日産の元役員が語った「現社長は危機を招いた責任者の一人」 ゴーンショックと重なる危機に当時の幹部たちは

 日産自動車の追浜(おっぱま)工場(神奈川県横須賀市)と、子会社「日産車体」の湘南工場(同県平塚市)の閉鎖が取り沙汰されて1週間。かつてカルロス・ゴーン氏が主導した国内5工場の閉鎖以来の衝撃に、地元は揺れる。四半世紀前と重なる事態に、当時を知る日産OBたちは何を思うのか。(砂本紅年)

◆1999年当時、役員の一人だった男性が

 「当時の経営危機は、経営陣にいた私も戦犯の一人。今回の危機は、その延長線上にあり、人ごととは思えない。非常に心が痛む」

 ゴーン氏が村山工場(東京都武蔵村山市)など国内5工場の閉鎖や、約2万1000人の人員削減といったリストラ計画を発表した1999年当時、役員の一人だった神奈川県内の男性(84)が口を開いた。

1999年12月23日、日産村山工場の閉鎖阻止を訴え、気勢を上げる集会参加者=東京・立川市の見影橋公園で

 今回のリストラは、ゴーン氏の拡大路線が破綻し、過剰な工場の縮小を迫られたことが引き金だ。元役員は「売れる商品をつくれなかったことが失敗の原因」と指摘。その商品担当を務めたイバン・エスピノーサ社長の覚悟を問う。

 「今の危機を招いた責任者の一人。自分の報酬をゼロにして土下座してでも、従業員にリストラをお願いする立場であることを自覚してほしい」。ゴーン氏の後任経営陣を選任した社外取締役についても「責任は重い。当時から在籍する人は辞任か、報酬を返上すべきだ」と指弾した。

 今回、閉鎖が検討されている追浜工場では約3900人が働く。1961年に操業開始し、長らく日産の主力車種を生産してきた。商用車をつくる湘南工場を持つ日産車体には約1800人の従業員がいる。

◆工場閉鎖で社員はどうなるのか?

 工場が閉鎖されればどうなるのか。村山工場の閉鎖当時、労働組合で活動していた埼玉県の境繁樹さん(82)は「結局、会社の決定を覆すことはかなわず、工場の従業員は他工場への配転で単身赴任となるか、通えない人は退職を余儀なくされるなど大変な思いをした」と振り返る。

 先の元役員も「村山の時は受け皿になる工場があったが、今回は残るのが九州や栃木だけ。通える範囲内にはない。従業員には、今まで以上につらい閉鎖となるだろう」と思いやった。

 追浜、湘南がともに閉鎖となれば、日産創業の地の神奈川県から完成車工場が消えることになる。2002年に閉鎖された久里浜分工場(横須賀市)の工場長だった栃木県の小堀道和さん(76)は「追浜は車両工場のセンター中のセンターで本当に大事な工場。閉鎖するにあたっての戦略が見えてこないことが一番心配だし腹が立つ。行き当たりばったりのように感じる」と嘆く。先の境さんも「追浜は高い技術水準を誇る。技術の継承ができなくなり、他社に後れをとるのではないか」と行く末を案じた。

【関連記事】"日産城下町がゴーストタウンになりかねない 「工場閉鎖」で大揺れの横須賀・追浜 商店街からは祈るような声が

【関連記事】"突然の経営危機…やってしまった日産 「サボった」せいで売れるクルマが見当たらない こんな事態を招いたのは誰?

【関連記事】"都心の新築マンションの管理費値上げが止まらない 6年間で34%上昇、都会特有の事情も<深掘り この数字>