ちょっと何言ってるかわからない…「結婚はトイレットペーパー」バッタ博士の独自理論

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バッタ研究で大きな成果を残した“バッタ博士”こと前野ウルド浩太郎氏。研究者としての夢を追い続け、気がつけば45歳になっていた前野氏は一念発起して婚活に励むものの、なぜかうまくいかない。そこでバッタ博士は、婚活という未知の問題に取り組むために研究者らしく結婚をモデル化して捉えようと試みた。※本稿は、昆虫学者の前野ウルド浩太郎『バッタ博士の異常な愛情 恋愛と婚活の失敗学』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
婚活中の昆虫学者が
「結婚」をモデル化して考える
結婚をどう考えているか、他者に説明できるようにしておく必要がある。そこで、人に説明しやすくするため、結婚がどんな形をしているのか「モデル」を作ってみることにした。
自然科学の世界では、現象を理解するために、図や数式を用いて、物事の仕組みや動きをシンプルに表す枠組みを「モデル」と呼ぶ。ここでいうモデルとは、ファッションモデルとかスタイルが良い「モデルさん」とは別の意味だ。
例えば、中島みゆきさんの歌「糸」では、男女関係および結婚を布にたとえてモデル化していると解釈できる。
私も、自分なりに結婚を説明するため、「トイレットペーパーモデル」を提唱したい。このモデルをベースに、これから、色々と仮定しながら話を進めていく。
1人の人生は、なだらかな坂道を転がり落ちていくようなものだと仮定する。坂道の表面は、場所によって滑らかだったり、デコボコしていたりする。
自分自身を「トイレットペーパー(以下、トイペ)」と見立て、誕生から死に向かって、坂道を転がっていく。下に転がる速度は加齢とみなし、坂を逆戻りはできない。
真っすぐ転がっていくだけではなく、自分の意思で横方向にも移動でき、ジグザグに進むこともできる。このジグザグの幅が「自由度」を表し、遊びや学び、様々な経験ができるとする。
ここに結婚相手という存在が現れ、互いの断面が連結することで、転がり方が変わる。自分1人のままであれば、滑らかな道では、横に大きく動ける自由さがある反面、デコボコ道では、自力で乗り越えるのに苦労し、長生きできない。
結婚すると自由が制限されるが
協力して困難を乗り越えられる
一方、夫婦が合体したトイペは、横への自由度は多少制限されるものの、荒れたデコボコ道も、協力して容易に乗り越えていくことができる。
さらに途中、子供が生まれた場合、子育てに時間をとられるため、トイペの横移動は制限される。逆に加齢と共に転がるのに苦労するようになったら、子供が後ろから押して助けてくれる。
こんなイメージである。

図1 「結婚のトイレットペーパー(トイペモデル)」を斜め前から見た図。連結した自分と相手が坂道という名の人生を転がっていく 同書より転載
この「トイペモデル」は、「独り身の自由さ」と「夫婦の協力」に着目した、個人的なイメージを表現しただけで、驚くほど根拠がない。人それぞれ結婚のイメージは違っているだろうし、そもそもの設定を不愉快なほど間違えている可能性もあり、いくらでも改変できる代物だ。
「人生経験によってトイペの質は変わらないのか」
「姑問題はどう影響するのか」
といった、ややこしい話は見なかったことにして、シンプルな形にしているし、結婚することで相手がどう変化するのかはひとまず置いてある。
また、トイペの断面に連結する存在は異性に限らない。同性だっていいし、結婚しなければ兄弟姉妹が連結することもあるだろう。
中島みゆきさんの布モデルにケンカを売っているわけではない点だけは、ご留意願いたい。
シンプルなイメージではあるが、至る所に複雑な要因がいくつも紛れ込んでおり、それらをこれから説明していく。
トイペモデルにおいて
「愛情」はどう機能するのか
トイペモデルで決定的に重要なのは、まさにこの「愛情」の役割だ。たとえ自分の「好みの凹凸」が相手と噛み合わなくても、自分と相手の愛情が、互いの凹凸が噛み合いやすいように形や深さを補ってくれるとすれば、トイペモデルでも説明ができる。つまり、互いに凹凸の噛み合わせは調整可能なのだ(図5)。

