かえって自立しにくくなる?「生活保護」の罠【経済学者がデータで解説】

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「働いたら負け」という言葉がある。実際、生活保護受給者の中には、働けば働くほど手取りがほとんど増えない、あるいは生活水準が下がるという現象に直面する人もいる。これはモラルの問題ではなく、制度設計の問題ではないのか。経済学の視点から、「貧困の罠」の構造を読み解く。※本稿は、学習院大学教授の鈴木 亘『入門 社会保障の経済学』(新世社)の一部を抜粋・編集したものです。

かえって自立しにくくなる

生活保護制度の穴

 現在は年齢の若い生活保護受給者が全く珍しくなくなりました。

 これには、2008年秋のリーマン・ショック以降、雇用保険の加入期間が短く賃金も低い、非正規労働者に対する保障が問題化し、生活保護の申請基準が稼動能力層にも適用されるよう大幅に緩和されたことがあります。稼動能力層というのは生活保護世帯の分類において、高齢者世帯でも母子世帯でも障害者・疾病者世帯でもない、「その他の世帯」に属する人々のことです。

 2023年度の厚生労働省調査(令和5年度被保護者調査・個別調査)によれば、「その他の世帯」の世帯主は、10歳代が0.5%、20歳代が4.5%、30歳代が7.9%、40歳代が16.9%となっています。

 このように稼働能力要件を大幅に緩和したことには、もちろん賛否両論があります。すなわち、セーフティーネットの最後の受け皿に、将来のある若い人たちが入っていることはおかしいという見方がある一方、大きな経済ショックが起きた際には、現役世代に対しても生活保護を柔軟に使って良いのではないかという見方もあります。

 実際、稼働能力層に緊急避難的に生活保護をかけても、景気回復、雇用回復に伴って、生活保護からすぐに脱却させられる「入りやすく、出やすい」仕組みなのであれば、あまり問題はないのかもしれません。

 しかしながら、生活保護制度は、昔から稼働能力要件を厳しく審査して、「入りにくく、出にくい」仕組みを築いてきました。そのため、生活保護制度の目的の1つに自立の助長を謳いながら、実際には、生活保護から人々を社会復帰させるトランポリン機能が十分に備わっていません。

 このため、リーマン・ショック以降に次々と流入している「その他の世帯」の多くが、景気が回復しても滞留することになったのです。

生活保護から抜け出すと

生活レベルが落ちてしまう

「出にくい」仕組みの最たるものは、生活保護受給者が自立に向けて働きだすと、働いて得た所得が収入認定され、生活保護費が減額される仕組みになっていることです。

 生活保護費は、最低生活費から、労働所得などの認定された収入を差し引いた金額が支給されます。正確には勤労控除として経費分程度の金額が手元に残ることになっています。このため、働いて得た労働所得の全てが、生活保護費の削減で相殺されるわけではありませんが、手元に残る金額はわずかです。

 例えば、生活保護費が月額20万円の受給者が、働いて月額20万円の労働所得を得た場合、認められる勤労控除は3万3600円です。

 手取り所得は、20万円(生活保護費)+20万円(労働所得)-20万円(生活保護費減額)+3万3600円(勤労控除)で、23万3600円となります。これは、時給1000円の仕事をしても、実際には時給168円(控除率は16.8%、“限界税率”は83.2%)になってしまうということですから、稼働能力層の人々も、なかなか働こうという気にならないでしょう(注1)。

 さらなる問題は、それでも何とか働いて生活保護から脱却した場合に、生活保護にとどまるよりもむしろ生活水準が下がってしまう可能性が高いことです。

 生活保護費は、ほとんどの生活費や必要経費を過不足なく支給してくれます。医療費も介護費も無料です。さらに、生活保護に連動して無料となる各種サービスがあります。例えば、認可保育所の保育料は生活保護世帯の場合はほぼ無料ですし、NHKの受信料等も無料となります。水道・下水道料金も減免されます。

(注1)ただし、月額1万5000円程度までの労働所得であれば、全額が勤労控除として認められます。つまり、元の生活保護費が20万円で、労働所得が1万5000円であれば、両者を合わせた21万5000円が手取りの収入となります。しかし、それ以上労働する場合には、追加的に認められる勤労控除が低く、だんだんと控除率が下がっていく仕組みとなっています。

 しかし、生活保護からひとたび脱すると、これらの費用は全て自分で支払わなければなりません。それに加えて、今度は様々な税金や保険料も支払うことになります。したがって、最低賃金程度の時給では、よほどの長時間労働をしない限り、生活保護費を上回る生活水準になることは困難です。「生活保護脱却の壁」と呼んでおきましょう。

 これでは、稼働能力層の人々が、せっかく働いて自立した途端、ワーキングプア(フルタイムで働いているにもかかわらず、生活保護の水準以下しか収入が得られない貧困な就労層)になるぐらいなら、生活保護のままで良いと考えても不思議はありません。

政府の就労支援だけでは

貧困の罠は解消しない

 このように、実は生活保護制度自体が、生活保護受給者の自立を阻害する仕組みを持っているのです。この仕組みは、生活保護受給者が生活保護の囚われの身となって抜け出せないという意味で、貧困の罠と呼ばれています。

