「これ売れるよ!」32歳女性が趣味で始めた納豆作り→アメリカ起業も想定外の出費が出たワケ

右がRowe綾花さん(26年1月時点で32歳)。左が夫。ファーマーズマーケットに出店した時の様子

私は、食品メーカーで働く会社員だったが、長年夢に見ていたMBA留学をしたいと奮起。43歳で起業家教育に特化しているアメリカのバブソン大学に留学した。留学中、実際にアメリカで事業を作り上げた日本人の“先輩”から教えを請おうと考えた。今回は私が出会った「納豆」で成功した起業家を紹介したい。(TCHO Ventures Inc. CEO 玉井博久)

研究職に就きたかったが、気づけば「家庭教師」

 今回私が話を聞いたのは、米・ボストンで会社経営しているRowe綾花さん。

 彼女は、企業向けに日本とアメリカのビジネス文化の違いや英語を教える企業を運営する傍ら、コロナ禍に趣味で始めた「納豆づくり」を事業化し2社目を創業した。

 2社も経営している――と聞くと、かなりの野心家で、会社経営をずっとやりたかった人なのではないかと思うかもしれないが、彼女の経歴はいわゆる「バリキャリ」などではない。

 彼女は10歳からアメリカのミシガン州で過ごし、大学卒業後ボストンに移住した。

 卒業後は研究職に就きたいと漠然と考えていたが、博士号の取得を含めて本当に自分がそこまでやり切れるのかを確かめるために、ひとまずギャップイヤー(卒業から就職までの空白期間)を取得してボストンの研究室で働くことにした。

 その傍らで、ボストンに住んでいる日本人の子どもたちの勉強を手伝うことになった。小学生から大学生まで、特に英語が苦手な子どもたちの宿題を家庭教師としてサポートした。

 彼女のサポートは評判を呼び、口コミで生徒数が増えていった。結局、週40時間の研究室での仕事を20時間に減らして、家庭教師に割く時間を増やした。それでも手が回らなくなり、研究職は辞めて家庭教師の会社を作って専念することになった。

 たまたま家庭教師をしていた子どもの親御さんがボストンで起業家や創業したばかりの企業を支援する組織(CIC)で働いていて、そこで勉強を教えるために足を運ぶようになり、さまざまな起業家に出会った。これが綾花さんの刺激になった。

 実は、彼女は研究室で週40時間、9~17時の仕事をしていた時に、もったいない時間が多いなと思っていたという。チームで仕事をしていても、ある1人に仕事が偏ってしまって待ち時間があったり、特に仕事がない日でもオフィスにいないといけなかったりする。

 非効率な働き方に疑問を感じる一方で、CICで出会う起業家たちはエネルギッシュに生きているという印象を受けた。自分もその一員になりたい――この思いが起業を決意させた。

子どもの宿題サポートから始まった事業が拡大

 最初の事業は、子ども向けの宿題サポートがメインだった。そのうち、駐在員や帯同している奥さま方から、英語を教えてほしいという依頼が来るようになる。法人からも依頼が来て、日本とアメリカのビジネス文化の違いも教えることになったという。

Boston Nattoの初代パッケージ

 さらにコロナ禍で、ビジネスがオンラインに移行したことで、ボストンだけでなく日本からも依頼が増え、多くのクラスを開くようになる。

 外部のインストラクターを雇い、多い時で60分のクラスを週9個運営。彼女は、採用など人事に注力するようになったという。

 コロナ禍は既存ビジネスの機会を増やしただけでなく、彼女に新たな出合いを作った。

 コロナ禍に、趣味で発酵食品作りにハマりはじめたのだ。キムチ、みそ、ヨーグルト、コンブチャ、ザワークラウト、そして納豆――。

 納豆は大豆を水に浸けてから圧力鍋で蒸し、納豆菌を振りかけて発酵させて作る。アメリカでも手に入る納豆用の大豆を買ってきて、水につけ、一晩置いてから、パンを発酵する電化製品を使って作り始めた。

 しかし最初は納豆特有のネバネバが足りなかった。

 大学で生物学を専攻した彼女は、サイエンスのアプローチで改善を試みる。まず浸す水を変え、次は蒸すときの温度、発酵させる時間、ほかにも湿度や空気量などを少しずつ調整していく。

 こうした改善を1年ほど続けて、ようやく満足できる味を実現した。これを自分だけで食べるのはもったいないと感じ、家族や日本人の友人に食べてもらいはじめた。「豆が大きすぎる」「食感が硬い」といった感想を受け、さらに改善を繰り返し、ようやく「これ売れるよ!」という声をもらえるようになる。

 2023年3月、本格的に納豆屋、Aya's Culture Kitchenをオープン。「Boston Natto」という納豆の販売をスタートさせた。

想定外の出費だけど…納豆製造のためのキッチンを作った

 アメリカでは、納豆は日本食スーパーマーケット等では売っていたりするが、高価で$15(約2300円)程度するものもある。

 ただ発酵食品をアメリカで販売するためには、業務用キッチンで作られたものでなければならない。まだまだ納豆への理解が少ないアメリカでは、シェアキッチンの利用を断られてしまった。

納豆キッチン

 そこで彼女は潰れたレストランから格安で器具を譲ってもらい、配管工や電気工事士なども雇って自力でつぎはぎのキッチンを作った。総額で3万ドル(当時約450万円)ほどを自己負担。「大学やMBAに行くよりは安価で、この投資で会社の作り方から学べるといいかなと思いました」と話す。

 キッチン建設中の2カ月ほど、日本に行って納豆工場を訪問。茨城はもちろん、大阪、京都、東京、そして韓国にまで足を運んだ。納豆屋さんを訪れるたびに芋づる式に次の訪問先を紹介してもらえたのだ。

 当時彼女は、発酵段階で豆が乾燥してしまうという問題にぶつかっていたが、日本の納豆屋さんを訪問することで解決策を教わった。市販の納豆に必ずついている透明のプラスチックのシート(被膜)が重要だったようだ。

 良い被膜屋さんも紹介してもらい、納豆菌のブレンドのアドバイスまで教えてもらったという。

 こうした始まった納豆事業は、最近まで誰も雇わずに全ての仕事を自分1人でやっていた。一通り自分で仕事をやってみないと、どんな人がその職に適しているのかが分からないと考えているからだった。現在は元サイエンティストの女性スタッフ2名も加わり、運営しているという。

 まずやってみる、そして学びながら改善を続ける。こうした姿勢を、彼女はサイエンスの考え方だと話す。

元々はネガティブなパーソナリティの持ち主だったようだが、大学で「エクスペリメンタルマインドセット」をトレーニングされたことで考え方が変わったのだと言う。

 エクスペリメンタルマインドは、すべては実験だと考える捉え方だ。実験だから失敗はつきもの。しかし失敗をするということは1つ選択肢が減って次のもっと良い選択肢に出合えるということで、結果的には良いことだと考える。

「例えば実験が思うようにうまくいかなかった時に、いちいち落ち込むのではなく、次に何をすればうまくいくのか、何がダメだったのか、どう改善すればよいのかを考える。そうした考え方が身につきました」

 彼女の納豆ビジネス設立までのストーリーを聞くと、事業を始めるというのは何か思い切ってやるというものではないのだなと感じさせられた。むしろ面白半分で取り組みはじめて、いつしかのめり込み、気づけばビジネスになる――案外そういうものなのかもしれない。