日本の都合で振り回された人々に突きつけられる「生活保護は日本人のもの」論 在日コリアンの複雑な経緯とは

 「生活保護は日本人のもの、外国人は帰れ」。そんな声がインターネット上に増えている。しかし、生活保護と同様の対応を受けている外国人は、帰りたくても帰れず、日本の制度や社会からも排除されてきた。子どものころに「生活保護」を利用した在日コリアンの李洋秀(イヤンス)さん(75)は「歴史を知ってほしい」と訴える。(中村真暁)

◆祖父が併合時代の韓国から来日、自身は日本で生まれ育つ

 生活保護の対象は、日本国民のみ。外国人は国内での活動に制限がない永住者や定住者らに限られ、人道上の「準用措置」として講じられている。生活保護を利用する全163万世帯のうち、この措置の適用は約4万6000世帯と全体の2.8%。その6割を韓国・朝鮮籍が占める。法的な権利が保障されていないため、福祉事務所に不当な扱いを受けても不服申し立てができない。

資料を手に、生活保護法と外国人の関係について話す在日コリアンの李洋秀さん(石橋克郎撮影)

 高麗博物館(東京・大久保)理事長の李さんは、日本で生まれ育った。祖父は1910年の韓国併合で土地を奪われ、職を求めて来日。父は6歳で家族とともに日本に呼ばれ、愛知県内で市役所職員になり、愛知県出身の母と結婚した。

 だが1952年のサンフランシスコ講和条約発効前の法務府(現法務省)の通達で、在日コリアンは国籍選択の機会を与えられず、一方的に日本国籍を奪われた。

 李さんは言う。「両親の婚姻届や私の出生届はどこにも記載されず、母は私とともに無国籍の『外国人』とされました」

◆「国籍を奪った日本政府は、年金制度からも排除」

 母は父の暴力に苦しんだ。北朝鮮への帰国事業に李さんと加わろうとしたが、父の同行がないとして認められなかった。愛知県の朝鮮人集落で暮らしたが、近隣の火事が延焼し、自宅が焼けた。財産を失い、生活が見通せなくなった。

高麗博物館理事長の李洋秀さん(石橋克郎撮影)

 「それで小学6年から中学3年のころまで、準用措置を受けました」。当時、外国人には国民健康保険が適用されなかった。「病院に行けず、友人の親は盲腸で死にました。唯一あったのが『生活保護』の医療扶助で、これがなければ病院には行けませんでした」

 母は77歳から亡くなるまで、再び「生活保護」を利用した。国民年金の国籍条項は1982年の難民条約発効で外されたが、35歳以上の在日コリアンは満25年間の掛け金が支払えないとされ救済されなかった。

 李さんは憤る。「国籍を奪った日本政府は、年金制度からも排除したのです」

 就職での差別もひどかった。「男は暴力団、女は売春婦しかないとうわさされた。みな圧倒的な貧困で、日本で生きることに絶望していました」

◆政府は在日コリアンを「構造的な困窮」に取り残した

 生活保護の準用措置を受ける外国人に在日コリアンが多いのは、「『生活保護』しかなかったから」だ。

 外国人の生活保護について、参政党が「支給停止」を政策に掲げている。

 李さんは、政府が「自国民」を分断してきた歴史に触れ、問いかける。

 「構造的に困窮させられてきたのに、もう一度私たちを切り捨てるなんて歴史や現状を無視した主張。日本で生まれ育ったのに、どこへ帰ればいいのでしょうか」

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