 この貧困の罠の問題が解決しなければ、いくら稼働能力層への就労支援の仕組みを整えても、なかなか機能させることは難しいと考えられます。

 例えば、現在、政府は「生活保護受給者等就労自立促進事業」として、福祉事務所とハローワークが一体となった就労支援のワンストップ窓口を作り、稼働能力層などに、キャリア相談、履歴書作成支援、面接指導、職業紹介等を実施しています。また、「被保護者就労準備支援事業」として、日常生活習慣の改善指導、訓練、職場見学、ボランティア活動等を通じて、就労するための準備をする支援も行っています。

 しかしながら、こうした事業への参加は任意で強制されていないため、参加率はあまり高くありません。さらに、就労に向け努力をしている稼働能力層に、就労活動促進費として原則6カ月間、月5000円の一時扶助が支給されますが、この程度の少ない金額では、なかなか動機づけにならないようです。

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざを引用するまでもなく、貧困の罠という大元の問題を解決し、稼働能力層自ら、自立しようという意欲を持たない限りは、これらの就労支援はなかなか機能しません。

頑張って働かないほうが

合理的な制度設計

 生活保護の「貧困の罠」が起きるメカニズムを、予算制約と無差別曲線を使って説明しましょう。図表8-8は、横軸に労働所得、縦軸に可処分所得(労働所得と生活保護費の合計額から諸経費を差し引いた金額)をとった図で、両者の関係がA-B-C-D-E-Fで結ばれた線(予算制約線)で表されています。

 A-B-Cが生活保護を受けている時、D-E-Fが生活保護から脱した時(保護廃止時)です。

同書より転載

 まず、AからBまでは勤労控除(基礎控除)が月額約1万5000円までの場合で、この金額までは生活保護費は全く減額されないので、労働所得と同じ額の可処分所得の増加となっています。BからCまでは労働所得が増えると生活保護が減額されます。ただし、勤労控除がありますので、わずかに可処分所得が増えていることがわかります。

 Cを超えると生活保護から脱し、生活保護費がなくなる上、税金支払いや自立に伴って発生する諸費用が一気に発生しますので、Dまで可処分所得が減少します。これが、「年収の壁」と同じような役割を果たすので、「生活保護脱却の壁」として、稼働能力層の人々を生活保護内にとどめる役割を果たします。

 ここで、無差別曲線を導入しましょう。無差別曲線はミクロ経済学(価格理論)を学ぶと最初に説明される概念ですが、消費者にとって同じ満足度(効用)が得られる2つの財の消費量の組み合わせを結んだ曲線のことです。

 例えば、りんご2個とバナナ1個の組み合わせと、りんご1個とバナナ2個の組み合わせが同じぐらい満足であれば(無差別であれば)、両者を結ぶ曲線が無差別曲線になります。

 ここで、可処分所得と労働所得の間の無差別曲線を考えると、労働所得は労働時間に比例しますので、効用ではなく、不効用を感じるものと考えられます。このため、労働所得を増やすと、可処分所得が増えないと無差別にはなりませんから、無差別曲線はI 0、I 1、I 2のような形状になります。この場合、無差別曲線は左上にあるほど効用が高くなります(一方、ミクロ経済学の教科書に書かれている通常の無差別曲線は、原点に対して凸の形で、右上になるほど効用が高くなります)。

 経済学の消費者行動の理論によれば、予算制約の下で、最も高い無差別曲線に接する点で、人々は消費量(この場合は所得)の選択をします。ここで、最も高い無差別曲線(I 0)に接しているのはB点ですから、稼働能力層の生活保護受給者は、月額約1万5000円までの労働をすると考えられます。

 重要なことは、生活保護にとどまるギリギリの労働所得であるC点を通る無差別曲線(I 1)や、生活保護から脱却した後に最も高い効用を得るE点で接する無差別曲線(I 2)よりも、B点の効用が高いと言うことです。このように、合理的な選択の結果として、稼働能力層はあまり労働をしようとしないのです。

 実際に、「その他の世帯」の労働所得の分布を見ても、1万5000円程度の労働所得を選ぶ人々の割合が最も高くなっています。生活保護受給者は合理的な選択の結果としてあまり働かず、生活保護から脱却することもないのです。

 これは、人々のモラルの問題ではなく、制度設計の問題と言えます。

家を借りた途端に

諸経費が重くのしかかる

 実は、「生活保護脱却の壁」に当たるものは、ホームレス生活にも発生しています(図表8-9)。

同書より転載

『入門 社会保障の経済学』 (鈴木 亘、新世社)

 なぜならば、ホームレス生活には、家賃や敷金・礼金がありませんし、公園のトイレや水道が無料で利用できます。支援団体の炊き出しや寄付された衣料品を使っていれば、生活する上で必要な諸経費も最小限で済みます。

 しかし、ホームレス生活から脱却した途端(B点)、家賃や諸経費が一気にかかることになるので、可処分所得が大きく減少します(C点)。ホームレス生活から脱却して、最も効用が高まるD点まで働いたとしても(効用はI 1)、ホームレス生活をしていた時の効用I 0より高まることはありません。

 生活保護にかからない(かかる気がない、かかれない事情がある、かかれないと思っている)ホームレスの人々が、意外に“仕事”の現金収入があるにもかかわらず、ホームレス生活から脱しない理由は、この辺りにあるのかもしれません。

 ホームレス生活から脱却した後の生活支援、住宅支援が重要なことがわかります。