95歳のウォーレン・バフェット ―― 退任目前の“投資の神様”、その偉業の軌跡を振り返る

生まれながらのビジネスマン, 最高の師から学ぶ, 古いパートナーシップから新たなパートナーシップへ, 地位とスキャンダル, バフェットによる買い漁り, 新しい時代への準備

8月30日はウォーレン・バフェットの誕生日だった。95歳になる節目に、バークシャー・ハサウェイのCEOを辞することになった。

  • 2025年8月30日はウォーレン・バフェットの95歳の誕生日であり、55年務めたバークシャー・ハサウェイCEOとして迎える最後の誕生日となった。
  • 伝説の投資家は11歳で初めて株を購入した。その後、1兆ドル規模の企業を築き上げた。
  • バフェットはコカ・コーラなどの株への投資や、保険会社のガイコ(Geico)のような企業の買収で数十億ドルを稼いだ。

8月30日はウォーレン・バフェットの95歳の誕生日だった。今年はバークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)のCEOとして迎える最後の誕生日となった。

彼が12月に退任すれば、ひとつの時代が終わることになる。それは、伝説の投資家が60年以上かけて、経営不振の繊維工場を1兆ドル(約145兆円、1ドル=145円換算:以下同)規模の複合企業に変貌させた時代の終焉である。

ここでは、バフェットの驚くべき人生を振り返る。

生まれながらのビジネスマン

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大恐慌時代に、ある家族がカリフォルニアへ向かう。

バフェットは、1930年8月30日、大恐慌の真っ只中にネブラスカ州オマハで生まれた。彼は、3人の子供のなかの次男で、唯一の息子だった。父のハワードは株式仲買人で後に下院議員となり、母のレイラは専業主婦だった。

この投資家のビジネスキャリアは、6歳で「ジューシーフルーツガム」を一軒ずつ訪問して販売した時から始まった。その後、パック入りのコカ・コーラを1本ずつにして転売し、新聞配達をして、ピンボールマシン事業を立ち上げ、後に売却した。

バフェットが初めて株を購入したのは11歳の時で、天然ガス供給事業を手掛けていた旧シティーズ・サービス社の優先株(Cities Service Preferred)だった。その後、13歳で初めて確定申告をおこない、14歳で農場を購入して小作農に貸し出した。

彼は16歳の時点で5000ドル、現在の価値で約5万3000ドル(約770万円)を蓄えていた。

最高の師から学ぶ

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左の写真は高校時代のウォーレン・バフェット。

バフェットはペンシルべニア大学ウォートン校で経営学を専攻した後、ネブラスカ大学リンカーン校に転校し、1950年に19歳で卒業した。

その頃、彼はベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家 - 割安株の見つけ方とバリュー投資を成功させる方法』を読み、バリュー投資の核心的な理念、例えば「安全域(margin of safety)」を提供するほど割安な株を購入するといった考え方を知った。

バフェットは、グレアムがコロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとっていることを知り、同校に入学した。コロンビア大学を卒業し、父の会社で1年間働いた後、グレアムの投資会社に入社。企業分析と割安株の見極めに関する最高峰の指導を受けた。

1952年、22歳で大学生のスーザン・トンプソンと結婚し、1953年に長女のスーザン(愛称:リトル・スージー)が誕生した。彼は夜間講座で投資を教え始め、また親族や友人に対して自分に資金を預けるよう勧めた。1956年、グレアムが引退するのを機にバフェットはオマハに戻り、自身の会社「バフェット・パートナーシップ(Buffett Partnership)」の設立準備を進めた。

買収と構築

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1962年、オマハのKMTVによるウォーレン・バフェットへのインタビューの静止画。

バフェットは、グレアムの代名詞である「葉巻の吸い殻(cigar butt)」戦略を採り入れた。これは、「最後のひと吸い」の価値が残る割安株を嗅ぎ分けるというものである。地図出版社のサンボーン・マップ・カンパニー(Sanborn Map Company)や、風車・農業水利設備の開発・販売をおこなうデンプスター・ミル・マニュファクチャリング(Dempster Mill Manufacturing)の株がこれにあたる。彼の卓越した運用成績はより多くの投資家を惹きつけ、リターンが複利で増えたため、彼のパートナーシップの資産は約10万ドルから2000万ドルに増加した。

彼と妻の間には、1954年に次男のハワード、1958年には三男のピーターが誕生した。バフェットは1959年にチャーリー・マンガーと出会い、底値の企業を買う方針から「適正価格で素晴らしい企業を買う」方針への転換を勧められた。

1962年、バフェットは経営不振の繊維工場バークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)の株式取得を開始。1965年、同社の経営陣が彼の株を買い戻すことに同意したにも関わらず、その後、彼らがより低い金額で済ませようとしたため、バフェットは同社の経営権を掌握した。

