伊藤忠32万円、大和ハウス35万円、ファストリ37万円…初任給引き上げラッシュを手放しで称賛できないワケ

Photo:PIXTA

「初任給の引き上げ」が一大ブームだ。優秀な若手人材を確保するための常識になりつつある。一方で、既存社員にデメリットはないのか。初任給を引き上げる「功罪」を考える。(未来調達研究所 坂口孝則)

伊藤忠商事、ファストリ、大和ハウスも!

2026年は「初任給アップ」が常識に

「あの先輩よりも、明らかに私の成果のほうが上でしょう。なのに、なぜ給料もボーナスも私のほうが低いのですか」

 筆者が総合電機メーカーに勤めていた24~25歳の頃、上司に質問してみた。

 すると上司は、「いいたいことはわかるが、俺に交渉しても、会社の給与制度は変わらないぞ」と大人の態度。「ここでは、会社歴が長いと仕事ができる前提なんだ」とも。

 今も日本の多くの企業は、年功序列で給与が上がる。その会社に長くいればいるほど仕事ができるようになり、生産性も上がっていく“前提”でそうした制度になっている。

 しかし、そんなのは幻想だと昔から誰もが知っていた。上司も後でポツリとぼやいた。「俺たちは幻想の中で生きているんだよ」と。幻想でも、年功序列のほうが結果として企業はうまく回ると信じられてきた。

 それが令和になっていよいよ転換を迎えている。「大和ハウスは35万円になるらしいよ」「いやいやオープンハウスは40万円!」「ユニクロ(ファストリ)は37万円だって」。このところ「初任給の引き上げ」ラッシュが起きていることはSNSやニュースを見れば明白だ。

 22年にバンダイは初任給を22万4000円から29万円に引き上げたかと思えば、25年にはさらに30万5000円にアップした。伊藤忠商事も同様に24年に5万円アップ、25年に2万円アップし32万5000円に。積水ハウスは6万円上げて30万円……と枚挙にいとまがない。

 ファーストリテイリングは「グローバルリーダー候補」の給与が37万円になるとはいえ、地域限定社員の初任給も2.5万円上げている。

 そこで今回は、初任給を引き上げる「功罪」を考えてみたい。

なぜ初任給を引き上げるのか

学生に分かってもらえるのは…

 なぜ今、企業は初任給を引き上げるのだろうか。当然だけれど効果があるからだ。

◆シグナル効果:高い初任給にすればメディアに取り上げられる可能性がある。すると求職者に絶大なアピールとなる。学卒者もそうだし、転職者にも大きな宣伝効果がある。

◆サボり防止効果:他社より初任給が高いと自覚すれば、高い賃金を失わないように社員は勤労に励む。何より士気が向上する。勤労意欲の高まりは、企業全体の好業績にもつながるだろう。

◆ブランディング効果:初任給が高いと、大切な子息を送り出す親御さんからの高評価にもつながる。経営が安定していて、社員を大切にしているイメージを植え付け、社会的な信頼度も上がる。

 なお、筆者の初任給は20万円だった。大学の同期と給料の話をした時、金融マンも20万円ほどと聞いてホッとした(しかし今はもっと上がっている)。マスコミの初任給は10万円ほど高かった。手当なども圧倒的に総合電機メーカーは低く、非常に劣等感を抱いた。

「新入社員には高い給与というよりも、成長の実感こそ与えたい」などというのも幻想だ。ある大手企業の人事担当者も苦笑いしていた。「そりゃ正論だけどさ、就職試験を受けに来る学生に魅力的かどうか分かってもらえるのは、給料の額なんだよ。業務内容よりもね」と。やはり初任給アップは訴求力が違うらしい。

【参考資料】「2026卒学生が選ぶ就職人気企業ランキング」上位企業(文系)の初任給一覧 ※産経新聞社とワークス・ジャパンが発表した2026年3月卒業予定の大学生・大学院生を対象とした「26卒学生が選ぶ就職人気企業ランキング」上位企業の初任給を、日本人材ニュースがまとめたもの。 https://jinzainews.net/26805690/

【参考資料】「2026卒学生が選ぶ就職人気企業ランキング」上位企業(理系)の初任給一覧 ※産経新聞社とワークス・ジャパンが発表した2026年3月卒業予定の大学生・大学院生を対象とした「26卒学生が選ぶ就職人気企業ランキング」上位企業の初任給を、日本人材ニュースがまとめたもの。 https://jinzainews.net/26805690/

初任給アップで起きる大問題

既存社員のデメリットは?

