「脱エンジン」は早すぎた――V8・V12の咆哮再び、「BMW」「メルセデス」が理想より“官能”を選んだ理由
エンジン車存続の流れ
2020年頃から始まった電気自動車(EV)シフトは欧州が震源地のひとつであり、欧州各国政府はEVを移動手段の中心に据えるべく、極めて野心的な政策を強力に推し進めてきた。しかし、この性急な移行は、補助金による一時的なブームによって需要を数年で一気に食いつぶす結果を招き、現在は市場の飽和と反動による深刻な停滞に直面している。
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欧州当局は自域内の産業基盤が崩壊するリスクを回避するため、これまでの強硬姿勢を翻し、政策の方針転換を迫られることになった。その結果、内燃機関車が絶滅すると目されていた2035年以降も、エンジン車は市場に踏み止まる運びとなった。
当初、欧州連合(EU)の行政執行機関である欧州委員会が掲げた計画では、EVの普及を加速させることで2035年以降のすべての新車をゼロエミッション化するとしていた。これはガソリン車やディーゼル車といった従来型だけでなく、ハイブリッド車を含むあらゆるエンジン搭載車を対象に含み、走行中に二酸化炭素を排出する全ての車両の販売を禁じるという、既存の産業構造を根底から揺さぶる内容だった。
ただ、2022年にこの計画が打ち出された時点ではあくまで暫定的な合意に留まっており、産業の実情と乖離した目標に対する調整が、その後の数年間を通じて水面下で進められてきた。
実態として、EVを欧州全体に浸透させるための社会基盤は整っておらず、車両価格の異常な高さや冬場における性能の著しい低下といった、解決困難な実用上の課題が次々と噴出した。
さらに、中国製の安価なEVが欧州市場へ怒涛の勢いで流入した事態が、欧州メーカーの収益を圧迫し、域内の雇用や経済に壊滅的な打撃を与える懸念を強めた。自国産業の空洞化に危機感を抱いた各メーカーから政府への猛烈な突き上げは限界に達し、2025年12月、欧州委員会はついに方針の修正を公表するに至った。
この決定の本質は、中国勢に対して競争優位性を失ったEVという土俵での敗北を事実上認め、欧州が長年積み上げてきたエンジン技術という資本を守るための実利的な撤退である。欧州は、自らが主導した環境ルールが中国メーカーの覇権を助長する結果となった事実を直視し、産業の安全保障を優先して内燃機関という防波堤を復活させたのだ。
ただし、完全な白紙撤回ではなく、2035年以降の新車については合成燃料やバイオ燃料を使用できることを存続の条件としている。二酸化炭素の削減目標自体はわずかな緩和に留まっており、内燃機関の寿命が延びたとはいえ、産業界が置かれた不透明な状況が解消されたわけではない。
排気ガス規制の見直し

2026年1月23日発表。電気自動車(BEV/PHV/FCV)のシェア(画像:マークラインズ)
欧州委員会が進めてきた大方針の修正と歩調を合わせるように、次世代の排出ガス規制「ユーロ7」のあり方についても、極めて現実的な落とし所を模索する議論が繰り返されてきた。
2022年に欧州委員会が発表した当初の規制案は、内燃機関の息の根を止めかねないほど峻烈なものだった。有害物質の排出制限を極限まで引き上げるだけでなく、走行実態に即した極めて広範な条件下での路上排出ガス試験が盛り込まれた。さらに、これまで盲点となっていたタイヤの摩耗粉やブレーキダストといった非排気物質の排出規制を盛り込むなど、環境性能の基準を抜本的に引き上げる方針だった。
しかし、この厳格な要求をそのまま突き通すことは、自動車メーカーにとって耐え難いコスト増を招き、最終的な車両価格の高騰を招く。それは市場の購買力を削ぐのみならず、欧州経済の根幹を成す製造業の国際競争力を自ら破壊することと同義であるとの危機感が共有され、当初案からの大幅な後退を余儀なくされた。
