「新社会党」活動続けて30年 岡崎宏美委員長が語る、社会党を割った「大義」と村山富市氏の「功罪」 インタビュー詳報前編
〈新社会党・岡崎宏美委員長インタビュー〉前編
1996年、日本社会党(社会党)を離れた国会議員らが旗揚げした新社会党は、今年3月に結党30年を迎える。
社会党が自民党との連立を機に日米安全保障条約や自衛隊の容認へと大きくかじを切り、党名を「社会民主党(社民党)」へ改めた一方で、新社会党は社会党の理念を引き継ぎ、路線変更した社民党を厳しく批判してきた。
小選挙区制の導入、労働運動の変質、そして村山富市元首相の政治的遺産。結党メンバーの1人でもある岡崎宏美・党中央執行委員長(74)に、激動の30年を振り返ってもらった。(宮尾幹成)
◆小選挙区制は「小さな政党や現場の運動をはじき飛ばしてしまう」
【新社会党は1996年1月に社会党に離党届を出した衆院議員2人、参院議員3人(離党届は受理されず除名処分)が旗揚げし、3月3日に正式に発足した。一方、社会党は1月19日に社民党に党名変更。さらに9月29日には社民党議員の約半数が参加して民主党が結党され、社会党の流れをくむ勢力が大きく再編された1年となった】
━━3月に設立30年を迎えます。まずは、結党当時のことをお聞かせください。
1994年、細川政権が進めた小選挙区制導入を含む政治改革関連法案に反対したことが、結党の大きなきっかけでした。

新社会党の機関紙「週刊新社会」の創刊号(右)と第1号の表紙。社会党を「護憲を捨てて改憲政党に転落した」などと厳しく批判する記事が掲載されている
当時は政治家だけでなく、学者、財界、労働界までが「政治改革」の名のもとに、「保守2大政党にするには小選挙区制でなければいけない」と言って猛烈に推し進めたのです。
1980年代から新自由主義が世界の潮流になっていました。また、1990年に始まった湾岸戦争をきっかけに、日本も軍隊を海外に出せるようにしなければならないという議論も起きていました。
(社会党が「万年野党」ながら改憲阻止に必要な3分の1の議席は保持し続ける)55年体制のままでは乗り遅れるというのが、小選挙区制導入の本当の目的でしたが、そうした本質的な議論はほとんどありませんでした。
私たちは、小選挙区という仕組みが小さな政党や現場の運動をはじき飛ばしてしまうことを強く懸念しました。政党要件や政党助成金の制度がセットで導入されると、一度勝った側が長く居座りやすく、議会の中で異議を唱える余地が狭まる。そうした構造的な変化にあらがう必要があると判断したのです。
◆金権政治一掃のはずが小選挙区制導入に「見事なすり替え」
【55年体制末期の金権政治批判を受け、1993年に政治改革を旗印とする細川連立政権が発足し、社会党も与党の一角に加わった。細川政権は企業・団体献金の制限などの議論を進めたが、次第に焦点が衆院の小選挙区制導入に移っていった】
━━社会党は、なぜ小選挙区制に反対しなかったのでしょう。
1993年の衆院選の公示直前までは反対でした。ところが、選挙戦の真っ最中に山花貞夫委員長が「小選挙区制に賛成する」「この選挙が終わったら連立に入る」と表明したのです。突然の方針転換で、党内はものすごく混乱しました。

結党当時を振り返る新社会党の岡崎宏美委員長=東京都千代田区で(坂本亜由理撮影)
仕掛けたのは(自民党を離党して新生党を旗揚げしていた)小沢一郎さんです。宮沢内閣の不信任決議案が、小沢さんたちが賛成して可決したのを受けた衆院解散・総選挙で、選挙後には政治改革を断行する連立政権をつくるという話ができあがっていました。
その過程で、金権政治を一掃するための「政治改革」が、いつの間にか小選挙区制導入に矮小(わいしょう)化されてしまったのです。見事なすり替えでしたが、その後に成立した細川内閣で政治改革担当大臣に就任したのが山花さんでしたから、どうしようもありませんでした。
━━その小選挙区制は後々、社会党の後継政党となった社民党の首も絞めることになりました。
小選挙区というのは、とにかく「一番を取った者が全部持っていく」仕組みなんですね。だから、大きな組織や資金力のあるところが圧倒的に有利になる。しかも、一度勝った政党がそのまま居座り続ける構造ができてしまった。