 筆者は製造業を中心とした経営コンサルタントとして、新入社員の初任給を上げるのは良いことだと思う。一方で、上場するような大手企業の多くが、人件費に関して問題を抱えてきたのを指摘したい。

 それはつまり、利益を大幅に上げられない場合、総人件費をそのまま増大させられない。総人件費を引き上げて利益を悪化させてしまうと、株主への説明ができないのだ。

 そこで、次のような手法が取られることが、ままある。

◆初任給を大幅に引き上げるといいながら、実際に上がるのは一部の選抜社員のみで、総人件費の総額はほぼ上がらない

◆初任給を引き上げると同時に、多くの既存社員にはジョブ型に移行してもらうことで、年功序列カーブのフラット化を狙う

◆既存の社員の給与を引き下げるのが難しければ、中高年の賃金カーブにおける伸び率を抑えることで、総人件費の総額を横ばいにする

 こうなってくると、手放しで褒められない。新入社員の初任給が上がることで、既存社員へのデメリットはないのか。

◆モチベーション低下:既存社員と新入社員の給与が逆転する企業も出てきている。後進の給与が高く、自身は経験に見合った給与をもらっていないと思う人の、やる気は下がる。無力感にもつながる。その結果、休職率や離職率が高まるケースがある。全体の賃金は横ばいでも、特定の世代のベースアップが縮むと、ベテラン社員ほど退職する意向が高まるという調査結果はいくつもある。

◆昇進意欲の低下:メンバーシップ型雇用に慣れた人材は、働くことで昇給しようとしなくなり、自己の能力を見限って仕事への意欲を低下させる。組織全体のパフォーマンス低下にもつながりかねない。

◆教育のボイコット:「俺の時より給料を多くもらっているんだから、自分で成長しろ」などと、先輩や上司が若手の教育を放棄する傾向が出る。要するに、面倒見が悪くなる。結果的に、組織全体が弱くなりかねない。

みんながハッピーになる

施策なんてあるのか?

 初任給を上げて優秀な新入社員を確保すること自体は、もう待ったなしの施策だろう。一方で、せっかくの施策が別方向に悪影響を与え、会社全体にひずみをもたらせば元も子もない。

 企業はどうしたらいいのだろうか。絶対的な回答はないが、解決の糸口はあるはずだ。

 まず、社員の気持ちになって考えてみたい。人は誰しも公平を望むものだ。既存社員にも経験やスキル、貢献度や業績に応じた報酬体系を明確化し、現在の給与(または賞与)の根拠となる説明が求められる。

 部門別に予算もあるし、完全に平等なんてありえない。しかし、できるだけ公平に努めているという企業姿勢を見せることが重要だ。

 なお筆者は、新卒で入った会社の姿勢が真摯ではないと思ったので退職した。今の若手離職率はもっと高いだろう。Z世代にはフェアネスがさらに重要になっている。

 次に、初任給だけでなく「生涯年収」を設計し直すことで人材獲得の訴求性を高めたい。初任給はニュース性と即効性はあるが、人生100年時代を生き抜くためには正直、初任給よりも生涯年収のほうがはるかに重要だ。

 それを分かっている人は、初任給だけ高い企業よりも、社員を大切にし適切な評価をする企業を求めて自然と集まる。企業側も、そのようにアピールしたほうが中長期的なブランディングになるはずだ。

 従業員の納得感を伴う賃金改革が求められている。釣った魚にエサはやらないが、新しい魚には高級エサを撒くなんて実態はあまりに悲し過ぎる。