トランプのイラン攻撃がプーチンを救う?原油高という「皮肉な恩恵」

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市場の定石に反するルーブル高
ウクライナ侵攻の長期化に伴い、ロシア連邦財政は戦時体制への適応を余儀なくされている。そうした中、2025年の財政を直撃したのは原油安であった。ロシア産原油の平均輸出価格は、2024年の1バレル68ドルから56ドルへと下落。これに伴い、2025年の石油・ガス収入は前年比24%減の8.5兆ルーブルにとどまった。これは侵攻後で最低だった2023年(8.8兆ルーブル)をも下回る水準である。さらに、この間に約2割のインフレが進行していることを踏まえると、実質的な収入減は数字以上に深刻だ。
本来、原油価格の下落は外貨収入の減少を通じてルーブル安を招く。この通貨安は、輸出企業が手にする外貨のルーブル換算額を底上げし、結果として石油・ガス税収の落ち込みを緩和する「自動調整装置」として機能してきた。しかし、2025年にこの相関は崩れた。経常黒字が縮小するなかでルーブル高が進むという、市場のセオリーでは説明のつかない現象が生じたのである。
なぜ、経験則に反するルーブル高が生じたのか。短期的には停戦(和平)交渉への期待が作用したという見方もあるが、主因は国内の通貨需給を歪める構造的要因にあるとみる。
第一は制度的要因である。ロシアの財政規則上、原油価格が基準を下回れば国民福祉基金(NWF)の外貨・金を売却し、不足分を補填することとなる。さらに財政赤字補填やインフラ投資など非流動性資産への支出に伴う外貨売却も重なり、2025年の通貨当局によるルーブル買いはネットで2.3兆ルーブルに達する試算だ。これが構造的なルーブル高圧力となった。
第二は、中央銀行による金融引き締めである。インフレ抑制を目的とした高金利政策は、家計・企業の行動変容を促した。外貨による資産保全よりも高金利のルーブル建て運用の選好度が高まり、貯蓄目的の外貨需要が急速に減退したことが相場を支えた。
第三は、輸入決済の構造変化である。米国の二次制裁リスクを背景に、輸入業者は決済経路の「脱ドル・ユーロ」を余儀なくされた。輸入支払いに占める外貨決済比率は、50%を割り込み、輸入に伴う実需として外貨を購入する必要性が低下、外貨需要が後退した。
「貯蓄」の枯渇と国債の増発
この想定外のルーブル高は、石油・ガス税収の目減りに加え、輸入品にかかる付加価値税(VAT)などの税収も減少させ、歳入の下振れを招いた。もっとも、ロシア財政が苦慮している根本要因は歳出側にある。2025年の歳出はGDPの2割に当たる43兆ルーブルに拡大し、軍事・治安関連が支出の4割を占める。短期的な削減は難しく、歳入側の下振れを歳出圧縮で吸収する余地は乏しい。結果として、2025年の連邦財政赤字は5.6兆ルーブル(GDP比2.6%)と、当初計画(1.2兆ルーブル)を大幅に超過した。
問題は財政赤字の財源である。2025年は、2022~2024年に重要な財源となってきた国民福祉基金(NWF)からの赤字補填を見送った。侵攻後のNWFの財政準備金部分にあたる流動性資産の使用は、積み立て停止分の予算への振り替えやインフラ・プロジェクトなどに投資された資金も含めると、累計約15兆ルーブルに積み上がる(注)。
(注)概算の内訳は、(1)赤字補填のための取り崩し(2022年3.0兆ルーブル、2023年3.5兆ルーブル、2024年1.3兆ルーブル)(2)基金への積み立て停止分(2022年3~12月4.3兆ルーブル)(3)インフラ・プロジェクト等の非流動性資産への投資分の取り崩し(2024年1.4兆ルーブル、2025年1.0兆ルーブル)。