政治改革関連法が成立し、河野洋平自民党総裁と握手する細川護熙首相(右)=1994年1月29日午後、国会内で
結果的に、憲法を変えようという勢力が長期的に力を蓄えることになりました。
私たちはその後、ずっと「憲法を変えるな」と訴えてきましたが、(小政党が議席を得にくい)制度そのものがその努力を難しくしている。30年たって、その危惧が現実になっていると感じています。
◆雇用の分断が、社会全体の連帯を壊してしまった
━━この30年の日本社会の変化で、特に大きいと感じることは何でしょうか。
やはり「雇用の分断」です。1986年に労働者派遣法ができた時には限定的だった労働者派遣の範囲が、どんどん広がりました。今では公務員も半数近くが非正規労働者です。
若い人も中堅の人も、いったん不安定な働き方に置かれるとそこからはい上がれない。私の子ども世代はまさに氷河期で、大学を出ても働くところがない。正規で働いていた男性でも、簡単に首を切られて次がない。そういう社会を国が作ってしまいました。
昔は、労働組合があって、賃金を上げたり社会保障を良くしたりする道筋があった。でも今は、労働者の中でさらに細かい分断ができて、同じ「労働者」とひとくくりにできない状況になっている。働いても働いても楽になれない人が増えて、社会全体の連帯が壊れてしまった。本当に深刻だと思っています。
━━労働組合の組織率は下がる一方です。労働運動の変化をどう受け止めていますか。
昔の総評(連合=日本労働組合総連合会=の前身の一つ)は、問題があれば「対決する」「闘う」という労働組合でした。でも連合は「闘いません」「話し合いでいきます」という方向に変わっていった。
今では大企業中心の組織になってしまって、非正規や底辺で働く人たちにとっては、「労働組合は自分たちのものじゃない」と感じるようになっている。

だから私たちは、地域で1人でも駆け込めるユニオン(企業などに所属していなくても加入できる労働組合)を作ってきたんです。そこに来れば誰でも相談できるように。でも、制度や政策を変えない限り、個別の救済だけでは限界がある。
30年の間に、労働組合の力が弱まり、社会から支え合いが失われてしまったことは、本当に大きな問題だと思っています。
◆村山富市元首相の「罪」は厳しく検証しないといけない
━━昨年、社会党委員長として自民党との連立政権の首相を務めた村山富市氏が101歳で亡くなりました。新社会党にとっては「政敵」でしたが、首相として発表した「村山談話」を含め、村山氏の政治的遺産をどう総括しますか。

故村山富市元首相=2015年5月撮影
難しいですね(笑)。個人的には、村山さんは本当にいい人だったと思います。私も自治労(全日本自治団体労働組合。地方自治体や公立病院・公共交通などの職員でつくる労働組合の全国組織)の関係で若い頃からお世話になって、かわいがってもらいました。でも、いい人がいい政治をするとは限らない。
村山さんが自民党との連立を受け入れたことで、日米安保反対、自衛隊は違憲、消費税廃止──社会党が長年掲げてきた大事な政策が次々と転換されました。私たちは当時、それを厳しく批判しましたし、今もその評価は変わりません。
あのときの判断が、その後の政治の流れを決定づけてしまった。私たちが心配していたことが、30年たって本当に現実になっているわけです。
村山談話には、後の政権もその歴史認識を引き継がざるを得なくなったという歴史的意義が確かにあります。当時の自民党総裁がハト派の河野洋平さんだったという巡り合わせもありました。あれがあったから、村山さんはその後もずっと、平和を思っていた人だったのねと言ってもらえました。
でも、それと村山さんのあの時の政治判断は別です。自民党との連立の過程での妥協は、やはり厳しく検証されなければならない。
村山さんは「いい人」だったけれど、政治家としては、いい人であるがゆえに断れずに、自民党にうまく取り込まれてしまった。そこが大きな問題だったと思っています。
村山首相談話 戦後50年の1995年8月15日、閣議決定された政府の公式見解として村山富市首相が発表。「植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に対し多大の損害と苦痛を与えた」事実を認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した。戦後60年の小泉純一郎首相談話、戦後70年の安倍晋三首相談話でも、この歴史認識が踏襲された。高市早苗首相も国会答弁などで、村山談話を含む歴代内閣の歴史認識を「引き継いでいく」と述べている。
岡崎宏美(おかざき・ひろみ) 1951年生まれ。兵庫県職員労働組合の活動を経て、1990〜1996年に衆院議員を2期務める(中選挙区時代の兵庫1区)。社会党籍はあったものの、連合の結成(「総評」「同盟」などの合流)に反対した経緯などから、1990年と1993年の衆院選では党公認を得られず、無所属で当選。1期目の後半のみ社会党会派に所属した。1996年に新社会党の旗揚げに加わり、社会党を除名された。2017年4月から新社会党委員長。著書に『国会に窓はない――土井たか子さんへの訣別(けつべつ)宣言』(1998年)。
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