「技術の魂を取り戻せ」 ホンダ、最大2.5兆円損失からの復活劇? 過剰なEV戦略を乗り越え「三現主義」の再生なるか
EV方針の遅れと巨額損失の発生
本田技研工業が、1957(昭和32)年の上場以来で最大となる、6900億円もの連結最終赤字に直面しようとしている。前期には8358億円の黒字を叩き出していたことを考えれば、まさに暗転だ。従来の見通しから1兆円近くも下振れするこの急激な悪化は、世界的に吹き荒れる電気自動車(EV)への逆風と、それに対する経営の立ち遅れを浮き彫りにしている。
【画像】「えぇぇぇ!」 これが本田技研工業の「平均年収」です!(9枚)
北米市場での立て直しを狙っていた主力モデル「ゼロシリーズ」の多目的スポーツ車とセダン、さらに「アキュラRSX」の開発は、あえなく中止となった。これにともなう設備や資産の評価損、取引先への補償といった損失は、2027年3月期までの累計で最大2兆5000億円にまで膨らむ見込みだ。そのうち、実際に手元から消えていく現金は1兆7000億円にものぼるという。
これほどの巨額赤字を招いた背景には、2040年までに全ての販売車をEVと燃料電池車にするという、あの野心的な目標がある。環境への配慮を掲げた高いハードルが、いつしか社内のリソース配分を歪め、肝心の技術を形にする現場の動きを鈍らせてしまった。投資家を意識した「見栄えの良い目標」が、ものづくりの現場での真っ当な判断を、かえって妨げていたのではないか。
もっとも、足元の財務基盤がすぐに揺らぐわけではない。2025年12月末時点での自己資本比率は38%、手元資金も4兆円を上回る水準を保っている。来期も営業キャッシュフローは維持できる見通しで、年70円の配当予想も変えていない。今回の2兆5000億円という損失処理は、これまでの無理な経営が積み上げた澱(おり)を洗い流し、事業の主導権を再び現場の手に取り戻すための苦肉の策とも受け取れる。
北米依存の販売構造

2026年3月26日発表。主要12か国と北欧3か国の合計販売台数と電動車(xEV)販売台数及びシェアの推移(画像:マークラインズ)
この苦境の理由を、EV市場の伸び悩みといった外部環境の変化に求める声は多い。だが、実情はもっと内側にあったのではないか。北米市場への過度な依存、そして現場の知見を軽んじた組織運営のゆがみが、影を落としている。
ホンダの四輪世界販売台数は、2019年の518万台から2025年には352万台へと32%も減り、特定の地域に収益を頼る危うさを露呈した。足元の国内市場も厳しい。販売の4割から5割が、利幅の薄い軽自動車や小型車に偏っているのだ。2025年度の新車販売ではスズキに追い抜かれ、記録が残る1993(平成5)年度以降で初めて3位へ転落した。商品力が目に見えて衰え、稼げるモデルを世に送り出し続けられない組織の弱さが、数字に表れている。
組織のあり方も裏目に出た。2020年に本田技術研究所の開発機能を本社へと統合した判断は、結果として
「ホンダらしさ」
を削ぎ落とすことになった。効率を追い求めたこの仕組みは、かつて同社を支えた多様な視点を奪い、現場の技術的な事実よりも、組織の都合がまかり通る空気を生んでしまった。
その綻びは、アジア市場にも色濃い。インドでのシェアはわずか1.5%、年間販売台数は6.6万台にとどまる。一方でスズキは約40%のシェア、年間170万台規模を維持し続けている。現地の求めに応える車種を、適切な時期に届けられなかったツケは大きい。北米でのEVシフトに目を奪われるあまり、アジアという成長著しい市場の現実に、目を背けていた面は否めない。
開発機能を再び研究所へと戻すという今回の決断。それは、効率を優先するあまり現場の力を弱めてきたこれまでの歩みが、行き詰まりを見せたことを自ら認める対応といえるだろう。
存在意義の明確化を迫る局面

赤字転落する見通しとなった2026年3月期業績についてオンラインで記者会見するホンダの三部敏宏社長=12日(画像:時事)
2.5兆円という巨額の損失をあえて飲み込む。これは、一時的な見通しの狂いを繕うための場当たり的な処理ではない。2026年3月期、上場以来で初となる6900億円規模の最終赤字。この異例の事態は、ホンダがこれからどこに自らの身を置くのかを問い直す、大きな節目となるはずだ。
突きつけられているのは、効率や数字を追うあまりに薄れてしまった
「技術で世の中の当たり前を塗り替える」
という気概を、もう一度つかみ取れるかという問いだ。誰もが使える移動手段を広く届ける会社であり続けるのか。あるいは創業期のように、技術の深みへと潜り続けるものづくりの集団へと戻るのか。今、その岐路に立っている。
あえてこの重い荷を背負う意味は、表面的な見栄えを整える経営と決別することにある。理屈よりも、目の前にある現場の事実に重きを置く。その原点に立ち返るという固い意志を、世の中に、そして何より自らへ示すための荒療治ともいえるだろう。
2.5兆円損失と組織の見直し