図5 互いの愛情(ハートマーク)が凸凹の隙間を埋め、二人の凸凹が噛み合う 同書より転載
愛情の出所だが、人間は生まれながらに自然と誰かを愛し、その人のために尽くし、応援したいと思う感情が本能的に備わっているはずだ。
愛に溢れる人は、どんな相手であっても、自身の愛情によって凹凸を調整し噛み合わせを良くできるとすると、説明がつく。
また、相手から愛情を注がれると、自分からも愛情が湧き出るが、相手からの愛情が感じられなくなると、しょんぼりして、自分からの愛情も枯渇してしまう。その結果、2つのトイペの噛み合わせは崩壊してしまう。
結婚を、互いのトイペを噛み合わせる営みだと考えてみる。
相手に過度な負担をかけたり、凹凸が合わなかったりすると、自身の凹凸は摩耗し、いずれ壊れてしまう。完全に噛み合わなくなれば、2人の凹凸は離れ、「離婚」を迎えることになる。
私が思い描く結婚生活は、この「好みをトイペにたとえたモデルで説明できるのでは」と妄想している。「愛があれば大丈夫」という広瀬香美さんの主張があるように、私のモデルでも、「愛」があればどんな凹凸も噛み合って調和が図れるはずだ。
「オマエはさっきから何を言っているのだ?」
という総ツッコミは覚悟の上で、皆さまの心配を振り切ってこのまま力強く話を進めていきたい。
「運命の人」は
本当に存在するのか
次に、トイペの連結、すなわち結婚相手を選ぶ/結婚相手に選ばれるにあたり、「直接的な好み」と「間接的な好み」がどのようにドッキングしているのかについて、考えていこう。
結婚相手のことを「運命の人」、その結びつきを「運命の赤い糸」と表現することがある。「運命」という言葉からは、最初から出会うことが定められた、たった1人の人に巡り合うという印象を受けるが、この点に私は疑問を感じている。
たまたま出会った相手を、無理やり「運命」に仕立て上げ、美談にしているのではないか?と。
運命という言葉の響きは神秘的で、「人の意思や想いを超え、人に幸・不幸を与える力」「奇跡のような巡り合わせ」のことを指すと思う。
もし結婚が運命だとするならば、あちこちで奇跡が起きまくっていることになる。あまりにも不自然だ。
結婚相手を「選ぶ」にあたり、もし、適齢期の異性全てとマッチングを試みた上で、「たった1人の最良の相手」を選び出せたのならば、それはまさに「運命の人」だと思う。しかし、そんなことは現実的に不可能だ。実際には、せいぜい数人、多くても数十人との出会いを経て、結婚を決めるケースがほとんどだろう。
そう考えると、「たった1人の運命の人」という表現は都合が良く、大げさではなかろうか。
世の中は広く、他にもっと相性の良い人がいる可能性は高い。そもそも交通が未発達だった昔は、出会いの範囲が格段に狭く、選択の余地はさらに少なかったはずだ。こうした違和感から、私は、人の好みはいかようにも変わり、誰の歯車にでも噛み合える柔軟性を持っているのではないかと睨んでいる。
愛情の力で凹凸が変わるのなら
誰とでもマッチングできるはず
婚活中、「自分の凹凸にぴったり合う形の人を見つける」のは至難の業だが、実際には「お互いの凹凸の形を変え合い、噛み合わせようと努力できる人」を見つけようとしていると考えたほうが、世の中の高い成婚率を説明できるのではなかろうか。

『 バッタ博士の異常な愛情 恋愛と婚活の失敗学 』(前野ウルド浩太郎、光文社)
すなわち、「完璧な凹凸」ではなく、「適切に変化できる凹凸」を選んでいるのではなかろうか。相手をその気にさせたり、自身が相手に惚れたりしたら、相手の凹凸も自分の凹凸も愛情の力で変わる。愛情がもたらすこの柔軟性こそ、「好みの凹凸」を噛み合わせる上で、決定的な働きをしているのではないかと思う。
大人になれば、大概の人とは歩み寄れる。すなわち、世の中には無限の結婚相手候補がおり、ご縁を大切にし、愛を育み合うことで、誰とでもマッチングできるはず。この仮説に基づけば、世の中、「愛だ愛だ」と騒ぐのも納得できる。
出会ってからも凹凸の形は変化するとはいえ、土台となる凹凸そのものは大切だ。やはり、「誰でもいい」わけではなく、人にはそれぞれ理想の凹凸があるだろう。