ピーク時の2割に減った駅弁業者、それはコンビニのせいなのか? 弁当会社社長の答えとは…JR社員が登録無形文化財を目指す理由

駅構内の調理場で製造した人気の駅弁「活あなごめし」=2025年10月、広島市
今、駅弁が苦戦している。1960年代のピークには約400社あった駅弁事業者は、現在は約2割にまで減った。
「コンビニは駅弁業者からすると競争相手でしょうか?」。あるとき、広島駅弁当(広島)の社長、中島和雄さんは鉄道関係者から問われた。駅構内にテナントとして入るコンビニは、客を取り合う相手に見えたようだ。
「コンビニの弁当が文明だとしたら、駅弁は文化なんじゃないかな」。中島さんは答え、この考えを幾度となく社内でも伝えてきた。駅弁再興に向けた取り組みは、広島駅弁当に出向していたJR西日本の社員がこの言葉を耳にしたことをきっかけに始まった。
新幹線や特急列車に乗る際の旅のお供として親しまれてきた駅弁。今年は発祥140年の節目とされる。脚光を当てようと、JR各社と事業者が「登録無形文化財」としての認定を目指している。駅弁業者の思いを受け止めたJR社員が、取り組みの輪を全国へと広げた。

名物駅弁「夫婦あなごめし」を持つ広島駅弁当社長の中島和雄さん=2025年10月、広島市
▽郷土料理とのつながり
「コンビニは文明、駅弁は文化だ」と言った中島さんは続けた。「全国どこでも同じ品質のものを食べたいという物質的な欲求を満たすのが文明で、それとは違う精神的なものが文化。だから良い悪いではなく、どちらも必要なものですよ」
駅弁事業者などで構成する日本鉄道構内営業中央会によると、会員数は1967年ごろ、最も多い400社あった。日本の人口が1億人を超え、集団就職などで鉄道利用が増えた頃だ。現在、82社にまで減った。運行効率化で停車時間が短くなり、ホームでの立ち売りがなくなったことも要因だ。
中島さんは駅弁会社が姿を消していく背景を「JRからいただいた市場の中でビジネスをやってきて、自ら市場を創造する力がなかったからだ」と分析する。長く続く企業になるためには企業としての使命を定めることが必要で、郷土料理を詰めて売っていた駅弁の歴史を踏まえ「それぞれの地域で特色のある食文化や風習を残していくこと」だと考えた。
社内会議など機会を捉えて繰り返し話してきたこの言葉を聞いていたのが、JR西から出向していた奥山喜文さんだ。奥山さんはこれまで駅弁を文化として捉えたことはなく、掘り下げて調べようと決意。2024年度の文化庁「『食文化ストーリー』創出・発信モデル事業」に応募、採択された。
奥山さんは22年12月から2年4カ月の出向期間のうち、最後の1年を事業にかかる研究に費やした。駅弁が鉄道とともに歩んできた歴史についての先行研究は多くあるものの「郷土料理とのつながりにアプローチをしたのは例がないのではないか」と話す。

JR広島駅構内の売店に併設された調理場で焼かれるアナゴ=2025年10月、広島市
▽家庭の味と給食の限界
120ページにまとめた研究成果は、郷土料理は食材がとれなくなると消滅する事例がある中で、駅弁は材料の産地を変えながらも味や調理法を守って存続してきた歴史をひもといた。作るのに手間がかかる郷土料理は家庭の食卓に上がる機会が減る一方で、駅弁が地元の食文化に触れる機会になっていることもまとめた。
研究に当たり、広島の郷土料理教室に参加した。炊いたご飯に野菜を混ぜ込んだ「もぶり」は、だしをとり、食材を切って火の通りを考えながら食材を煮た後に汁気を切り、あら熱がとれたご飯に混ぜるレシピだ。
ほかのおかずの用意も含めて、ベテランの主婦5~6人が2時間近くかけてやっとできあがる料理工程を知った。郷土料理には、作るのに非常に手間暇がかかるものがあり、いくつもの素材で下処理を行うなど相応の時間がかかることが多い。「家で今それだけ作る時間は取れない。家族構成の変化だけではなく就業環境も考えると、家庭での伝承は本当に難しくなってきているのが分かったし、駅弁事業者の貢献は大きいと気付いた」
ほかにも新たな発見があった。食育の観点から調べたところ、小中学校では給食で郷土料理を提供しており、食べる機会は卒業とともに激減する。駅弁は汁物など採用できない料理があるものの、郷土料理を食べる機会の一つを提供していた。

各地の名物駅弁
▽「冷めてもおいしい」技術も研究
2025年春、奥山さんはJR西に戻り、文化庁の事業は2年目に入った。全国の七つの駅弁事業者も活動に加わり、広島をモデルケースに各地でどのように地域の味と駅弁が結びついているか考察を深める。
駅弁独自の「冷めてもおいしい」「揺れても見栄えが損なわれない」「周囲ににおいがしない」といった製造技術も研究する。
登録無形文化財には現在、華道、茶道、京料理、菓銘をもつ生菓子(煉切・こなし)、手もみ製茶、伝統的酒造り、加賀料理の7件が登録されている。文化庁によると、登録には守り伝えられてきた伝統の技があることの確認が必要で、調査官による検討を経て文化審議会に諮る流れになっている。
文化庁事業への採択と登録に直接の関連性はないが、機運を盛り上げようと、JR西を中心に北海道、東日本、東海、四国、九州も情報発信に協力する。鉄道関連の博物館など文化施設で駅弁の歴史や各地の名物を発信するパネルを掲げたり、駅構内の売店で駅弁の食文化としての価値を伝えるデータを示したりして駅弁業界を盛り上げる。
地域の食や文化を体験するために駅弁を食べるという流れをつくり、鉄道の利用促進にもつなげる。「駅弁を新しい切り口にして、現地に行きたくなる仕組みを作るのが鉄道事業者の役割だ」と奥山さんは意気込みを語った。

広島駅弁当の「しゃもじかきめし」
▽SL機関士だった初代社長
広島駅弁当は1901年創業の老舗。初代社長は蒸気機関車(SL)の運転士で、明治天皇が乗車したお召し列車を運転し、定刻、定位置にぴったりと停車させた功績から広島駅構内で営業する権利を得たと伝えられる。
現在はふっくらとした大きなアナゴを2本載せた「夫婦あなごめし」が名物だ。ただ、弁当業界ではコメなど食材価格の高騰が業績を圧迫し、事業環境は厳しさを増している。廃業した博多や山口の駅弁会社ののれんを引き継ぎ、地域で愛された駅弁を絶やさないための取り組みにも注力してきた。
中島社長は、研究成果を読んで改めて駅弁が果たしてきた役割の重要性を「再認識」したという。現在、文化庁の事業はJR西に引き継いだが、業界に逆風が吹く今だからこそ、登録無形文化財にかける期待も強い。「社会的な認知を受けることであり、名誉なことでもある。次の世代に引き継ぐために駅弁業界としても頑張りたい」と力を込める。「汽車に乗る目的には楽しいことも、悲しいこともある。駅弁は単なる食べ物ではなく、一人一人の経験や思いが詰まっている」