三現主義のイメージ(画像:Merkmal編集部)
2.5兆円という巨額の損失は、見通しの甘さを穴埋めするための“勉強代”で終わらせてはならない。創業者から引き継がれた
「三現主義」
を呼び戻すために避けては通れない、組織にこびりついた澱を洗い流す過程と見るべきだ。
組織のあり方については、開発の主導権を再び研究所へと移し、複数の案を競わせるかつての流儀を呼び覚ます。本社は財布の紐と全体の目配りに徹し、研究所はひたすら技術の真理を追う役割を担う。効率という物差しだけで測る組織から、技術者たちの意地がぶつかり合う場へと、その姿を戻していく。
稼ぎの面では、北米のEV需要にのめり込んだこれまでの形を改める。人口の重みが違うインドやアジアを成長の軸に据え、EV一辺倒ではない、ハイブリッド車(HV)も含めた多様な動力で収益の土台を固め直す。
技術についても、「脱エンジン」という旗印に縛られるのをやめる。かつて低公害エンジンを世に送り出したときに磨き上げた、物事の根っこから良くしていく姿勢を、ソフトや新しい移動の形にも広げていく。理想を掲げる前に、まず現場で見極めた事実。その確かな技術力を、経営の揺るぎない土台とする。
歴史に重なる現状と三現主義の原点

本田技研工業副社長、本田技術研究所社長を務めた入交昭一郎氏が寄稿した日本機械学会誌『チャレンジングスピリット・独創の技術への挑戦』1992年4月発行(画像:日本機械学会)
今、ホンダが置かれた境遇は、かつての景色と不思議なほど重なって見える。1991(平成3)年、当時副社長だった入交(いりまじり)昭一郎氏が記した『チャレンジングスピリット・独創の技術への挑戦』という一文だ。この言葉が世に出た1992年、ホンダは創業者の本田宗一郎を亡くし(1991年8月)、三菱自動車による買収の噂さえ飛び交っていた。組織全体が、得体の知れない不安に包まれていた頃の話である。
入交は、理屈をこねる前にまず現場に立ち、現物を見て、現実に即して考える「三現主義」の尊さを説いた。翻って今回の2兆5000億円もの巨額損失を眺めれば、それは北米のEV需要という足元の現実を軽んじ、机上の目論見を優先して突き進んだことへの、手痛い警告のようにも映る。
かつて後輪も動かす四輪操舵(4WS)を世に問うたとき、開発者たちは「後ろのタイヤは動かないものだ」という、車づくりの当たり前を真っ向から疑った。既存の仕組みに縛られず、理想の曲がり方とは何かを根っこから考え抜いたのだ。その背中を支えていたのは、「技に限りはない。答えは必ずある」という、ひたむきな信念だったはずだ。
だが今はどうだろう。「売れる車がない」(『ダイヤモンドオンライン』2026年4月3日付け)という現場の嘆きや、販売台数が2019年から3割以上も落ち込んだという現実の数字が、かつての粘り強さが失われたことを物語っている。いつの間にか、現場の真実よりも組織の都合がまかり通るようになってはいないか。
排気ガスを減らす画期的なエンジン「CVCC」を生んだ際も、後から付け足す道具で誤魔化すのではなく、燃焼そのものを正すという、本質的な解決を貫いた。今の電動化の波に洗われるホンダに求められているのも、うわべの対応ではない。移動の価値そのものを、もう一度足元から見つめ直す姿勢だろう。異なる意見が激しく火花を散らす、あの頃の開発の熱りを取り戻すこと。それこそが、再生への道筋を見出すための、何よりの道しるべになるだろう。
社長続投と責任論の整理

