株高のいまこそ、10月19日の"悪夢"のことを振り返ろう。「ブラックマンデー」の様子を伝える10枚のビンテージフォト
- 1. 長期にわたる弱気相場の末、市場は暴落した
- 2. 投資家がコンピューター取引に移行し、自動取引が暴落を加速した
- 3. コンピューターによるポートフォリオ・インシュランス・プログラムが、下落に拍車をかけた
- 4. パニックが広がり、相場が混乱状態に陥った
- 5. 暴落の影響は世界中に広がり、アジア市場が最初に打撃を受けた
- 6. FRB(米連邦準備理事会)は、金利を引き下げて金融危機を食い止めようとした
- 7. 一般の人々も、相場下落が家計に与える影響を感じた
- 8. 人々がパニックになると、報道機関は市場に関する情報を大急ぎで伝えた
- 10. 米国株式市場の1日の下げ幅が最大だったのは、いまもなおブラックマンデーのときである

San Francisco Chronicle/Hearst Newspapers/Hearst Newspapers via Getty Images
- 10月19日は、1987年に世界的株価大暴落「ブラックマンデー」が起こった日だ。
- この日は、S&P500種株価指数が20.5%と過去最大の下落を記録し、ダウ工業株30種平均も22.6%下落した。
- 以下の10枚の写真は、ブラックマンデーがどのように世界の市場に影響を与えたかを示している。
10月19日は、1987年に世界的株価大暴落「ブラックマンデー」が起こった日だ。
この日は、S&P500種株価指数が20.5%と過去最大の下落を記録し、ダウ工業株30種平均も22.6%下落した。これほど大きな下げは、1929年10月28日から1932年まで続いた世界恐慌以来だったという。
以下の10枚の写真は、ブラックマンデーがどのように世界の市場に影響を与えたかを示すとともに、金融市場を暴落させた要因を説明している。
1. 長期にわたる弱気相場の末、市場は暴落した

市場が暴落し、ニューヨーク証券取引所のトレーディングフロアでは混乱が続いた。
数年にわたる景気拡大を受けて、株価は1987年上期に44%上昇し、資産バブルが起こっていた。だが、貿易赤字拡大に関するニュースが広がり始めると、10月16日に資産バブルが弾けた。
1987年10月16日(金曜日)、ダウ工業株30種平均が下落し始め、前日比マイナス4.6%で引けた。経済不安がくすぶり、週明けの相場を暗示していた。
翌10月17日(土曜日)に、ベーカー財務長官が、拡大する貿易赤字縮小のためにドルの切り下げを提案すると、一気に不安が高まり、金融市場で狼狽が強まった。
2. 投資家がコンピューター取引に移行し、自動取引が暴落を加速した

金融市場の暴落ニュースが広がり始めると、投資家は急いで株式を売却した。
1987年頃には、株価が一方向に動くと売買注文を出すコンピューター取引プログラムを、投資家が利用し始めていた。ブラックマンデーの暴落は、こうした初期の技術が急落時に市場に影響を与えた様を表している。
3. コンピューターによるポートフォリオ・インシュランス・プログラムが、下落に拍車をかけた

コンピューター取引システムが、相場下落に拍車をかけた。
新しい自動ポートフォリオ・インシュランス・ツールは、ソフトウェアを利用し、市場が一定の価格を割り込むと自動的に株式を売却するものだった。こうしたプログラムが、大量の株式を自動的に売却したため、市場が大きな打撃を受け、それがさらなる相場下落をもたらした。
4. パニックが広がり、相場が混乱状態に陥った

パニックになった多くの人が株式売却に殺到し、市場で連鎖反応が起こった。
暴落のニュースがウォール街以外にも広がると、資金を確保しようと投資家が必死に株式売却を急いだ。パニック売りを受けて、多くのトレーダーが保有株式を売却せざるをえなくなり、市場はさらに下落した。
5. 暴落の影響は世界中に広がり、アジア市場が最初に打撃を受けた

ブラックマンデーの日に、香港の街中で株価ボードを見るために人々が集まった。
ニューヨーク市場が開く数時間前に、相場下落の波がすでにアジアの株式市場に押し寄せており、瞬く間に世界中に懸念が広がった。
アジアに続いて始まったロンドン市場も大幅に下落し、ガーディアン紙(The Guardian)によると、主要株価指数のFT100指数は10%以上下落した。また、香港では、パニック売りから市場が数日間休場に追い込まれた。
6. FRB(米連邦準備理事会)は、金利を引き下げて金融危機を食い止めようとした

暴落の影響はパリ証券取引所にも及んだ。
市場のパニックを受けて、FRB(米連邦準備理事会)は金利を0.5ポイント引き下げた。また、グリーンスパンFRB議長は、FRBによる流動性供給を公約する声明文を発表した。
こうした行動により、相場下落のスピードは鈍化し、さらなる下落が食い止められた。
7. 一般の人々も、相場下落が家計に与える影響を感じた

市場の暴落が、貯蓄や退職資金にどう影響するかみな不安に感じた。
突然の市場の暴落は、退職資金や貯蓄を危険に陥れた。
8. 人々がパニックになると、報道機関は市場に関する情報を大急ぎで伝えた

金融市場の暴落とその余波に関するニュースは、ロンドンのシティ(金融街)にも打撃を与えた。
各国市場が急落すると、報道の目が経済に移った。だが、市場動向は刻々と変わるため、当時のマスメディア——大半は新聞とテレビニュース——が使っていた技術では、迅速に消費者に情報を伝えられなかった。そのため不安感がさらに増し、ウォール街の内外で、誤った情報が増加した。
9. この暴落を受けて、将来のパニックを防ぐために一連の市場改革が行われた

シドニー証券取引所も下落した。
大暴落の後、米証券取引委員会(SEC)は、ボラティリティ(変動率)が著しく高まった際に市場活動を停止する「サーキット・ブレーカー制」の導入を求めた。この目的は、パニックの拡大を防ぐとともに、トレーダーに自分の判断で行動する時間を与えることだった。
導入以来、サーキット・ブレーカー制が実際に発動されたのは数えるほどしかない。新型コロナウイルス感染が拡大し始めた数日間と、直近ではトランプ関税の発表の後である。
10. 米国株式市場の1日の下げ幅が最大だったのは、いまもなおブラックマンデーのときである

ブラックマンデーの教訓から、将来の市場暴落を防ぐためにSECは安全装置を導入した。
ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)によると、ブラックマンデーの1日で、ニューヨーク証券取引所の時価総額が5000億ドル(約72兆5000億円)以上吹き飛んだ。
だが、翌週以降、相場は持ち直し始め、1988年には各国市場で暴落前につけた最高値を上回った。
相場下落は、短期的であれ、証券取引所の改革を後押しし、暴落と幅広いパニック売りが米国および世界の市場に波及するのを食い止めるメカニズム導入の一助となった。