その結果、2023年にかけて行われた合意内容の見直しにより、乗用車の排出ガス項目については当初案の苛烈さが影を潜めることになった。規制の矛先は粒子状物質(PM)の排出へと絞られ、ディーゼル車に対しては依然として厳しいハードルが課される一方で、ガソリン車にとっては開発の余地が残る有利な状況が生まれた。
ブレーキダスト等の規制は予定通り導入されるものの、それは環境負荷の低減を継続しつつ、メーカーが既存の内燃機関技術を維持することを許容する折衷案としての側面が強い。これは、環境保護という理想を掲げつつも、実利を重んじて産業界の疲弊を回避しようとする欧州の苦渋の決断の表れである。
メーカー各社の経営判断を大きく左右したのが、ユーロ7の適用時期の大幅な先送りだ。当初、乗用車は2025年7月、大型車は2027年7月からの実施とされていたが、これほどの短期間での対応は、既存の生産設備を強引に償却させ、膨大な数の雇用を抱えるサプライチェーンを破綻に追い込むリスクを孕んでいた。
最終的な採択案ではこの時期が先送りにされ、乗用車の適用は2028年へと変更された。この猶予期間の確保は、メーカーが内燃機関車から得られる高収益を、次世代技術への投資へと還流させるためのキャッシュフローを維持する時間を創出することになった。これにより、極端な規制を恐れて縮小を余儀なくされていた多気筒エンジンの開発計画が、高付加価値な製品としての生存の機会を再び得ることになったのである。
BMWが計画するV12の生き残り

ロールス・ロイス ゴースト (画像:ロールス・ロイス)
欧州委員会による方針変更を受けて開発継続の道が拓かれたエンジンの筆頭が、BMWの手掛けるV12エンジンである。V12エンジンは、乗用車用動力源の頂点に君臨する高性能ユニットであり、その圧倒的な平滑性や出力特性により、フェラーリに代表されるスーパースポーツや、ロールス・ロイスのような最上級の豪華車両に搭載されてきた。
しかし、近年は環境対策にともなう排気量縮小の流れに押され、その種類は減少の一途を辿っていた。欧州の内燃機関禁止政策が目前に迫るなか、その存在は風前の灯火となっていたのである。ドイツの大手BMWは、自社製品や傘下の英ロールス・ロイス向けにV12の開発と供給を担ってきたが、2022年頃には、この型式のエンジンが生き残る術はないと公に言及していた。実際、BMWブランドにおけるV12搭載車は既に生産を終了しており、現在はロールス・ロイス向けに供給を続けるのみの状態だった。
こうした絶望的な情勢から一転、2026年に入ってロールス・ロイスとBMWはV12エンジンの廃止方針を撤回することを表明した。これは欧州委員会の方針転換とユーロ7の緩和というふたつの追い風を捉えた経営判断であり、V12のみならず8気筒や6気筒といった多気筒エンジンの生産も継続する構えだ。ユーロ7に適合させるための排出ガス対策や環境負荷低減の処置は施されるが、規制の緩和によって、多額の資金を投じて開発を継続するに値する事業性が確保された証左といえる。
経済的な観点から分析すれば、モーターによる駆動が一般化して車両の走行性能が均等化するほど、物理的な爆発行程をともなうV12エンジンの希少性は高まっていく。もはやこれは移動のための手段ではなく、精緻な機械工学が生み出す非代替的な価値をともなった資産としての性格を強めている。
ロールス・ロイスのような極めて限定された市場において、顧客は効率ではなく、他の追随を許さない過剰なまでのゆとりを求めているのだ。V12特有の静粛性、微動だにしない回転精度、そして聴覚に訴えかける響きは、あらゆる要素が電気信号に置き換わる現代において、極めて高い利益率を支える源泉となる。V12消滅の報に一抹の寂しさを感じていた市場の反応は、メーカー側が政治的な理想よりも
「富裕層の欲望」
に応える実利を選んだ結果、安堵へと変わったのである。
メルセデスもV8復活

AMG C63(画像:メルセデス・ベンツ)
