戦争だけじゃない。「ベンチャー大国」イスラエルから、数千人規模のテック人材が続々と去っている理由

イスラエル政府のデータによると、2023年10月〜2024年7月の1年弱で、ハイテク分野の労働者約8300人がイスラエルを去った。
- イスラエル経済は、テクノロジー産業と高度なスキルを持つ労働力に大きく依存している。
- だが、2023年10月7日以降、数千人ものテック人材がイスラエルを去った。
- Business Insiderがテック業界で働く3人に取材したところ、出国した理由は戦争だけではないと語った。
エリザベス・シュワルツ・コーエン(Elizabeth Schwartz Cohen)氏は、2023年10月7日以降、イスラエル経済の中心地・テルアビブのアパートでスマートフォンから目が離せない日々を送った。次のミサイル警報が鳴り響き、シェルターへ駆け込む——そんな日常が何度繰り返されたか分からないと振り返る。
そしていま、テルアビブは再び攻撃にさらされている。しかし、シュワルツ・コーエンさんはもうそこにはいない。約6000マイル(約9600km)離れた故郷のニュージャージー州ホーボーケンに戻り、出産を待っているのだ。
人々のエネルギーに惹かれて移住したが…

34歳のエリザベス・シュワルツ・コーエン氏はイスラエルからアメリカに帰国した。
テック業界に身を置く34歳のこのアメリカ人女性がイスラエルに惹かれた理由は、「コミュニティの強い絆と、周囲に伝染するような人々のエネルギー」だったという。
しかし、移住から6年が経った2024年、彼女が言うところの「大量脱出」の波に乗り、イスラエルを出国する数千人ものテックワーカーの1人となった。
イスラエルを去った、あるいは去ることを検討している3人のテックワーカーはBusiness Insiderの取材に応じ、彼らを国外脱出へと駆り立てたのは、いまも続く紛争だけではないと語った。
「優先順位の変化、人生の節目を迎えて家族のそばに戻りたいという気持ち、経済的なインセンティブ、あるいは単に戦争を避け、警報が鳴り響く環境で子どもを育てたくないという思い……理由はいろいろある」とシュワルツ・コーエン氏は語る。
1年で8000人以上が国外に流出
イスラエルのテクノロジー・エコシステムには数千ものスタートアップ企業が存在し、同時にインテル(Intel)、マイクロソフト(Microsoft)、エヌビディア(Nvidia)といったビックテックのオフィスもある。
イスラエル発のテック企業の成功例には、ウェブサイト開発企業のウィックス(Wix)、フリーランス向けのオンラインマーケットプレイスのファイバー(Fiverr)、そして2013年にグーグル(Google)が11億5000万ドル(約1828億5000万円、1ドル=159円)で買収した衛星カーナビゲーションアプリのウェイズ(Waze)などがある。
1990年代以降、イスラエルの「ハイテク」産業、すなわち革新的なテクノロジー産業は急速な成長を遂げた。イスラエル政府の技術研究・投資部門が公表した最新データによると、国内のハイテク分野の就業者数はこの10年間、毎年増加を続けてきた。しかし、2024年には前年比1.2%の減少に転じている。
このデータによれば、2023年10月から2024年7月の間に約8300人のハイテク人材がイスラエルを去った。これは2024年のハイテク分野就業者数全体の2.1%に相当する。
生活費はNY並みなのに給与が低い
テルアビブ大学の経済学教授イタイ・アテル(Itai Ater)氏はBusiness Insiderに対し、戦争だけでなく、政治的要因と生活費の高騰も人々を国外へ追いやる原因になっているとの見解を示した。世界各都市におけるソフトウェアエンジニアの購買力(物価水準の差を加味した実質的な給与価値)を測定するテック・シティーズ・インデックス(Tech Cities Index)によると、テルアビブの給与の中央値はニューヨーク市より5万4000ドル(約858万6000円)も低い。
2024年12月にマーサー(Mercer)が発表した「世界各都市の生活費ランキング2024年版」(現時点で入手可能な生活費関連の最新データ)でも、外国人駐在員にとってイスラエルがいかに物価が高いかを浮き彫りにしている。このランキングによれば、国際的な専門職にとって、テルアビブの生活費の高さは世界16位で、中東ではドバイに次ぐ2位となっている。
「働き始めて最初の2年間は、ニューヨーク市より低い給与でも全く気にならなかった。それほどイスラエルにいられることが嬉しかった」とシュワルツ・コーエン氏は言う。しかし結婚し、妊娠したことで、彼女の優先順位は変わった。
「イスラエルのテック企業はアメリカの地方都市レベルの給与しか払わないのに、生活費はニューヨーク並みにかかる」と彼女は指摘し、こう続けた。「私の知る起業家精神にあふれた人や独立心が強い人たちの多くは、すでにアメリカに移住したか、イスラエル国外で収入を得る方法を見つけている」。
2014年から2021年までイスラエルの大統領を務めたルーベン・リブリン(Reuven Rivlin)氏はBusiness Insiderの取材に対し、次のように語った。
「イスラエルが『スタートアップ国家』であることに変わりはないが、頭脳流出の問題には対処しなければならない」
彼は現在、イスラエルのフィンテック企業ビットコア(BitCore)とラバ財団(Lava Foundation)による、イスラエルの法定デジタル通貨「デジタル・シェケル」の発行プロジェクトを主導している。
アテル氏が共同執筆し、Business Insiderが閲覧した未発表の研究論文で、研究者たちは、イスラエル経済は著しい人材流出リスクにさらされていると警鐘を鳴らしている。論文によると「豊富な天然資源に恵まれた国々と異なり、イスラエル経済は、特にハイテク分野やその他の知識集約型産業において、質の高い人的資本に大きく依存している」という。
スイスに移るイスラエル人の多さに驚いた

