゼロエミッション車(ZEV)義務化は、ハイブリッド技術に強みを持つ日本メーカーを相対的に不利な立場に置く制度の作り方であり、
「結果としての日本車潰し」
と受け止められても不思議ではない側面を持つ。
実際、EVシフト初期において日本車の市場シェアが低下した局面もあり、これをもって欧州が意図的に日本を排除しようとしたと見る向きもある。欧州は主要幹線道路への急速充電網整備や、大型車向け充電設備の設置比率を高める構想を打ち出していたが、日本側はこうした動きに対し慎重姿勢を崩さず、国際標準化の議論を主導するには至らなかった。このため、欧州側に「日本は本格参入してこない」という認識が生まれた可能性は否定できない。
一方で、欧州のEV政策そのものも理想先行の側面を抱えていた。インフラ整備や電池供給体制の成熟を過大評価した結果、制度の青写真と実装能力の間に乖離が生じ、域内の部品サプライヤーや雇用に歪みを生んだとの指摘もある。仮に日本潰しが主目的であったなら、自国産業にこれほどの負荷を与える制度の形にはならなかったと見る余地もある。
実際、欧州は2035年のEV一本化方針を事実上後退させ、多様なパワートレインを容認する方向へと舵を切り始めた。結果として競争力を大きく高めたのは中国勢であり、価格面でも欧州製を大きく下回る水準で市場を席巻している。欧州のEV政策は、日本よりもむしろ中国に有利に働く構造を生んだといえる。
こうした経緯を踏まえると、欧州の政策転換を単純に「日本潰し」と断じる見方には限界がある。むしろ、誰に競争上の利益が帰したのかという点、すなわち中国優位を許した構造そのものを検証する視点こそが欠けている。日本に不利な結果が生じたことと、意図的な排除があったかどうかは切り分けて考える必要がある。
「日本車潰し」論の限界

ブリュッセル(画像:Pexels)
「EVシフト = 日本車潰し」という見方は、感情的には理解しやすい。しかし結びつきとしては十分とはいえない。実態は、欧州が自国産業を延命させるために組み立てた制度の副作用として、日本が相対的に不利な立場に置かれたという構図に近い。
確かに、その過程で日本企業が制度面で不利な扱いを受けた局面はあった。結果として市場シェアを落とし、競争条件が歪んだと感じられる状況が生じたことも否定できない。だがそれは、「日本を狙い撃ちした」という意図の証明とは直結しない。制度の組み立ての主眼はあくまで欧州産業の延命にあり、その副作用として日本が不利益を被ったというのが実態だ。
問題は、そうした制度変化に対し、日本が有効な対抗戦略を打ち出せなかった点にある。ハイブリッドという現実的で競争力のある技術を持ちながら、それを国際標準やルール形成の次元へと押し上げる動きは弱かった。結果として、日本は制度の組み立ての主導権を失い、「被害者」として語られる立場に押し込まれていった。
重要なのは、過去の不利を糾弾することではない。問われるべきは、なぜ日本は自らの強みを“世界の前提”にできなかったのか、という点である。EVシフトは日本車を排除するための陰謀ではなく、各国が自国産業の延命を賭けて選んだ政策の帰結にすぎない。その過程で、日本が得意としていた領域を他国が放棄し、日本自身がそれを世界標準として定着させられなかったという現実がある。
この現実を直視したとき、初めて「次の競争軸をどう描くか」という建設的な議論が可能になる。日本に求められているのは被害者意識ではなく、再びルールを描く側に回る戦略である。