財政規則を緩和し、政治的判断で取り崩してきた結果、NWFの流動性資産残高は2025年末に4.1兆ルーブル(GDP比1.9%)まで減少し、侵攻前(2021年末:8.4兆ルーブル、GDP比6.3%)の半分以下になった。2025年にNWFからの赤字補填が行われなかったのは、取り崩せる余地が小さくなったことの表れである。
「貯蓄」の余力が細る中で、赤字ファイナンスは市場からの「借金」であるルーブル建て国債(OFZ)へと移行した。2025年のOFZ発行額は8.0兆ルーブルと過去最大を記録した。
銀行部門に蓄積される国債消化の歪み
ロシア連邦政府による赤字ファイナンスの主役となったルーブル建て国債(OFZ)だが、その消化構造は歪みが大きい。買い手は国内勢、とりわけ銀行部門に過度に依存しており、一次市場での銀行引受比率は、2024年の約8割に続き、2025年も約7割という異例の高水準を維持した。
本来、銀行が引き受けた国債は、二次市場を通じて個人、事業法人、信託などの最終保有者へ広く分散されることで市場の流動性が保たれる。しかし現実には、銀行による二次市場でのネット売り越し額は2023年からの累計でも1兆ルーブルに届かず、一次市場での膨大な引受規模とは比較にならない。その結果、流通性を欠いた大量のOFZが、高金利環境下での含み損を抱えたまま、銀行のバランスシートに積み上がっている。
発行環境の悪化も顕著だ。2025年の国債発行量は前年比84%増と激増したが、市場の需要(応札)は27%増にとどまった。政府は発行量を絞る余地がなく、条件面での妥協が進んでいる。2015~2020年には額面に近い水準だった発行収入は、2025年には額面の87%まで低下した。大幅なディスカウント(割引)なしには、市中消化が困難な状況を物語っている。
中央銀行による隠れた財政支援
表面上は国内資金によって国債を吸収する形は維持されている。しかし、その実態は健全な市場消化とは言い難い。ここで、重要な役割を果たしているのが中央銀行(CBR)である。
2025年、レポ入札を通じた銀行への流動性供給残高が大きく増加した。OFZなどを担保に、銀行が中央銀行から短期の流動性を調達する仕組みである。レポは、たとえば2022年の侵攻直後のように銀行間市場が機能不全に陥った局面で、流動性不足を防ぐために用いられる典型的な手段でもある。もっとも、足元のレポの増加は、銀行全体の流動性不足を示すものではない。国債を多く抱える一部の大手銀行の手元資金がタイトになり、中央銀行からの短期資金に頼る状況となっている可能性が覗える。
政府が赤字穴埋めのために国債を乱発し、銀行がそれを引き受け、中央銀行がレポで銀行の資金繰りを支えている。中央銀行は直接引き受けこそ行っていないが、実質的には財政運営を間接的に支える構図が出来上がっている。
トランプ政権からの予期せぬ贈り物
ウクライナとの戦争を継続する限り、ロシアの財政状況が自律的に改善に向かう見込みは極めて低い。もっとも、外部環境が変化すれば財政的な行き詰まりは解消される。
現在の原油市場は、構造的には供給が需要を上回る下落トレンドにあるとみられてきた。しかし、足元の市況はそれとは異なる様相を呈している。イラン情勢の緊迫化を背景に、原油価格は上昇しており、ブレント原油価格は1バレル70ドルを超え、年初から2割弱も上がった。
トランプ政権によるイランへの軍事介入は現実味を帯びている。中東海域には、2隻の空母が派遣され、近日中にもイランへの攻撃態勢が整うとの見通しが広がっている。仮にトランプ政権がイランへの攻撃を実施した場合、原油市場への波及は避けられない。イラン自身による原油輸出の停止にとどまらず、周辺産油国の供給を含めれば、最大で世界の原油供給の約2割にあたる日量2000万バレルがリスクにさらされる。原油価格の高騰は必至だ。
原油高で財政に余裕が生まれれば、戦費調達にかかる制約は緩み、停戦交渉に踏み切る動機は弱まる。トランプ政権の対イラン強硬姿勢は、皮肉にもプーチン大統領にとって窮状を和らげるプレゼントになり得る。
(伊藤忠総研主任研究員 浅岡嵩博)