エレズ・シュナイダー氏(39歳)はイスラエルを去り、スイスへと移った。
AI企業のプロダクトマネージャーを務めるイスラエル出身のエレズ・シュナイダー(Erez Schneider)氏は、母国のテック業界で17年間働いたのち、2024年9月にスイスへ移住した。
39歳の彼は、急成長する業界が自身にもたらしたチャンスと、学生時代から業界内で築き上げてきたサポートネットワークには感謝していると語る。「テック業界は社会的地位が高いと言えるだろう」。
イスラエルに留まるか、それとも妻の母国のスイスへ移住するか。その決断を迫られたとき、最終的に彼を後押ししたのはイスラエル国内の政治情勢だった。彼が特に問題視したのは、ベンジャミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相が推し進めた司法制度改革だ。これは2023年に始まった法改正の動きで、権力の均衡状態を司法から政府に傾けることを狙ったものだった。
チューリッヒでゼロから生活を立ち上げることは、シュナイダー氏にとって簡単ではなかった。テック業界におけるキャリアも、ステップアップではなく、同レベルのポジションに「横滑り」しただけだ。それでも、イスラエルに戻るつもりはないという。「(母国に戻ることは)常に頭の片隅にあるが、そうするつもりはない」と彼は語る。
ここ数カ月、自分と同じようにスイスに移住してくるイスラエル人の多さに、シュナイダー氏は驚いているという。
「『イスラエル人テックワーカー』のコミュニティがあるが、そこには少なくとも毎週1人は新しいメンバーが入ってくる」
盛んに報じられた「強い絆」と現実の差

ブラジルからイスラエルに移住した36歳のカッシオ・レーンズ氏もいま、イスラエルを離れることを検討している。
イスラエルのフィンテック企業で不正対策アナリストとして働く36歳のブラジル人、カッシオ・リーンス(Cassio Leens)氏は、経済的なチャンスとシオニズム(ユダヤ人国家建設運動)に惹かれ、2020年にテルアビブに隣接する都市ラマト・ガンに移住した。
それから6年が経った現在、彼は移住の決め手だった2つの動機いずれにも確信を持てなくなり、2023年10月以来、イスラエルを離れることを考え続けているという。
「ハマスとの戦争が始まった当初、ニュースではコミュニティの絆や人々の団結が盛んに報じられていた」と彼は振り返る。「でも実際の空気は違った。ただ『戦争』が起きているという現実があっただけだ」。
この2年半の間、リーンス氏はほかの多くのイスラエル市民と同じく、イラン、ハマス、ヒズボラによる攻撃を告げるサイレンが鳴り響くたびに、公共のシェルターに避難することを余儀なくされてきた。
2025年6月にイスラエルとイランの間で「12日間戦争」が起きたとき、同僚たちは「子どもを連れて翌日には国外へ脱出していった」という。
誰もが「色々な理由」で去って行った
この人材流出トレンドは懸念すべき事態ではあるものの、まだ危機的状況には至っていない、と専門家たちはBusiness Insiderに語った。前出のアテル氏は、1000万人を超えるイスラエルの人口規模を考えれば、現時点では、国を去る人々の数が重大な脅威になるとは見ていないと述べた。
イスラエルのシンクタンク、タウブ社会政策研究センター(Taub Center for Social Policy Studies)のリサーチディレクター、アレックス・ワインレブ(Alex Weinreb)氏は、同国のテック産業は「引き続き活況を呈しており、急激な成長を続けている」との見解を示している。
シュワルツ・コーエン氏がイスラエルで親交を深めた友人の多くはいまもテック業界で働いている。だが、彼女によると、現在も同国にとどまっている外国人の友人はほとんどおらず、長期滞在を予定している人はさらに少ない。
彼女自身がそうだったように、国を離れる理由は1つではないと彼女は語る。
「去っていく人のなかで、1つの要因を決定的な根本原因として挙げられる人はいないと思う」
妊娠9カ月を迎え、いつ出産してもおかしくない状況にあるシュワルツ・コーエン氏は最近になって、政治的不安定や金銭面、そして戦争以外の「もう1つの離国の動機」が明確になってきたと明かす。「家族から遠く離れた場所で、新しい家庭を築きたいとは思えなかった。私にはどうしても母の存在が必要だった」。