2026年3月期第3四半期決算(画像:本田技研工業)
三部敏宏社長が辞任を選ばず、あえて職にとどまる判断を下したことには、当然ながら批判の矢面も向けられている。現状、その経営責任の重さは言及するまでもない。だが、この続投劇は、組織を立て直すための冷徹な役割分担として捉えることもできるのではないか。
今回の巨額損失は、三部氏自らが掲げた「2040年までの脱エンジン」という野心的な旗印を下ろし、現実に即した軌道へと戻す過程で避けられない清算でもある。自らの判断が招いた負の遺産を次世代に押しつけず、すべてを自分の任期中に吐き出し、確定させる。それこそが、ひとりの経営者としての、最も重い責任の取り方とも映る。
役員報酬の返上といった対応は、世間への体裁を整える「見せかけのけじめ」にすぎない面もある。本質はそこではなく、自己資本比率38%、手元資金4兆円超という盤石な財務を背景に、どれだけ早く財務上の重荷を処理し切れるかにある。この膿を今の段階で出し切っておくことは、後に続く社長や役員たちが不採算事業の後始末に追われる事態を防ぎ、現場に根ざしたものづくりに専念できる環境を整えることに繋がるはずだ。
自ら生み出した組織のゆがみを、自らの手で正す。新しい体制が迷いなく前に進むための土台を、泥をかぶってでも用意すること。それが、今この瞬間に三部氏に課せられた、最後の役割なのだろう。
研究開発の自由度と競争復活

日本人として初めて米国の自動車殿堂入りし、記者会見する本田宗一郎・本田技研最高顧問(東京・大手町のパレスホテル)。1989年12月25日撮影(画像:時事)
研究開発のあり方を根っこから見直し、本社の目先の数字に振り回されない独立した予算を、きちんと守り抜かなければならない。ひとつの狙いに対して複数のチームが競い合う「並行開発」を復活させ、社内に心地よい緊張感を取り戻す――かつて入交氏が「反対というならおまえもやって競争してみろ」と焚き付けたように、自由な発想をぶつけ合い、そこから磨き抜かれた技術と思想によって進むべき道を見極める。その力こそが、今の混迷を突き抜ける支えになるはずだ。
市場の見方も、また変えなければならないだろう。スズキが4割ものシェアを握るインドという地で、追い抜くことだけを考えるのは得策とはいえない。1.5%という今の低い立ち位置から這い上がるには、車を売るだけの商売から一歩踏み出す必要がある。自慢のハイブリッド技術を、現地の暮らしや他社の仕組みへと繋いでいく。そんな役割の広がりが、今こそ求められている。
同時に、人を評価する物差しも整え直すべきだろう。若い技術者が「これに乗りたい」と心から思える車を形にし、実際に試せる場を用意する。失敗を遠ざけるのではなく、挑む過程そのものを認める風土を作ることができれば、あの1960年代のような熱を、今の組織にも呼び戻せるに違いない。2兆5000億円という重い損失を、単なる痛手で終わらせず、次の成長の土台へと繋げる。今必要なのは、そんな泥臭い行動ではないか。
実力主義回帰と成長見通し

大手自動車メーカーの経営再建戦略。
2.5兆円もの巨額損失を確定させ、組織に積み重なった歪みをすべて吐き出した。その先に見据えるのは、地力に根ざしたものづくりへと立ち返ったホンダの姿だ。5年後の2031年には、北米でのHVの販売強化に加え、インドでの「エレベイト(日本名:WR-V)」を足がかりとした立て直しが、営業キャッシュフローの改善を支えるはずだ。ソニー・ホンダモビリティとの協業で得た知恵は、量産車にも注ぎ込まれ、新たな移動の仕組みが形を成し始めるだろう。
さらに10年後の2036年。そこでは、エンジン、ハイブリッド、そしてEVを、現場の実情に合わせて使い分ける柔軟な姿勢が実を結んでいるに違いない。入交氏が重んじた「技術の思想」は組織の隅々まで行き渡り、もはや2040年という期限ありきの方針に振り回されることはない。客観的な顧客の求めに応じ続けた結果として、環境への対応が自然と進んでいく。特定の動力源に執着せず、物の仕組みを根本から見直す考え方は、ソフトや電池といった新たな領域でも実りをもたらすだろう。
今回の6900億円にのぼる最終赤字。これを組織が衰える予兆と捉えるか、あるいは本来の姿を取り戻すための必要な痛みと見るか。その成否は、今後のインド市場での具体的な立て直し策と、何より研究所がどこまで独立性を守り抜けるかにかかっている。入交氏が
「技術に限界はない。解答は必ず存在する」
と断じたように、不透明な時代だからこそ、現場の事実に根ざした技術力を頼みの綱とするべきだろう。この揺るぎない構えこそが、2.5兆円という重荷を背負ったホンダが、再び力を取り戻すための土台となるのだ。