バフェット・パートナーシップはさらに、「サラダオイル・スキャンダル」で株価が暴落したアメリカン・エキスプレス(American Express)にも投資した。また、ウォルト・ディズニーがディズニーランドを個人的に案内し、バフェットにビジョンを売り込んだ後には、ディズニー(Disney)にも投資をした。

古いパートナーシップから新たなパートナーシップへ

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2013年の年次総会での、バフェットとマンガーの昔の写真。

バフェットはナショナル・インデンニティ(National Indemnity)などの保険会社を買収した。そして、保険金支払いの前に徴収される保険料「フロート(float)」を、低コストで恒久的な投資の資金源として活用する道を開いた。

1969年、バフェットは過大評価された資産と、魅力的な投資機会の不足を懸念して、バフェット・パートナーシップを清算し、パートナーに資金を返還することを決めた。一方で、バークシャー・ハサウェイの株式を相当数保有し続けることとした。同社の資産は1970年に1億400万ドルに達し、これは1956年以降の年率31%の複利収益率を一部反映したものである。

バフェットは1969年にイリノイ・バンク・アンド・トラスト・カンパニー(Illinois Bank and Trust Company)に投資し、1972年には菓子メーカーのシーズ・キャンディーズ(See’s Candies)を買収、またワシントン・ポスト(the Washington Post)の株式を買い増し、さらにスタンプサービスを行うブルー・チップ・スタンプス(Blue Chip Stamps)などの事業にも投資した。マンガーはバフェットの正式なビジネスパートナーとなり、バークシャー・ハサウェイの副会長に就任した。

45歳までに、バフェットの資産は約3400万ドル、現在の価値でおよそ2億ドル(約290億円)にまで増大した。

人生最高の取引

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1980年代のウォーレン・バフェットとネブラスカ・ファーニチャー・マートの創業者、B夫人。

バフェットは「モート(moat:城を守る「堀」の意味)」あるいは持続的な競争優位性を持つ事業を探し始めた。そして、バークシャーは自動車保険会社ガイコ(Geico)や、メディア企業のキャピタル・シティーズ/ABC(Capital Cities/ABC)、ウェスコ・ファイナンシャル(Wesco Financial)などの企業に投資した。

1977年、妻のスーザンは歌手活動と社会活動家としての道を進むため、サンフランシスコに引っ越した。彼女はバフェットに、友人のアストリッド・メンクスを紹介した。メンクスはバフェットと同居して彼の世話をし、2004年にスーザンが亡くなった後、バフェットは彼女と結婚する。

1983年、バークシャー・ハサウェイは大型家具店のネブラスカ・ファニチャー・マート(Nebraska Furniture Mart)を買収した。1985年、バフェットは55歳にして億万長者となり、同年のフォーブス400リストに名を連ねた。

地位とスキャンダル

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ソロモン・ブラザーズの米国債スキャンダル後に、同社の暫定会長に就任したウォーレン・バフェットは、1991年に議会で証言した。

バフェットは、年次の株主宛て書簡や、個性的なインタビュー、年次株主集会などで有名になり、「オマハの賢人(Oracle of Omaha)」というあだ名がついた。

彼は、コカ・コーラ(Coca-Cola)の世界的なブランド力、価格決定力、そしてキャッシュの創出能力に惹かれ、1989年までに10億ドル相当の株式を保有していた。また、剃刀製品ブランドのジレット(Gillette)にも投資し、金融機関のウェルズ・ファーゴ(Wells Fargo)の株式も保有し始めた。

バフェットは1991年7月4日のイベントでビル・ゲイツと出会い、すぐにそのマイクロソフト(Microsoft)の共同創業者と親交を深めた。また、ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)の米国債スキャンダルで自身の投資が脅かされた後、同社の暫定会長に就任した。 1991年の議会証言で、彼は従業員に向けて次のようなメッセージを送った。「会社の損失は許容する。しかし、会社の評判を少しでも傷つける者は、容赦しない」

バフェットによる買い漁り

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2001年のバークシャー・ハサウェイ年次総会での、ウォーレン・バフェットとスーザン・バフェット。

バークシャーは1996年に23億ドルでガイコの残る半分の株式を買収し、また1998年には220億ドル相当の自社株を支払い、再保険会社ゼネラル・リー(General Re)を買収。1999年には投資家グループを率いて、ミッドアメリカン・エナジー(MidAmerican Energy)を買収した。

バフェットはドットコム・バブルの崩壊に乗じて、2000年に塗料ブランドのベンジャミン・ムーア(Benjamin Moore)、2001年にカーペットブランドのショー・カーペット(Shaw Carpets)、2002年に衣料メーカーのフルーツ・オブ・ザ・ルーム(Fruit of the Loom)とキッチン用品販売のパンパード・シェフ(Pampered Chef)、2003年に住宅会社のクレイトン・ホームズ(Clayton Homes)を買収した。