メルセデス・ベンツの動向もまた、欧州の理想主義が市場の現実に屈した実態を雄弁に物語っている。BMWやロールス・ロイスによる発表に先駆け、同社もスポーツブランドであるAMG向けの新型V8ターボエンジンの開発を継続していることが判明した。メルセデス・ベンツは近年、排気量を縮小するダウンサイジングを加速させてきたが、その急進的な方針は、ブランド価値の源泉である顧客の熱狂を冷え込ませる結果となった。
現行モデルのAMG C63は、従来のV8を捨て、直列4気筒エンジンを心臓部に据えている。このユニットはプラグインハイブリッドシステムを付加することで、システム全体で500馬力近い出力を発揮し、数値上のスペックでは先代を圧倒する。
しかし、このモデルは市場から失敗作との厳しい評価を突きつけられた。最高出力という数字がいかに優秀であっても、4気筒という機構そのものが大衆車としての記号性を脱却できず、プレミアムセグメントに不可欠な特別感を維持できなかったことが主な要因だ。
直列4気筒とV8エンジンの間には、出力やトルクといった物理量だけでは埋められない、感性の領域における埋めがたい溝が存在する。特にV8エンジンが放つ重厚な響きは何ものにも代えがたく、北米をはじめとする主要市場において、それはもはや信仰に近い熱狂をともなう付加価値となっている。効率を追求したダウンサイジングは、環境保護の観点では妥当であっても、AMGのような高付加価値モデルにおいては、ブランドが積み上げてきた資産を損なう致命的な経営判断となった。
EVシフトの煽りを受け、V12やV8といった大排気量エンジンは一時期、旧時代の遺物として忌避される風潮にあった。しかし、情勢の変化にともない、BMWやメルセデス・ベンツがこれら情緒に訴えかけるエンジンの継続に舵を切った事実は、車を愛する人々にとってこれ以上ない朗報である。欧州委員会の方針に盛り込まれた合成燃料やe-fuelの活用は、内燃機関を維持しながらも脱炭素を追求する実利的な道筋を示している。
大排気量エンジンは、環境負荷を相殺する新燃料との組み合わせにより、次世代においても高貴な魅力を放ち続けるに違いない。
理想と現実のずれ

欧州エンジン車禁止政策の修正。
2035年に内燃機関の新車販売を禁じる。欧州が掲げたこの強い目標は、当初こそ脱炭素の象徴として歓迎されたが、時間がたつにつれ現実とのずれが目立ち始めた。理想を先に置き、市場が後からついてくると考えた政策は、実需の壁にぶつかったまま足踏みを続けている。結果として、事実上の修正を迫られたといったほうが近い。
EVへの急旋回で何が起きたか。販売現場では価格の上昇が重荷になり、従来の顧客が離れた。高級ブランドにとっては、長年積み重ねてきた個性まで薄まった印象が残る。中国勢が価格と電池の供給力を武器に存在感を強め、欧州の地盤に入り込んできた。自らルールを厳しくしすぎた結果、競争相手に道を開いた格好である。メーカー側から見れば、あまり歓迎できる展開ではない。
そのなかでBMWやメルセデスが示したのが、V12やV8を残すという判断だった。大排気量エンジンに未練があるからではない。感情論で動くほど、彼らの経営は甘くない。利益率の高いモデルを手放さず、手元の資金を確保する。体力を保ちながら次の技術に投資する。そのための選択だ。多気筒エンジンは販売台数こそ多くないが、1台あたりの収益は大きい。ここを失えば、研究開発を支える原資まで細ってしまう。
これからの産業の姿も、一本の道に収束する気配はない。EVだけに賭けるのではなく、合成燃料を含めた複数の動力源が並ぶ形へと進んでいく。状況に応じて使い分ける、現実的なやり方だろう。内燃機関の役割も変わる。日々の足としての大量消費財というより、希少性を備えた高付加価値の財へと重心が移る。保有そのものが価値を持つ、そんな位置づけに近づいている。
環境負荷を抑えることと、地域の雇用や産業基盤を守ること。このふたつを同時に満たす解を探った結果、企業がたどり着いたのは、理想論ではなく資本の計算だった。富裕層が内燃機関の文化を支え、そこで生まれた収益が次世代技術へ回る。この循環が続くかぎり、多気筒エンジンがすぐに姿を消すとは考えにくい。しばらくは、そんな状態が続きそうである。