危機を活かす

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2013年のバークシャー・ハサウェイ年次総会で卓球をする、ウォーレン・バフェット(左)とビル・ゲイツ。

2004年にスーザンが亡くなった後、バフェットは慈善活動をより優先するようになった。2006年には、彼が保有するバークシャー・ハサウェイ株の大半をビル&メリンダ・ゲイツ財団(the Bill & Melinda Gates Foundation)と、バフェットの家族が設立した財団4つに寄付することを約束した。これは2010年に、寄付啓蒙活動であるギビング・プレッジ(Giving Pledge)を共同設立する前兆となった。

バフェットはその後も買収を続け、2006年にはイスラエルの精密工具メーカーであるイスカル(Iscar)、2007年には工業コングロマリットであるマーモン(Marmon)を買収した。また、2010年にはBNSF鉄道を340億ドルで買収し、これは当時、バークシャー史上最大の買収であった。

金融危機の間、バークシャーの現金準備、リスク管理、そして「他人が恐れている時に貪欲になる」という姿勢が、ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)、ゼネラル・エレクトリック(General Electric)、ダウ・ケミカル(Dow Chemical)、マース(Mars)、ハーレー・ダビッドソン(Harley-Davidson)やその他の企業との間で、多くの有利な取引をもたらした。

バフェットは2010年にトッド・コームズ、2011年にテッド・ウェシュラーを投資マネージャーとして採用し、バークシャーの株式ポートフォリオの管理を支援させた。1年後、彼は前立腺がんと診断され、放射線治療を受け、治療は上手くいった。また、彼は「バフェット・ルール(Buffett Rule)」を支持したことで、世間の注目を集めた。このルールは、(給与所得者である)秘書に課される税率が、(富裕層である)自身よりも高くなる状況を防ぎ、「抜け穴を塞ぐ」ものである。

バークシャー・ハサウェイは3Gキャピタル(3G Capital)と提携し、2013年にハインツ(Heinz、後にクラフト・ハインツ[Kraft Heinz]となる)を230億ドルで買収した。

新しい時代への準備

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2024年5月3日、ネブラスカ州オマハで開催されたバークシャー・ハサウェイの年次株主総会に出席したウォーレン・バフェット。

2015年、バークシャーは精密鋳造会社のプレシジョン・キャストパーツ(Precision Castparts)を370億ドルで買収し、過去最大の取引を成立させた。その後2016年から2018年にかけて、バークシャーは約360億ドルを投じてアップル(Apple)株の約5%を保有した。その価値は2023年までに4倍以上の1700億ドルを超え、バークシャーにとって最大の保有銘柄となり、同社史上最も収益性の高い投資のひとつとなった。バークシャーは過去数四半期で、アップル株の保有比率を3分の2削減した。

新型コロナウイルスのパンデミックを受け、バフェットは米国の大手航空会社4社の株式を売却した。しかしその後も、いくつかの大きな賭けに出ている。ドミニオン・エナジー(Dominion Energy)の天然ガス資産を100億ドルで買収し、日本の大手商社5社の株式を取得した。また、保険会社のアレガニー(Alleghany)を120億ドルで買収。これにより、スクイッシュマロ(ぬいぐるみ)・メーカーのジャズウェアズ(Jazwares)などの事業がバークシャー傘下に入った。

バークシャーはまた、国内最大の民間企業のひとつであった、トラックストップ(運転手向けの休憩施設)チェーンのパイロット・フライングJ(Pilot Flying J)社を買収するために、約7年間で110億ドル以上を投じた。

マンガーは2023年11月、100歳の誕生日を数週間後に控え、現役のまま亡くなった。バークシャーの時価総額は2024年末に1兆ドルを突破した。

バークシャーの株価は、1964年から2024年の間に550万%、または年率約20%近くで上昇した。これは、同期間のS&P500種株価指数の約3万9000%、または配当込みの年率約10%を大きく上回った。

バフェットは株主に対し、自身の退任に備え、遺産計画の概要を説明し、また2021年にはバークシャーの非保険部門責任者であるグレッグ・エイベルを後継者に指名していた。

そのようななかで今年5月、バフェットは今年後半に退任し、来年1月初めにエイベルが指揮権を引き継ぐと発表して、ビジネス界を驚かせた。

※本記事は取材対象者の知識と経験に基づいて投資の選定ポイントをまとめたものですが、事例として取り上げたいかなる金融商品の売買をも勧めるものではありません。本記事に記載した情報や意見によって読者に発生した損害や損失については、筆者、発行媒体は一切責任を負いません。投資における最終決定はご自身の判断で行ってください。